@okiwotashikani こんにちは。今更ながら、失礼します。カムバックしない方のブログを書いた者です。せっかく私の書いたことに対して反応としての記事を書いていただいたので、私もひとこと(と言いつつ大変長くなりました、申し訳ありません)お伝えしたいことがあり、このようにリプする次第です。

ワンピのなかに魚人が差別されているエピソードがあったと思います。魚人に対する謂れのない差別に、ルフィ達は怒っていたと思います。つまりおだっちのなかにも「差別はよくない、是正されるべき」という根本的な考えはあるのだと思います。魚人に対する差別発言や差別描写はこの先ワンピ世界では許されなくなることでしょう。
ただし、おだっちは、魚人に対する差別は考えられても、実際に自分が「オカマ」と呼ばれるひとたちを差別する気持ちが自分にあることには思い至っていないのだと思います。「差別はよくない」と言いつつ、自分の差別心には気づいていない、ということは誰にもよくあると思います。私も自分自身にもそういうことがあると思います。でも自分では気づかないんです。悪意なくやってしまってやってしまったことに自分では気づけないことこそが「差別する側」の罪だと思います。

しかし、そこで「わからないからもう無理」とは絶対に諦めたらいけないと思います。それこそジャンプの精神に反すると私には思えます。常に全てのひとへの配慮を行おうとする努力、そして全てのひとと友情を結ぼうとすること、その先に、全てのひとが人権を保障された世界が訪れる「勝利」がある、と思っても、いいんじゃないんでしょうか。どうでしょうか。
今、世界の特に欧米のエンタメのメインストリームは、できる限り全てのひとに配慮した作品、を作ろうという流れであると思います。マッドマックスを10回でしたっけ、見られたと仰ってましたけども、マッドマックスはフェミニズムを取り入れて「配慮」をしっかりと行った映画でしたよね。ミッションインポッシブルの最新作も女性登場人物を単なるヒロインには描きませんでした。「なるだけ、できるだけの配慮を行っていく」というのが、基本的な考えとして採用されているのだと思います。(もちろん欧米エンタメの全てがそのような配慮ができているとは思いません。主人公は圧倒的に白人が多いですし、男女差別や人種差別、その他、克服できていないことは多くあると思いますが、少なくとも、日本のエンタメよりは「意識している」と思えます。ディズニーでもアナと雪の女王ではエルサがセクシャルマイノリティを表しているのではないかと言われてましたし、そういう作品をつくろう、という意思はあるのではないでしょうか。)

全ての作品でそのような配慮をしっかりと行うべきなのか、と問われたら、私は基本的には「そうすべき」と考えます。
例えば、黒人を差別的に描くような映画やドラマは、今はもう欧米にはほとんどないはずです。50年前にはまだたくさんあったと思いますが、今はメインストリームではもうありません。50年前には、黒人差別の描写ができなくなったら物語がつまらなくなる、と感じた人はいたでしょう。それでも、差別表現は駄目なのです。それが徹底された結果、なくなりました。今あるとしたら、よっぽどマイナーなところにしかないでしょうし、それも批判を浴びることは避けられないと思います。その意味では、「黒人差別描写がないと作品がつまらなくなる」と思った人たちの意見は無視されたわけです。その人たちの意見は無視されていいのか?というのががあ子さんの意見だと思います。私の意見としては、そうするほかない、という意見に尽きます。
があ子さんは「オカマ」ではなく、男性のみを恋愛対象とする女性だとお見受けしております。(違ったら全ての前提が崩れますので、そのときには謝らなくてはなりません)ちなみにフェアでないので申しますが、私自身はどちらかというとバイに近いです。曖昧な表現で申し訳ないですが、必ずしも男性のみを恋愛対象とする女ではない、ということです。さて、ワンピがカマバッカ王国のような描写をやめたとして、ボンちゃんやイワさんみたいな描き方もやめたとして、女子のファンにも優しい描写をするようになったとして、ワンピの持つ独自のおもしろさがなくなったとします。それによって、があ子さんやファンはワンピという素晴らしい物語を失うことになりますが、それだけです。しかし、ワンピがこのままカマバッカ王国のような描写を続けたら、「オカマっていうのはこういう姿をしていて奇抜な格好をしていて面白くて強いんだ、普段は女みたいだけど本当はカッコよくて男前なんだ、ぐいぐい迫ってくるからそれに対しては泣きながら逃げてもいいんだ」と多くのひとが現実でも思ってしまう、子供たちもそう思って育つことを助長してしまいます。それによって、実際に困るのはがあ子さんでも私でもありません。「オカマ」と呼ばれるひとたちは、そうやっていつでも楽しく強く実は男前でぐいぐい迫るしそれを泣いて嫌がられてもいい、という役割を期待されることになってしまいます。それだけが「オカマ」と呼ばれるひとたちの姿ではないことはがあ子さんもわかってらっしゃるはずですがどうでしょうか。もっと普通の、単にすきなひとの性別が多数とは違うだけの、普通のひとだって多いはずです。というか私たちと何も変わらないはずです。ただ単に人間の中には面白くて強いひともいれば、そうでないひともいるだけで、ただそれだけです。すきなひとが誰かは関係ないでしょう。(もちろんマイノリティゆえに一般的な企業で普通に働くことが難しく、エンタメ業界等に就業するほかなかった、という状況は多いでしょう。それはセクシャルマイノリティ以外のマイノリティにも当てはまることがありますが。)

