★『1984』と安倍政権①、権力そのものが目的だ。人の顔を踏み潰す権力だー(孫崎享氏)

「2+2はいくつか。4ではない。独裁者が5といえば5.3といえば3、

『1984』と安倍政権①」と題して、

スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家批判として書かれたジョージ・オーウェル著、『1984年』(Nineteen Eighty-Four)が、安倍政権下の日本に当てはまることを前回記述した。

前回は「2+2は4ではない。独裁者が5といえば、5。

3といえば3。それを瞬時に適合する能力が党員に求められることを書いた。

今回は、「安倍氏は強権発動で何を求めているか」との関連で引用してみたい。

安倍氏自身が意識するする市内を別として、安倍政権の方向は『1984』の世界と同一だ。

・党は権力を手に入れるために、権力を求めるのだ。

・我々は何も他人に善をもたらすことに関心がない。我々は権力だけに関心がある。

富でもなく、贅沢でもなく、長寿でもなく権力のみに関心がある。

・ナチやロシア共産党は我々に近い存在だった。

しかし、彼らとて、自分自身の動機を認識する勇気を持たなかった。

彼らは、権力を不承不承握った、それも一定期間だけ、そしてコーナーを回れば、

人類は自由で同等だという楽園があるとよそおい、そしてそう信じもした。

・我々は違う。

・権力は手段ではない。それが目的なのだ。

・独裁を樹立するために革命を行う。

 弾圧の目的は弾圧にある。

 拷問の目的は拷問にある。

 権力の目的は権力にある。

・権力は人類を支配する。権力はまず肉体を、そして何よりも心を支配する。

・権力は人々を苦しめる。

・権力は苦痛と、屈辱を人々にもたらす。

・権力は人間の心を粉々に砕き、新しい型で作り変える。

・ユートピアの考えた全く逆だ。

 恐怖と裏切りと苦痛、踏みつけ、踏みつけられる世界なのだ。

・我々の世界における進歩とはより多くの苦痛を与える進歩だ。

古い文明は愛と正義を基礎にすると装った。我々は憎しみを基礎に置く。

我々の世界では恐怖と怒りと勝利と自己屈辱以外の感情はない。

我々は親子、人間同士、男と女の絆を断ち切ってきた。

誰も妻や子や友を信頼しない。性的関心も削除される。

・敗北した敵に対する嘲笑以外の笑はない。芸術も、文学も科学もない。

・美醜の区別もない。好奇心もない。あるのは権力の酔いだ。

常に勝利の感覚だ。力のない敵を踏みつける喜びだ。

もし将来を想像したかったら、それは人間の顔を踏みつける靴(軍靴)を思い浮かべるがよい。

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