#深夜の真剣文字書き60分一本勝負 / 傘の花束 旅商人が雨の多い所に商売に来たが…… 1次創作


「このへんは雨が多いと言うじゃないか」
 気の良さそうな、しかし少しくたびれた感じの男が言う。男の身なりはこの天気の割にはずいぶんと清潔で、都会の流行りを追い過ぎても居ないが仕立ての良い生地と解る服をいなせに着流していた。軽く、張りの有るよく通る声で言う。
「俺はここに商売に来たんだ、が、見込みが甘かった」
 彼はビールの瓶をこん、とテーブルに置く。
「そうだな、まあ雨は確かに多いんだ」
 恰幅の良い身体を動きやすい服でくるみ、いかにも料理人であることを示すエプロンを身につけたもう一人の男が、キャンバスを弛まぬように貼ったテラスから地平の方へ見渡せる僅かな空へ目線をよこす。灰色の空。濁った湖。その足元にはウッドデッキ、そのデッキの下には……濁流がウッドデッキの床上に迫っていた。
「どういうことだよ、この天気」
 仮にこの男を旅商人とよぼう。間違いなくそうだ。デッキの上に彼は荷物、おそらくは商品を詰めた鞄を己と共に避難させているようだ。
「このへんじゃあ珍しくないんだが、お客さんはそこまで話を仕入れて来なかったのかい?」
 恰幅の良いもう一人の男、ここの店主がそう答えた。
 旅商人はちっ、と舌打ちをした。
「ああ、そうさ。全く俺としたことが」
 店主は笑顔を絶やさなかった。
「まあそう気を落としなさんな。あんた今しがたここに着いたばかりだろう?」
「ん?まあそうだが」
「じゃあここのみやげ話でも聞くかい?言い伝えなんだがな」
 旅商人は首をあげた。
「長いのか?」
「ああ、長い」
 店主は満面の笑みを浮かべている。旅商人はビールをくいっと煽った。
「勿体ぶるなよ。あんたも話す相手が居ないだけじゃないのか」
「ご名答、と言いたいが……本当は仕込をしなきゃいかん」
 旅商人は一瞬固まって、すぐにビールの瓶を口から離した。
「はあ?この天気で?仕込だと?」
 店主は表情を変えなかった。
「そうさ。……だが特別に俺が時間を割いて話をしてやろう。聞くか?」
 旅商人は心底嫌そうな目を一瞬した。一瞬だけ。その後に、彼は顔を笑顔に切り替えた。
「聞くだけならいいぞ。暇だしな」

 店主が話したのはこのあたりの古い伝説だった。

−− ある若者が昔のある日、とても大きな鯉を釣り上げてしまう −−

 この鯉は湖の主だと気がついた若者は、誰にも何も言わずこっそりと鯉を逃した。ある日、若者の所にうら若い娘が現れ、二人は夫婦の契を交わした。
 しかし、ある日、その娘の噂を聞き、その正体を怪しむ僧侶が現れ、娘の正体が鯉の魔物であることを見破ってしまう。
 僧侶は魔物に取り憑かれた若者を解放すべく錫杖で娘を突こうとしたところを、若者がかばい、若者は命を落としてしまう。
 悲しみのあまり本性を現した湖の主は7日7晩の間豪雨を降らせ、遂には僧侶を溺れさせてしまう……

