★日本の近代化を問い続けた小津安二郎と原節子ー(田中良紹氏)

週の初めの風邪が忘年会続きで一向に良くならない。

そのため原節子の事を書きたいと思いながら集中力が高まらずにいた。

でも書くしかないだろう。

フーテンにとって昨年の高倉健、菅原文太と同様に原節子の訃報は胸にズシンときた。

演じた世界と役柄を現下の政治状況と重ね合わせてしまうからだ。 

勿論、高倉健や菅原文太と原節子とはまるで異なる役者の世界を生きた。

高倉健と菅原文太は、明治から大正、昭和、そして戦後の焼け跡から高度成長期にかけて、

国家権力の近代化政策が地縁、血縁の共同体を破壊するのに抵抗したヤクザを演じたが、

原節子は日本の戦争と敗戦を生きた女性、そして日本の美しさを演じたように思う。

特に小津安二郎監督とコンビを組んだ一連の映画での品格ある美しさは忘れることが出来ない。

原節子は1935年に15歳で映画界にデビューした。

大きな目と高い鼻という日本人離れした容貌はドイツ人監督の目に留まり、

すぐ日独合作映画のヒロイン役に抜擢される。

日独防共協定と時を同じくして映画は公開され、

原節子はナチス・ドイツに大歓迎された。

これでスターになった原節子は日本の戦争が拡大すると「上海陸戦隊」、

「ハワイ・マレー沖海戦」、「望楼の決死隊」など数々の戦意高揚映画に出演する。

それが敗戦によって日本は連合国に占領された。

日本映画は戦時中内務省によって検閲されたが、

今度は占領軍がすべての映画を検閲する事になる。

そのため「軍国主義」「国家主義」「封建主義」と思われる映画は上映が禁じられた。

検閲を行う部署の中で日本の映画人に最も嫌われたのがデヴィッド・コンデという男である。

コンデは軍閥や財閥を批判し労働組合を称賛する映画を奨励し、

キスシーンを挿入する事を「民主化」だと言って強要した。

そのコンデの指導で作られたのが黒沢明の『わが青春に悔いなし』や

木下恵介の『大曾根家の朝』、今井正の『民衆の敵』である。

いずれも名作と言われるがしかし本質は民主主義を扇動するプロパガンダ映画である。

原節子もこの時代にはプロパガンダ映画に出演させられた。

コンデは映画だけでなく労働組合も作った。

彼が作った東宝労働組合は後に米軍まで出動する大争議を引き起こすが、

作ったのが米国なら鎮圧したのも米軍という話である。

やがてコンデは天皇の戦争責任を問う映画『日本の悲劇』を作ろうとして占領軍内部から解職された。

日本政府を天皇中心の傀儡政権にすることは戦時中からの米国の方針だが、

それをコンデが無視したのである。

コンデが外されても米国の日本洗脳政策はその後も変わらない。

「貿易は映画に続く」というのが米国の考えで、映画によって米国製品への憧れを創り、

米国の生活様式を普及させれば米国製品が売れる。

そのため日本への米国映画の輸入割り当てを大きくし、その他の外国映画は少なくなるよう制限した。

また「民主主義を広める」との理由で映画館や劇場を接収し、

音楽や演劇の市場を米国が占有できるようにした。

その結果、キリスト教徒でもないのに日本人が教会で結婚式を挙げ、

映画で見たクリスマスを日本の家庭が祝うようになる。

原節子はコンデが強制したキスシーンを拒み、

また東宝の労働組合運動からも脱退するが、その頃出会ったのが小津安二郎監督だった。

初めてコンビを組んだ『晩春』は古都鎌倉を舞台に、

戦争のために婚期を逃した娘を原節子が演じる。

父親は結婚させようとするが、

娘は母親を亡くして一人になった父親の面倒を見ると言ってきかない。

父親は再婚するフリをして娘を嫁がせるのだが、

この映画に戦争直後の荒廃した日本の姿はつゆほども出て来ない。

茶の湯、能楽など日本の伝統美の中に美しい日本人の姿がある。

同時期に上映された黒沢明の『酔いどれ天使』は焼け跡の汚れた町を舞台にして

全く対照的である。そして原節子は黒沢の『わが青春に悔いなし』の時より

フーテンには魅力的に見えた。

その後、小津と原の二人は『麦秋』、『東京物語』、『東京暮色』を相次いで撮るが、

これらにはいずれも戦争の傷をうかがわせる設定がある。

『麦秋』で原節子が結婚を決意する相手は戦死した兄の親友で、

戦死した兄が意味を持つ。また『東京物語』で原節子は戦争未亡人である。

さらに『東京暮色』では原節子の母を演ずる山田五十鈴が、

夫が朝鮮に赴任している間に愛人を作り、満州に駆け落ちする設定である。

小津安二郎は日中戦争が始まると同時に召集され約2年間中国各地を転戦した。

本物の戦争を経験した小津は、しかし戦争映画を1本も作らなかった。

軍服を着た兵隊が画面に登場した事もない。

しかし小津の映画にはどこかに戦争の傷が映っている。

『東京暮色』の設定は、日本の近代化政策が植民地を作り、傀儡国家を作り、

戦争に突入した事実を下敷きにしている。

そしてそれが家族をバラバラにしたのである。

つまり小津はこの映画で、明治からの日本の近代化は国民を幸せにしたのかと問うているのである。

小津安二郎は60歳の誕生日に亡くなった。

原節子は葬儀で号泣したと言う。その2年後に彼女は引退し、

誰の前からも姿を消して「伝説」となった。小津監督の死に殉じたとの見方もある。

原節子は小津作品に自分のすべてを出し尽くしたとフーテンは思う。

数々の「戦意高揚映画」に出演し、

次にそれとは逆の「民主プロパガンダ映画」にも出演した原節子は、

ようやく小津監督と出会い、共に日本の近代化と戦争と家族を問い続ける映画を撮った。

その小津監督がいなくなれば共に問いかける事も出来ない。

それが引退の真意だったのではなかろうか。

日本の戦争を巡って国民世論が高揚した今年9月、

原節子は日本の近代化と戦争と家族を問い続けた小津安二郎の元に旅立った。

そしてフーテンはやはり近代化に抵抗する役を演じた二人を思い出す。

高倉健と菅原文太が演じたヤクザの抵抗の仕方は、勝ち目がなければやみくもには闘わない。

じっと耐えて怒りを内側に膨らませ、それを意地に転化する。そして意地を張るのである。

死んでも意地を貫く。これに全共闘世代の学生たちは熱狂した。

その世代は今では高齢者である。しかし彼らは政治に関心がある。

その投票動向が選挙の帰趨を決めるという説もある。

ところが民主党への政権交代が起きた09年の選挙で7割近くにまで上昇した投票率は、

自民党に政権が戻った12年の選挙で6割弱、さらに14年の選挙では5割ちょっとまで激減した。

しかも地方の選挙区の投票率が都会よりも低い。

自公が圧勝する理由は都会の若者の支持と高齢世代の選挙離れにあるのではないかと

フーテンは思っている。だから健さんや文太に憧れた世代が投票所に行けば

次の選挙は結果が大きく変わる可能性がある。

原節子の訃報を聞いた時、フーテンはそんなことを考えた。

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