★少数が話すホントの話はウソにされ、多数が話すウソの話はホントになるー(田中良紹氏)

東京新聞が先月末から連載を始めた「戦後70年の経済秘史第5部危機からの証言」が面白い。

日本経済は1960年代まで戦後復興、高度経済成長と飛躍的な伸びを見せたが、

70年代から石油ショック、円高、バブル崩壊などの危機を迎える。

その現場に立ち会ったキーパーソンの証言から日本がどこで判断を誤ったかを探るシリーズである。

日本の経済成長がマイナスに転ずるのは1973年の第一次石油危機がきっかけである。

記事は石油危機後に「太陽光発電」を考えた技術者や通産官僚が「原発」に敗れる話や、

経済失速の噂が金融不安を引き起こす事例を紹介しているが、

フーテンは中でも石油危機の渦中にいた元クウェート大使の証言に強い関心を持った。

イスラエルとアラブ諸国の第四次中東戦争から石油危機は起こる。

アラブ諸国はイスラエルを軍事支援した米国などに経済制裁として石油禁輸を発表する。

その時、石川良孝クウェート大使はアラブ首長国連邦のオタイバ石油相と秘かに会い、

日本への対応を聞き出した。答えは「日本はベストフレンド。供給に心配はいらない」だった。

アラブ諸国が石油価格を引き上げる事はあっても、

イスラエルを軍事支援する国ではない日本への供給は減らない。

そう分析した石川大使は外務省に「石油不足は深刻にならない」との公電を打つ。

ところが日本では「石油がなくなる」という情報が独り歩きし、

国民は灯油やガソリンの買いだめに走り、なぜかトイレットペーパーや砂糖の買い占めが起きた。

それが狂乱物価を生み出し田中角栄内閣を直撃する。

すべての物価が平均で2割上昇したが、それは原油価格の上昇より、

買い占めや便乗値上げがもたらした結果である。

そして原油輸入は石川大使の分析通りに減る事はなく、むしろ輸入量は前年より増えた。

石油はなくならないのに「石油がなくなる」との噂が経済混乱を引き起こし、

それが日本の高度経済成長を止め、翌74年に成長率はマイナスに転じ、

田中総理辞任の引き金となる。

石川大使は「なぜ自分の情報が生かされなかったのか」と自問自答する。

苦労して集めた情報が砂に水がしみ込むように官僚機構の中に消えて行ったと

石川氏は言う。そして記事の最後に石川氏は商社マンに教えられた言葉を紹介する。

「少数の人が話すホントの話はウソにされる。逆に多くの人が話すウソの話はホントになってしまう」。

第一次石油危機の時、フーテンはテレビ・ドキュメンタリーを作っていた。

主婦たちがトイレットペーパーの買い占めに走り、

タクシー運転手が将来を悲観して自殺したのを良く覚えている。

フーテンは石油がなくなると騒ぐ都会の馬鹿馬鹿しい光景に嫌気がさし、

山深い僻地で生徒が一人しかいない小学校の正月を番組にしたり、

石油会社が十分な備蓄を持ちながら売り惜しみをした犯罪的な事実を糾弾する番組を作ったりした。

しかし当時のクウェート大使が「石油不足は起きない」と公電を打っていた事実を知ると、

何とも言いようのない感覚に包まれる。

何も知らない大衆は少しの操作でウソに向かって走り出す。誰の操作か。

それはホントを知っている少数がいくらホントを語っても誰も信用しないから

結局ホントは分からずじまいになる。

ホントとウソの話にフーテンが反応してしまうのは、

似たような経験をフーテンもしたからだと思う。

例えば日米自動車摩擦で「デトロイトに反日の火が燃えている」とみんなが言うので

デトロイトに取材に行くと、反日の火などどこにもなかった。

自動車労働者もデトロイト市民もみな日本車の性能を褒め、「俺たちはこれから頑張る」と言った。

ところが騒いでいたのは自動車会社と労働組合、そして政治家である。

すると米国のメディは日本車をハンマーで壊す男を大々的に取り上げる。

しかしその男がデトロイト市民からつまはじきされている事実は日本に報道されない。

フーテンが見た自動車摩擦の実態はそうだった。

つまり摩擦は作られたもので、それは日本車の輸出自主規制という結論に導くため、

日米両政府のどちらにも都合の良い方法だったのである。

その取材で日米にまたがる権力が大衆を操作する実態をフーテンは知ることになり、

フーテンを含め日本国民の多くはホントよりウソを信じ込まされてきた事も知った。

しかし戦後日本の高度成長を止め、マイナスに転じさせたきっかけが、

根拠のないウソから始まり、それに引きずられた企業は儲けのために売り惜しみに走り、

それがまた大衆を買い占めに走らせて、

すべての商品価格を上昇させて田中内閣の足を引っ張った話にフーテンはやはり引っ掛かりを感じる。

石川氏の情報が「官僚機構の中に消えて行った」のはなぜか。

田中内閣の失敗は「日本列島改造論が狂乱物価を招いたからだ」と言われるがそれはホントなのか。

「石油がなくなる」というウソが狂乱物価を招いたのではないか。

そして田中角栄氏が総理を辞任したのでロッキード事件での田中逮捕はありえたのである。

「総理を辞任しなければ逮捕はなかった」との無念の思いが田中角栄氏を強くする。

それが自民党内に最大派閥を作らせ、

それこそ「一強多弱」の政治構造と怨念の政治を現出させた。

そこからの流れが今だに日本政治の底辺に生き続けているとフーテンは思う。

考えてみれば、日本の高度経済成長にブレーキをかけた第一弾は

71年のニクソンショックで、固定為替相場がなくなり、次いで73年の石油危機、

そして85年のプラザ合意と低金利政策への強制、

その結果としてのバブル経済とバブル崩壊、そして「失われた時代」があり、

アベノミクスで持ち上げられたかと思えばまた見放されつつある。

フーテンには日本経済を操作する米国の手ばかり見えるが、

それが国民には見えないように多数にウソを語らせる仕組みになっている。

第一次石油危機のウソとホントはそのことを思い起こさせた。

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