長くなって申し訳ありません。私が言いたいのは、そうやって現実に不利益を被るひとがいる上にマジョリティが「楽しむ」ことは、基本的にはこれから先ますます、歓迎されないことになる、ということです。マジョリティの「楽しみ」は時々制限を受けるでしょう。しかし、マジョリティが楽しみに制限を受けることによって、マイノリティがもっと楽に生きることができるようになるなら、私はその方がいいと思います。黒人差別描写がなくなってがっかりしたひとも多いかもしれませんが、それによって実際に生活が楽になった人たちがいるのなら、多分その方が、いいと思うのです。その点では、私の意見は明確です。「マジョリティは時によっては自分の「楽しみ」を諦めるべきことがある」というのが私の意見です。それは譲れません。

とはいえ、一律に表現を規制することは、表現規制に繋がるかもしれません。ではどうすべきなのか、というところなんですけど、私は、社会の中で「差別描写はよくない」という合意を形成していくほかないと思います。そのような合意が得られたとき、差別描写はどうなるのかというと、段々世間から歓迎されなくなって、マイナーな、「悪趣味」な楽しみになるのだと思います。それが「悪趣味」だとわかっている、「大人」の楽しみになるということです。

ですから、ワンピがセクシャルマイノリティや女性ファンへの配慮を怠った作品のままであり、一方社会では差別描写はよくないという合意が形成された場合、ワンピは、「差別描写のある、大人の悪趣味な楽しみ」になるのだと思います。もし社会にがあ子さんと同じ意見のひとが多く、ワンピから差別描写を抜くことは不可能だしそれでは楽しさがなくなる、という意見が多数を占めるなら、相変わらずワンピは多くのひとに読まれる漫画のままであると思いますが、その代わりマイノリティは差別され続けることでしょう。女子のファンも排除され続けるし、それでもがあ子さんは泣きながらついて行き続けるのでしょう。私は、泣きながらついていくより、私の味方をしてくれる友達を、選びますが。

どちらがいいかは、それぞれの信念と、社会の合意にかかってくると思います。日本のエンタメ、ワンピがどちらに転ぶかは、私には分かりません。私は、「私は」、全ての人に配慮された作品が多い世界を望みますが。

ワンピの、差別描写なんかを「悪趣味な楽しみ」と楽しめるひとは読み続けるでしょうし、楽しめないひとは、読むのをやめるか、読まなくなるでしょう。それは、私にも誰にもなんとも言えないことです。各読者が勝手に決めることでしょう。実際にがあ子さんの記事を読んで読むのをやめたひともいます、私の記事を読んで読むのをやめたひともいます、逆もいます。ただ私は、多くのひとに、ワンピには差別描写があって、それは、楽しむひともいる代わりにひどく傷つき現実に不利益をこうむるひとの犠牲の上に成り立っていることは、気づいてほしいと思ってます。それだけは、確かに知ってほしいと思っています。

ちなみに言えば、私はサンジ君が冷遇されていると感じていてそれは作者のジェンダー観に問題があることに起因し、またカマバッカ王国等にLGBTに対する差別描写を感じるので、なかなか読み続けるのがつらくなりました、ということをブログに書きましたが、それは「私が」感じていることです。そうでないひとも多いでしょうし、があ子さんに共感しているひとも多いようです。ワンピ自体に問題があるかないかを感じ取るのも個々人でしかありませんが、「ここはおかしい」と感じたときに表明することは私はやめない、と決めていますので表明した次第です。表明せずにおけ、という意見には同意できません。ただし批判は自由でしょう。

本当に長くなりました。申し訳ありません。私が言いたいのは、ワンピには、差別描写があり、それは、「悪趣味」としては楽しめるかもしれないが、「私は楽しめない」ということです。私以外がどうするかは、各人が決めるでしょう。

ここまで読んでくださってありがとうございました。お疲れ様です。また明日からよい1日が訪れることを祈念します。


くるくる

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