(○´ω`○)ノ某作品の感想【ネタバレ注意】


【ネタバレ注意】( ^ω^)一部で激烈な反応を起こしている市川哲也著『名探偵の証明 密室館殺人事件』を読了。実際に読む前から各方面の方から色々なお話を聞いていてハードルを上げて(あるいは下げて)いたのですが、いま本作を読み終わっての感想は「えっ?別にそこまで悪くないというか、なかなか面白かったかも?」という感じで、と言うのもこれは読む前に多紀さんや麻里邑お姉ちゃんの情報から、いわゆる「普通のミステリの面白さ」とは逆のベクトルに補助線を引いて本作を読んだからであり決して「ミステリとして出来がいい」とか「トリックが凄い」とか「このロジックが!!」とか「このフーダニットが!ハウダニットが!」というのでは一切なく、むしろミステリとしては地上ギリギリの超低空飛行でしかも着陸にも失敗してる事故感たっぷりの1作で、普通にトリックや本格ミステリとしての出来の良さに期待して読んだ方には怒り心頭な出来だとは思われるのですが、作者氏が本作に仕掛けたと思われる「戦術」と「戦略」がなかなかに私には興味深かったのです。以下これから書くことはあくまで私の想像妄想の類いなので作者氏が作品に込めた意図や思惑とはまったく違うことが99.9999……%確実な与太話なのですが、超絶暇なんでテメーの妄言に特別に付き合ってやろうという仏の心を持った方や、哀れなブタの話しを聞いて功徳を積んで天国にいきたいという方のみ続きをお読みください。すげーグダグダで、しかもテキトーで結論もないようなことを書いているので読んでも怒らないでね。あとガンガンネタバレもあるよ!!




