yuerun6002

あき@JYS · @yuerun6002

6th May 2015 from TwitLonger

キムユンソクさんの2014/08/22の「海にかかる霧」についての興味深いインタビュー


読み応えがある素晴らしいインタビュー。
http://tenasia.hankyung.com/archives/301389
ここで出てくる「水位」とは、韓国語でも「スウィ」。そのまま水位という意味もありますが、映画においての水位とは、「成人度」「露出度」「残酷度」などの年齢閲覧制限に関わるほうの意味だそうです。



キム·ユンソク、「水位を下げてはならない。 19禁を撮りたい場合は19禁で...」

「三回の中の一回程度は19禁映画に出演したい。今のように猫も杓子も15歳映画だけ撮っていては大変なことになるでしょう。自分が作りたい映画が19禁であれば、それを作る必要があります。ちょっと避けたい話でも、現実に直面する必要があると思います。」これが俳優の本気。(*下のインタビューでは、「ヘム」のスポイラーがあります。)

Q.「ヘム」は人間本来の欲求を含んでいるという点で、前作「ファイ」と同じような話題を持った映画です。演劇的そして象徴的な構造も含んでいます。このような作品に唯一関心が高いようです。
キム・ユンソク:作家主義的な精神が入った映画がますます消える傾向です。それに比べて「ファイ」や「ヘム」は、メッセージが非常に明確な映画たちです。私がそんな作品に惹かれるのは事実です。このような作品が私が出演することで投資されるならば、いつでも出演する意思がありますよ。良い作品が、投資のパワーを持っている俳優が出演を固辞したことによって霧散するとしたら、どれくらい恐ろしいことでしょう。最近興行に有利な15歳の映画づくり運動が行われているようだが、私はこのような時勇気をもって19禁映画を作り上げる映画関係者を支持している。井戸を掘らずにおいしい水だけ飲み続けたならば、その井戸は枯渇するのだと見ます。その意味で、このような作品が出てこなければならないと考えているのです。

Q.そのためか、フィルモグラフィに19金の映画がぎっしりです。
キム·ユンソク:三回に一回程度は19禁の映画をすべきではないかと思います。監督もやはり同じだよ。ちょっと避けたい話でも、現実に直面する必要はあると思います。

Q.「ヘム」は心理的な面での水位が強く感じられる映画です。原作を見た立場で、キャラクターも演劇よりも映画の方が強いという印象を受けました。演劇の場合、乗組員との間の情が目立ったが、映画では、衝突する姿が浮き彫りにされていますね。
キム·ユンソク:そのとおりです。それでもいくつかの部分では、演劇がより強い。演劇は残酷な想像をしてしまうじゃないですか。その想像を映像にすべて移したとすれば、本当にぞっとしただろうと思います。

Q.船にこだわる船長チョルジュ(キム·ユンソク)、紅梅(ハンイェリ)に執着しているドンシク(パク·ユチョン)、女に頭がおかしくなるチャンウク(イ·ヒジュン)などの人物が一つになったように吹き荒れたんですね。
キム·ユンソク:解釈が分かれる事ができる映画です。果たして極限の状況で最も理性的な人間が誰なのか。私は船長が最も合理的だと思います。最も狂った奴はドンシクだと思うよ。いや、女性のために数年を一緒にした仲間たちを捨てようとするなんて!紅梅を抱いて行く時は「あいつはまさに狂ったね」となったからね。(一同笑)

Q.以前のインタビューで「黄海」のミョンガ(キム·ユンソク)は、本能より理性的に動く人間と言いましたが、今回のキャラクターもそうとらえて演技をしましたね。
キム·ユンソク:チョルジュは(船の)家長じゃないですか。もし我が家に遊びに来た客を部屋に泊めたが、練炭ガスを吸ってみな死んだとしてみます。家長は、このような場合、どのようにすべきでしょう。道徳、倫理、良心をすべて抜いて、生存そのものを見ると、生きている者を生かすべきではないか?右往左往する子供をなだめて、最も合理的に判断しますよ。チョルジュもそれで最後まで精神を維持していようしていたはずなのに、最終的には本人も崩れますよね。ある意味では、船と一緒に水葬されることで贖罪をしたという気もします。