「……以来、ここに金物の杖を持ち込む奴は祟られる、といわれてるのさ」
 旅商人は口元こそ笑っていたが、心底苦い目をした。
「そうか、勉強になった」
 表情を固めたまま旅商人は答えた。
「どうせ、大方その荷物の中に杖でも入れてきたんだろ?」
 旅商人は、今度こそ口元に勝利の笑みを浮かべた。
「いいや、違う。俺は雨の多い所に着たんだ。杖を売りに来たわけじゃあない」
 そういって、彼は荷物の袋を解いた。そこに入っていたのは丸く曲げられた木の把手を持ち、すぐ下が布で覆われた……
「傘、か」
 店長が目を丸くした。そんな様子を意に介さず旅商人は傘を一本取り出して試す。
「品は良いんだが、一度に拵える(こさえる)量が何分多くてよ、だからまとまって雨が降る所に俺はいくのさ」
 引っかかりもなく、美しく染め上げられた布をぴんっと開く傘は、素人目にも丁寧に作られた工芸品であることを思い起こさせる。
「珍しい」
 店主が思わずこぼした。旅商人は今度こそ驚いた。
「はあ?傘だろう?今どき何処にでもあるじゃねえか」
「ほら、このへんは杖がダメだろ。だからそういうものも使わねえんだよ。周りを見ろ」
 いつの間にか雨は小振りになっていて、ぬかるんだ地面が見える。
「おい、さっきまで洪水だっただろ……」
 旅商人はテラスの縁に乗り出す。さっきまで川だった所を、長靴と雨合羽で歩く街の人々。道行く人は色とりどりの雨合羽を普段着のように着こなしているようにも見える。灰色の空と黒いぬかるみ、白壁の家々に、派手な色合いが映える。
「……」
 しばし旅商人はその景色に心奪われていた。
「おいおい。傘、いらねえんじゃねえか?」
 旅商人の隣に店主が立ち、旅商人の見る景色を見ながら言った。
「あんたにトドメを差すようで悪いが、いらないな」
「……あの」
 突然、二人の男は声を掛けられた。旅商人と店主が振り返ると、白く、ところどころ赤や黒で飾られた、品よくてらてらと輝く雨合羽をまとった人がテラスの階段に居た。その人は彼らの前でずきんを脱いだ。
 美しい女性だった。しばし男二人は見とれていた。
 無言の二人を他所に、その女は旅商人の傘を試し始めた。一本手にとっては開き、もう一本を手にとっては開き、気が付けばテラスは傘の花で埋まってしまった。
 そして彼女は最後に、蓮の葉を思い起こすような緑色の傘を手に取り、開いた後、おずおずと旅商人の前に進み出た。
「こちらを頂けますでしょうか」
 まるで透き通った湧き水を思い起こすような声で、彼女は旅商人に傘を乞うた。旅商人は魅入られて固まっている。
「そうだ……お代……これでよろしいでしょうか……」
 彼女は雨合羽の懐から金の板を取り出し、男達の前のテーブルに置いた。旅商人はその価値を一瞥で見抜いた。古銭だ。あんなものを俺は覆いの掛かってない所で見たことがない。もし本物であれば……旅商人は喉がカラカラに乾いていた。旅商人は金縛りにあった身体を商人の挟持で強引に動かし、ポケットに忍ばせていた条痕版で古銭の縁を後からわからないようわずかにこすった。
……金、だ。傘どころではない金額の。
 震える声を努めて抑えて旅商人は答えた。
「ああ、構わない。全部持って行っても良いぞ。」
「いえ、この一本で構いません」
 若い旅商人は、自分の値効きの挟持を持って「どうしてだ」と食い下がろうとした。が、喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。

 不釣り合いに高く傘、いや、蓮の葉を掲げる彼女の隣に、若い精悍な男が確かに見えたのだ。

 驚いて旅商人は思わず隣にいた店主の顔を見て、もう一度彼女を見なおした……が、彼女の隣には誰も居ない。
 彼女は二人に笑みをかけた。
「……傘は、いいものですね。」
 彼女はそう言い、傘を射したまま雑踏へ消えていった。

 旅商人と店主は、ほけっとその場で立ち尽くしていた。

「おい、おやじ、メシできてるのか?」
 客からの声で二人は我に帰った。
「……いい年こいたオヤジが何傘であそんでんだよ?店が花束みたいになってるぞ?花屋の真似でもはじめたんか?」
 店主は笑顔で常連の客に答えた。
「ああ、すまん、メシはまだだ」
「おい何だって?」
 店主は大笑いした。
「今日は魚料理は出ねえ。っていうか出せねえ。そこんところよろしくな!」
 傘を片付けていた旅芸人も、少し首をかしげたあと、店主が何を言っているのかわかったのか、つられて大笑いしだした。

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