えーと、私がこの作品を読み終わって初めに抱いた感想は「これは持たざる者の戦い方だ」というもので、ここでいう「持たざる」とはハッキリ言えばトリックの独創性や発想力というミステリ作家としての武器があんまり無いなーという意味で一般的にトリックやロジックが重要視されるミステリ作品としてそれはどうなんだ?というところでもあるんですが、本作の作者氏は、持たざる者の戦い方として「ミステリ・トリック部分が弱いことは自分でも十分に分かっている。だったらこれはもう逆に開き直ってトリック部分の弱さを他の部分……例えば構成や演出の見せ方、物語やキャラクターの魅力でカバーし読者の目を別な部分に誘導してやろうじゃないか」という戦術・戦略を取ったのではないかと私は思うわけです。これが普通の他の「ミステリ作家」であれば何とか工夫してミステリ部と他の部分の並立を目指したりするわけなんでしょが作者氏はちょっと違います。氏は『たとえトリックやロジック部分に目新しさがなくとも、もしくはチープで陳腐だったりしたとしても、それを客観化し自覚的・確信的にさも自分は全部分かってやってますよ的に使えば(演出と構成をこねくり回しそれを何とか効果的に見えるように使えば)、ミステリとしては致命的とも言えるこの難局を何とか誤魔化し乗り越えることができるのではないか?』というミステリとしての骨を断たせて肉を残すという逆に新鮮な戦術を繰り出してきたのです。そしてその戦術(企み)はある部分では成功し、またある部分では見事に失敗していますwおそらく本作を読んだ多くの読者が一番(色々な意味で)驚愕したであろう「トリックが低レベルなのは、この世界が物語の世界ではなく現実の世界だから」という「それを言っちゃーおしまいよ!!」というこの部分は、これもう逆に一周回ってギャグとして成立しているようなものですが(ここは作者氏の思惑通りだと思います)、さらに氏はことあるごとに「千反田えるちゃんが~」「体育館の殺人が~」「三大奇書が~」「江戸川乱歩にクロフツに西尾維新が~」とやってみせ、極めつけは作中のキャラクターの一人を大沢在昌と日本推理作家協会賞を同時受賞し、島田荘司と比べられるミステリ作家に設定し、さらにさらに自作を思わせる作品のことを自作の中で自分の生み出したキャラクターに「去年の鮎川哲也賞のやつなんか歴代最高のトリックだと思うんスけど、あんま売れてないみたいっスね。そういうのが逆に応援したくなるんスけど」と、さあここは笑うところッスよ~!!全部自分分かって書いてます&言ってますッス。えへへへー皆さんこーゆーの好きでしょう~?作中で過去の名作の名前だしたり、過去から現代までの作家名をだしたりするの?しかも自分の作品のことを歴代最高のトリックって言っちゃったッス。分かってます。分かってますってそんなことは~、そんなん全然思ってませんよ~歴代最高トリックって、、、ハハハハハ、ギャグです。ここはギャグなんです!!どーですーこの若干痛い開き直り風ギャグ?面白ッスよね~?ねっねっ?(祇園寺恋風)と我々読者をど滑りギャグの共犯者として巻き込もうとしてくるのですが、むしろここの部分は、そんなんもこんなんもなにも逆に作者氏のそーゆー意図を全部読者が見透かしていて、神経を逆なでし、いらん反感を買うという結果に陥っているわけですが、どうでしょう皆さん?これってけっこう微笑ましくありませんか?面白くありませんか?まあこーゆー芸風では好き嫌いは絶対に別れると思います。むしろ嫌いな人の方が多いかもしれません。けど私は意外とこーゆーの好きなんですよね。私のtwitterを普段から読んでる方は知っていると思いますが、私はこーゆー自覚的ど滑りギャグが大好物なんですよ!!私は映画が好きでちょくちょく観たりしているのですが、映画(に限りませんが)でもよく監督や脚本家が自分の作品で、キャラクターに自分の好きな監督の映画を観せたり語らせたりしてるじゃないですか、これはもう感覚的なもので何がそれを左右するのかは分かりませんが(その作家の普段の発言やパーソナリティかな?)、それが鼻につく作品(作家)とつかない作品ってありますよね?例えば、これは例えばの話しで、ここで引用される監督やその作品、本作で引用されている作家さんや作品には全然何も含みはないですし責任はないのですが、自分の中の曖昧な判断基準で映画(や他ジャンル)の作中でブロックバスター作や超有名な名画名作、通っぽい作品をこれみよがしに語ってみせるのは安っぽく感じたり、逆に今ではあまり有名ではなかったりカルトだったり隠れた名作だったりすると「、おっ!この監督(作者)なかなか分かってるじゃん」と思ったりはしませんか?まあその逆で「ケッ!マイナー作持ってきて気取りやがって」ってのもありますし、さらに言えばカルト作や隠れた名作って時点である程度それももともと評価されているということですが、まあこんな風に縛っていくと何も書けなくなるんですが、本作で言えば、これが本文中に出てくるのが西尾維新の名前だったり青崎有吾作品だったりするのではなく(含みはありませんよ!!)、過去の国内外作品、早川や創元や国書や論創で出ている作品や作家だったらどうでしょうか?クイーン(これは出てきたか)やカーやヴァンダインやアントニー・ギルバートでもルーパート・ペニーでも山村正夫でもなんでもいいんですが。作者氏にはそーゆー選択肢もあったはずです。「おっ!この作者分かってるじゃん」と読者に思わせる手が(結局どっちにとられるかは分かりませんが)、それをあえて封印して「こっちは江戸川乱歩……クロフツに西尾維新まであるっスよ。国内外の有名どころはコンプリートしてるんじゃないスか。これは血が騒ぐっスね~」と言わせるセンス!!この乱歩とクロフツと西尾維新を並べてしまうこのセンス!!これが同じど滑リストとしてマジで私は嫌いではないのです!!むしろ好き!!さっき上で「地上ギリギリの超低空飛行でしかも着陸にも失敗してる事故感たっぷりの1作」と言いましたが、これは「地上ギリギリの超低空飛行という命知らずな超絶アクロバット飛行を決行し、着陸の寸前操縦を誤り墜落しそになるもパラシュートで華麗に脱出に成功し地上に降りた瞬間車にはねられて結局大けがした1作」と言い換えてもいいでしょう!!まあこれだけ書いてもなんのこっちゃって感じでしょうが、大丈夫です。自分でも何を言っているか何を書いているのか解りませんwニュアンスです!!俺の思ってること文章にしないでもみんなに伝われ~♫



