★野合連合は不要・自公対峙勢力一本化がカギー(植草一秀氏)

昨日、11月5日、東京永田町の憲政記念館で、

出版記念シンポジウム
『検証「安倍談話」戦後70年・村山談話の歴史的意義』

が開催された。

https://www.youtube.com/watch?v=Sjn3SzL7JD0

主催者挨拶  鎌倉孝夫・埼玉大学名誉教授

基調講演   浅井基文・元広島平和研究所長
「内政・外交上の矛盾の固まりとしての安倍談話」

シンポジウム
コーディネーター 高嶋伸欣・琉球大学名誉教授
「歴史を歪曲した愚作の典型・安倍談話」

パネラー
田中宏・一橋大学名誉教授
「村山談話と似て非なるアリバイ談話」

天木直人・元レバノン特命全権大使
「わが国の安全保障を阻害する安倍談話」

最首悟・和光大学名誉教授
「戦争法実現の布石としての安倍談話」

シンポジウムに引き続き、出版記念会が、
上原公子・元国立市長の総合司会により開催され、

村山富市・元内閣総理大臣
志位和夫・日本共産党委員長
吉田忠智・社会民主党代表

などが挨拶した。


村山富市氏は、安倍政権が安保法制=戦争法制を強行制定したことを念頭に、

「戦後70年、日本は平和と繁栄を守ってきた。なぜ変える必要があるのか。

そこに、法制に反対している国民と首相の考えに乖離がある」

と述べた。

また、2016年の参院選について、

「日本の方向は国民が決めるという意識を持ち、

来年の参院選では『ほら、みたことか』となるよう期待している」

と述べた。

シンポジウムのメインテーマである、

20年前に村山首相が発表した「戦後50年談話」=「村山談話」の「継承」については、

「首相は村山談話を継承すると言った以上、素直に継承すればいいのに、

安倍談話は『ああでもない』『こうでもない』といっているだけだ」

と述べた。

日韓首脳会談が開催され、従軍慰安婦問題の解決が迫られている点については、

「首相が『日本の責任だから解決したい、協力してください』といえば済むが、

『裏付けがない』『証拠がない』ということが首相の腹にあるから言えない。だから、うまくいかない」

と論評した。

村山談話では、「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「心からのおわび」の文言を盛り込み、

真摯な姿勢で歴史に向き合い、心からの謝罪の意を表明した。

このことによって、アジア諸国との和解が達成されたという事実がある。

これを蒸し返して、「ああでもない」、「こうでもない」とこねくり返した安倍談話は、

百害あって一利のないものである。

産経新聞は安倍談話について、紙面1面トップに

「謝罪 次世代に背負わせぬ」

の見出しで報道した。

産経新聞は、この紙面のコピーを掲載し、

次のような見出しをつけた販売促進用の広報チラシを配布している。

「産経新聞は、謝罪外交の連鎖を 断ち切るよう 強く主張しています」

安倍70年談話が、

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。

あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、

謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

と表現した部分を絶賛している。

メルマガ第1283号

「戦争責任を一般国民に押し付ける安倍70年談話」

http://foomii.com/00050

に記したように、戦後の戦勝国国民と敗戦国国民との和解は、

戦争責任、戦争犯罪人を明らかにし、戦争犯罪人と一般国民とを峻別し、

そのうえで実現させてきたものである。

謝罪をするのは国民ではなく、為政者が、過去の戦争犯罪人の行為について、

国を代表して謝罪するものであり、国民が自己の行為を謝罪をするものではないのだ。

為政者は過去の為政者が犯した罪を直視し、

そのことに対して、他国に対して事実を認めて謝罪する責務を負う。

安倍談話は、謝罪をするのは国民、

すなわち、責任を負うのも国民との図式に立つ内容を示しているのである。

問題は、日本の主権者が、この政治の現実をどう捉えて、どう評価し、どう行動するのかである。

村山元首相が述べたように、2016年夏の参院選では、

