★保阪正康氏と半藤一利氏が東京裁判について語ったことー(天木直人氏)

昭和史を語らせたら右に出る者はいない保阪正康氏と半藤一利氏が、

11月29日の東京新聞紙上で、東京裁判について思う存分語っていた。

 おそらく東京裁判を否定する安倍首相に対する東京新聞のメッセージに違いない。

 「一国の首相たるもの、自らの国の歴史について、少しくらいまともな勉強をしろ」

 そう言っているのだ。

 その保阪氏と半藤氏の対談で注目されるのは、

両名とも、あの裁判は昭和天皇を戦争責任から免責するための

マッカーサーと天皇を守ろうとした当時の日本の指導者たちの思惑が一致した裁判であった

と認めているところだ。

 このような史実を日本国民はまったく知らされてこなかった。

 かつてはこのような事を口にすることはタブーだった。

 いつの間にか、それが堂々と語られるようになったということだ。

 しかし、私がこの対談を読んで最も驚いた事は、そこではない。

 両名とも、あの東京裁判は勝者の裁きであったとはっきりと認めているところである。

 すなわち、国際法で問われた事のない、

「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を新たに導入し、

それをおかした者たちは死刑に値すると言って絞首刑にした。

 あきらかな事後法だったと両名は認めている。

 しかし、その後に続く両名の発言が極めて重要である。

 私がこのメルマガで言いたい事はそこにある。

 この両名の発言は、安倍首相をはじめとした東京裁判否定論者はもとより、

東京裁判を受け入れる者たちも、等しく注目すべき問題提起である。

 日本国民が知っておかなければいけないことだ。

 すなわち東京裁判は勝者による復讐で、

二度と戦争を起こさせない仕組みをつくる裁判だった事は否定できないが、

それを超える意義があったと両名はいう。

 それは東京裁判が「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」という人類の普遍的な価値を

裁判に持ち込み、それを私たちは受け入れ、反省した、

それによって我々は、物凄い権利と義務を得た、というのだ。

 つまり米国を含む戦勝国たちに、

「あなたたちは東京裁判で裁いた責任がある」、

「いまあなたたちは、日本を裁いた論理を崩しているではないか。

侵略戦争や残虐行為をやっているではないか」、「何をやっているんだ」、

そう日本は言う権利がある、それを言わなければいけない責任があるのだ。

 しかし、日本はそれを自覚していない。

 平和を語る資格と責任を自覚していない。

 これほど愚かな事はない、と言っているのである。

 これは私がかねてから言っていることだ。

 私の言っている事を語る識者がはじめて現れたのだ。

 すなわち日本は、東京裁判と引き換えに得た憲法9条を最強の武器にして、

貴方たちは何をやっているんだと、国連安保理常任理事国に堂々と言える唯一の国なのだ。

 その時、彼らは返す言葉はないだろう。

 それなのに安倍首相は憲法9条を捨てて国連安保理常任理事国入りを目指し、

「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を行う国の仲間入りをしようとしている。

 これほど愚かな事はない。

 それを教えてくれた保阪、半藤両氏の東京新聞紙上の対談である。

 日本国民必読の対談である。

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