Q.チョルジュの判断が正しかったと見ていらっしゃいますか?
キム·ユンソク:どうだったと思います?あなたが船長だったら?なぜ、小説家イ·ムンニョルが書いた「フィロンの豚」という短編がありますよね。ギリシャの哲学者フィロンが船に乗って旅をするが、船が海の真ん中で大きな嵐に出会う。すると船内は右往左往する人で修羅場になります。そのような状況を見ながら、フィロンはすばらしい知識を持っていたにもかかわらず、何もできない。その時フィロンの目の隅に、ゆったりと寝ている豚一匹が捕らえられます。それを見てフィロンが下した結論は、「私は今ここでできることは、豚の隣で寝ていることだ」こう結論しましたよ。 (笑)それをイ・ムンニョルさんは、除隊兵士たちが乗った列車の中の話として解いて、傍観者、グレーな日和見主義者などを批判したが、そのような状況で誰か一人くらい、ふと我に返って何かをするべきではありませんか?私はそれがすぐに船長の役割だと思いました。だから船長はそれなりに理性的な人物だと判断をしたつもりです。

Q.話を聞いてみると「ヘム」は選択についての映画という気もしますね。それでは、意味としての質問をするなら、演じる毎瞬間の選択に置かれている存在じゃないですか?俳優として多くの選択をしてきて、悔やまれる瞬間はなかったですか?
キム·ユンソク:私も人だから後悔をします。かといってジレンマに陥るスタイルではない。 「次はもう少し良い選択をしよう​​」と言いながら経験によって学んでいったのだと思う。

Q.記者懇談会時にチョルジュという人物について、「家に行くことができなくて船が家でなければならない人」と言われました。
キム·ユンソク:私たちは、撮影に先立ち、船乗りのリアルな姿が盛られているドキュメンタリーを数十編を見て、実際に彼らに会ってみると、彼らの人生がぐっと入ってきました。チョルジュの行動について突発的だと考えることもできますが、船の中での船長の権力とか影響力は船に乗る人にとってはとても身近なものであるのです。朝鮮族が反発を起こすときにチョルジュが一発で制圧をしてしまいますが、それは彼らにとっては必要な部分です。そうでないと、その狭い船の中で何が起きるか分からないんですよ。船上反乱はとても大きなリスクです。だから、外国の場合は船上反乱の兆しが見られたときは船長に生殺与奪権が与えられたりもします。

Q.それにも関わらず、船に向けたチョルジュの執着は恐ろしいほど熱く向かってきます。
キム·ユンソク:チョルジュには「この船を生かすことができる」という盲目的な信仰、それ一つしかありません。妻は白昼に浮気相手の男と通じていて、廃船を防ぐために住宅ローンを受けようとするがそれさえも銀行から断られて...船を何とかして生かしてこそ彼の人生も存続するだろう。船がなくなれば自分もなくなるという考えで走っていたと思います。

Q.チョルジュに船がそのような存在であれば、俳優さんにはどのようなものがそんな存在ですか。
キム·ユンソク:最も簡単な答えは、家族であるはずですが、それを抜いて言えば「興趣」だと思います。興味を失う瞬間、演技の情熱も好奇心も、すべてのことがみな薄くなってしまうでしょう。その興趣が消えるかと思って怖くなります。 「年齢とともに血が冷めてしまったらどうしよう」「自分も知らない間に1つ2つと、それを落としてしまったらどうしようか」最近、そのようなものを警戒している中です。

