同田貫の末路多岐にわたりすぎ問題を受けて、確認できた範囲でまとめてみました。結果、俄に同田貫プレゼンと化しました。追加情報大歓迎。


~同田貫が迎えた末路~

かるーく、同田貫とはなんぞや?
・兜割りもやってのける、重く頑丈な実戦特化の作り
・美術品としては評価が低い
・備前長船や加州清光のように、同田貫正国という刀は多数ある
・同田貫派は刀工群で初代が正国、同田貫●●という刀は正国以外にも数種類ある
・ゲームの同田貫正国が集合体であるという説は↑の事実と、
兜割りに使用された刀がどの同田貫正国なのか特定が出来ない
(更に言えば、使用された刀が保管されているわけではないので正国という確証もない、
逆に言えば、同田貫ということだけは伝わり、そのポテンシャルの高さを証明する逸話となっている)
ことから派生したもの

そんな同田貫なので、来歴を調べようとすると膨大すぎて
どこまでをゲームの同田貫正国に反映するのか……よくわからないことになってしまいます。
以下には、これまで私が聞き及んだもので同田貫の末路(壊れてしまった原因)に絞ったものをまとめておきます。
故意の破壊、焼失、鉄材転用、埋没、水没、
恐らく、これ以外にもまだまだあるのでしょう……。


【実戦による破壊】
言わずもがな同田貫は実戦刀であるため、消耗品として使い込まれそして壊れていった。
(多くの同田貫刀が作られたが現存が少ない一因)
国内の合戦のほか、文禄慶長の役(朝鮮)でも使用されたことが明らかである。

【試斬による破壊】
出典参考:「刀と真剣勝負」渡辺誠著
刀の切れ味を証明するための試し斬りは、
同田貫に関わらず多くの刀で実施されたものである。
耐久度の証明のため破壊するまで行われることもある。
(同田貫が試し斬りで破壊されたという明確な記述はないが、参考までに
そもそも兜割りは試し斬りの1つと言える)

【賭事、道楽として故意の破壊】
出典参考:不明、刀剣乱舞ユーザー情報
著しい頑丈さがかえって、「どうすれば折れるか」という発想を呼び、
同田貫が折れるかを賭けの対象とするなどという道楽が江戸時代の一時期あったという。
但し詳細は不明。

【熊本城と共に焼失】
出典参考:web文芸誌片隅 伽鹿舎・青木のよしなごつ 「同田貫とお城」 青木勝士著
西南戦争時に原因不明の火災で熊本城が焼失。
その際、城備刀として保管されていた同田貫も焼失。
平成17年の発掘調査で太刀2振り、刀2振り、脇差4振りが焼けた状態で出土。
但し、全てに同田貫銘があるわけではなく、城備刀は多くが無銘刀であり、それに加えて同田貫刀も存在していた、ということになる。
また、明治6年の廃城令以降不用品として城内から多くの刀は転出しているとのこと。
→全国に散在することになるためその後が不明、
後述の憂き目にあったものも少なくないだろう。

【軍艦資材への転用】
出典参考:不明、刀剣乱舞ユーザー情報
戦艦武蔵に同田貫が使用されたといわれるが詳細不明。
但し民間から鉄材の回収は刀剣に限らず金属器具全般を対象に実際に行われていた。

【GHQ接収を免れる為の埋没、水没】
参考:こころピア職員さんの解説
武装解除を目的としてGHQは軍民問わず武器類を接収。
接収を免れようと同田貫を玉名市内の古墳の穴へ隠したり、あるいは土の中へ埋めたり、また川へ沈めたりして隠匿した。
その後回収されたものがあるかどうかは不明。

【接収後の焼却処分、海上投棄】
参考:Wikipedia「日本刀」、「占領期における非軍事化と武装解除:特に「占領軍の刀狩り」を中心として 荒 敬著
接収された刀剣はその後返還されたものもあるが、
(こころピアの常設展示の同田貫正国がその一例)
多くは日本近海へ投棄されたり、あるいは石油を掛けられた状態で焼却された。
武器の接収は全国的に実施されたものであり、美術的文化的価値から接収を免れた刀がある一方で、名刀とされるような刀も処分されていったという証言あり。
(同田貫が処分投棄されたという具体的な記録は見られないが、
上述の状況を鑑みると美術的価値が低いとされた同田貫が
接収を免れる、あるいは処分されず返還されるケースはむしろ稀だったのではないだろうか)

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