安倍政権与党を大惨敗に追い込むことが必要である。

ちょうどこの日、鳩山友紀夫元首相が韓国で講演した。

過去に目を閉ざし、真実から目を逸らしたいと考える人々にとっては、耳に痛い発言を示した。

鳩山元首相は、安倍談話について、

「評価される内容ではない。

侵略、植民地支配、反省と謝罪の言葉は盛り込まれていたが、文脈はとても納得のいくものではない。

安倍首相本人の反省や謝罪の気持ちとしては伝わらなかった」

「首相は自らを愛国者とはき違えているのだろうが、自信のなさの裏返しだ」

「真の愛国心とは、過去の歴史的な事実に目をつむらず、

過ちには謝る勇気を持つことではないか。このような内容になってしまったことを申し訳なく思う」

と述べた(出典「産経新聞」)。

村山元首相が、11月5日のシンポジウムで、

「『屈辱の歴史は残したくない』というところに誤りがある。

もう少し素直に、率直に良いことは良い、悪いことは悪いとモノがいえるような首相になってほしい」

と発言したことと、見事に重なるものである。

南京事件に関する記述が世界記憶遺産として登録されたことについて、

異議が唱えられているが、虐殺されたという人数ではなく、

大量虐殺という事実が存在したのかどうかが問題の本質である。

歴史の記述は正確に行なう必要があるが、数字が多い少ないという問題は、

本質の論議からは逸れている。

また、日本はポツダム宣言を受け入れ、東京裁判を承諾し、サンフランシスコ講和条約に調印した。

この事実も重い。

過去の歴史を直視して、誤りを誤りとして認め、謝罪し、

適正な補償を行い、和解を実現し、未来に向けての恒久的な平和を確立する。

これが、私たちが行うべきことがらである。

村山談話が、

「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「心からのおわび」を言葉にして表明した。

安倍首相が村山談話を継承すると言うなら、

きちんと、一人称の表現で、これらの言葉を踏襲するべきであった。

そもそも、村山談話を継承するのに、新たな談話を発表する意味がない。

安倍首相は、村山談話を否定しようとして失敗したために、

基本的な言葉を自分の言葉として表現しない、質の劣化した談話になってしまったのである。

「謝罪の連鎖を次の世代に残さない」

という発想そのものが間違っている。

過去の戦争責任を直視して、日本の為政者として、過去の為政者の誤りを認め、謝罪する。

これはいまだけのことではない。

永遠に残ることであって、

「謝罪を断ち切る」



「謝罪の事実を否定する」

というものなら、大きな間違いである。

さすがに、安倍首相も「謝罪の事実を否定する」つもりはないだろうが、

「子や孫、さらにその先の世代に謝罪の宿命を背負わせる」

という言葉自体が、問題の本質をはき違えていることを物語っている。

謝罪をするのは国民ではなく、

為政者が過去の為政者=戦争犯罪人の行為について謝罪をすることを、

私たちは明確に認識しておく必要がある。

自分が謝罪をするのが嫌だから、

謝罪をする責任を負うのは国民であると、ねじ曲げたうえで、その国民に対して、

「謝罪する責任を取り除いてあげました」

と、恩を売ろうとする行為なのである。

2016年夏の参院選が近付いている。

安倍政権に対峙する連合の呼びかけに、民主党の岡田克也氏などが背を向けている。

野党共闘が整わないことにいら立ちの声も聞こえる。

しかし、私は、必ずしもそう思わない。

大事なことは、安倍政権に対峙する正当な候補者を絞り込むことなのだ。

このことを実現することができれば、

自公補完勢力の民主党候補などが乱立することは、むしろ望ましいことである。

原発、憲法、TPP、基地、格差

で主権者の側に立つ候補を一人に選定する。

自公補完勢力から候補者が乱立する場合、票を食い合うのは、

自公候補と自公補完勢力の候補ということになる。

自公と対峙する候補を一人に絞り込むことができれば、

これは、自公対峙候補にとっての好環境なのだ。

「オールジャパン平和と共生」

https://www.alljapan25.com/

が絞り込む候補が、全国的に勝利を収める確率が大いに高まるのである。

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