さてさて、本作は表向きは「クローズドサークルでデス・ゲームを♫そして被害者どうやって殺したのかを考えてね♫」というハウダニットのミステリなのですが、まあ私はこのデス・ゲームというのがあまり得意ではなく、どうしても「そもそもなんでそんなことせにゃならんのだろ?」と考えてしまう口でして、普段だとなかなか素直に物語に入っていけないのですが、本作では別にガチガチのデス・ゲームデス・ゲームしていなくて物語に入りやすかったのです。というか作者氏も別に本当にデス・ゲームがやりたかったわけじゃないから当たり前なんですが、「犯人」である近頃不振のミステリ作家である拝島登美恵がデス・ゲームに偽装して(最初の一人は殺しているけれどそれはデス・ゲーム参加者ではない)最初の殺人やモニターを通しての伝わる人には伝わる教唆やなんやかんやで殺人のへのブレーキや理性のタガを外して参加者同士を殺し合わせ、それを自分の犯行ように見せかけるというトリックを使うのですが、確かに「人」を駒や道具として使ったのではあれば、ぎりぎり、、、100歩、、、いや1000歩ゆずって「共犯者はいなかった」という、作中の言葉を借りて言えば「共犯者」でなはなく「便乗犯」ということでこれはアンフェアではなかったとしましょう、つまりは最後には諸々の罪を全て被って自殺すると言ってる拝島が、参加者たちを監禁し、参加者たちに殺人をしやすい環境を与えるという話がハウダニットの推理の肝であり、全体の推理の途中までで、以後はそもそもなんでこんな企てをしたんじゃらほい?というホワイダニットを解き明かす推理になっていくのですが、そもそものハウダニット部分の真相があまりにもショボイので読者の方も「あぁーどうせそんなことだろうと思ってたよ」というせっかくの驚きが半減してしまうなんとももったいない構成になっているのです。作中の伏線でもあるノンフィクションであるところの『名探偵の証明』の中にある事件はトリックがショボイというのと、スランプ気味のミステリ作家が考える脚本なんでショボくて仕方がないというのと、ハウダニット部分の推理で語られる「トリックが低レベルなのは、この世界が物語の世界ではなく現実の世界だから」というのはこのもう突っ込みません。分かりました、、、、分かりましたが!が!!もっと何か巧い見せ方があったんじゃないのかな~?っとどうしても思ってしまうわけです。それにそれに話は前後しますが、本作で一番可哀想だと思われる自分が好意を寄せていたいた女性に利用され自殺の瞬間を撮影させれた栖原くんが憐れすぎてならないのです。どんな理屈をつけようが人の心に一生ものの傷が残るような事態に引き合わせておいて、そのカウンセリング推理でも「最期に見たいのは、好きな人の顔」っておい!!エゴっていうか悪魔かよその自殺した女は!!それに蜜柑花子も!!いくらあなたの責任ではない、彼女はあたなが好きだったと慰めを言われても、これは逆に吹っ切れるどころかもっと栖原くんに致命的なとどめを刺すわwそして娘の死の真相を知ってもボコボコにした栖原くんに一言の謝罪もなく自分だけ自殺してあの世へ逃走する父親!!この父と娘迷惑すぎる、、、、、



んでもって、物語は事件後のエピローグを迎えるわけなんですが、本作を最後まで読んだ方はお分かりになると思いますが、本作はこの後も続いていくであろう蜜柑花子を名探偵とする「名探偵サーガ」の中の1作でありワトソン役日戸涼の誕生物語であり、この後の蜜柑花子のライバルになるであろう祇園寺恋の登場の物語なのです。つまり私がなにを言いたいのかと言うと祇園寺恋ちゃんブヒブヒペロペロ♫オイラこーゆー小悪魔的悪女だーい好き♫実は1作目を読んでないんでポロロッカして読みますね♫ということなのです(ホントか?



そして多紀さんの仰られていた本作と『鏡の中は日曜日』は「ネガとボジ」そして「両方に共通する要素」とは、これはどこにトリックのリアリティを定めるのか?というポイントだと私は考えたのですが、多紀さんいがかでしょうか?『鏡の中は日曜日』では新本格ミステリ、もっと言うと綾辻作品のフィクションレベルにトリックのリアリティを定め、本作『名探偵の証明 密室館殺人事件』ではかっこ付きの「現実」のフィクションレベルにトリックのリアリティを定めた、、、ということで。

それとも劇中にでてくる「ミステリ作家」というのはテンパるとなにをしでかすか分からん人種だぞwってことかなwww?鮎井センセーw

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