Q.現場には興を与える要素が多いでしょう。それは相手俳優であることもあり、作品自体であることもあり、監督のディレクションであることもあり。俳優さんにはどのようなことが最も大きいですか?
キム·ユンソク:状況によりますが、どうやら一緒に俳優たちと興をやりとりするのが最も良いと思います。複数の要素の中にはカメラもあります。いくつかのシーンを撮ってモニターを見て、私たちが見られないことを撮影監督が驚くほど捕らえていたとき、「はっ!カメラがこれを捕まえた?ああ、これキャッチしたかったんだな。OK、わかった!」と言いながら興が熱くなります。

Q.カメラの話が出てきたところで、さて、最後のシーンでカメラがチョルジュをクローズアップでとるときの感じがとても良かったです。 「もし私が俳優であれば、このワンカット一つのためにも出演したい」と思うほどでしたよ。
キム·ユンソク:実際にそのシーンはカメラが望遠で引いて撮ったんです。すばらしいテクニックです。近くでもカメラのフォーカスを取るのが難しいが、そのものすごい望遠で揺れることなく掴みだすとは。それはホンギョンピョ撮影監督のチームのすごさです。びっくりしました。しまいには、撮影している途中、フォーカスを捕まえるスタッフの顔をもう一度見てみたからね?そんな時は本当に興が湧きます。

Q.「ヘム」は劇団ヨヌ舞台の創立30周年記念作品です。ヨヌ舞台出身で、ヨヌ舞台30周年記念作品を映画化した作品に出演したことも非常に意味のあることだと思う。
キム·ユンソク:興味深いです、笑ってしまうほど。 「殺人の追憶」は、ソン·ガンホさんがやったし、「ヘム」は、私が出演した...本当に、面白いと思います。知られていないですが、それ以外のヨヌ舞台作品の中映画化された作品が多いです。 「王の男」は、あまりにも有名で。演劇を映画化した作品がさらにいくつか準備されていることからもわかります。映画制作の方々が演劇に大いなる関心を持っていたんですよ。

Q.今回のパク·ユチョンもそうですし、ヨ·ジング、ユ・アインなど、多くの若い俳優たちがキム·ユンソクと作業をした後、俳優という評価を受けることになります。演技的にとくに助けることがありますか?
キム·ユンソク:そんなもの、ありません。私が彼らに何か役立つことがあれば、撮影現場でシュートが入ったときに形成される任意のオーラでしょう。いろいろな種類の雑念は捨てて完全に引き受けたキャラクターに集中できるように雰囲気を作ること?それが私が彼らにしてあげることが出来る最高の支援だと思います。嬉々として遊んで「シュート」が入ると集中して、また出てきては先輩後輩の関係なく、いたずらをして遊んで、撮影入ると再びピシっと緊張して。今回の「ヘム」は、そのような訓練ができていた先輩が特に多かった。ユチョンがそこでまたうまく遊んだんです。パク·ユチョンは本当にスポンジのような友人です。適応力が凄いですよ​​。

Q.俳優様にもそのような先輩がいたでしょう?
キム·ユンソク:昔演劇をするときに、劇団木花やヨヌ舞台の作品を見て感じたのが多いです。舞台の上で最も演劇的な言語で最も演劇的に生きて動く俳優たちを見ると、「うん、虚しい考えは放り出し集中しよう」という思いが自然に出ました。それ自体が勉強でした。

Q.見習いシステムを経て実力を積んできた俳優と、演技塾出身で現場に投入された俳優。多くの違いを感じておられるのですか?
キム·ユンソク:俳優同士簡単に、「ホン·ギルドンが道術を学ぶために拭き掃除からする」と表現したりしますが、そのような徒弟システムで学んだ俳優たちとそうでない俳優たちとのギャップがとても大きかった時代がありました。その時は化粧だけできれいなふりをする子供たち、演技の基本もできていなかった子供たちがあまりにも多かったです。しかし、ますますそのような壁が崩れていると思います。ますます良くなっています。学ぼうと努力する姿勢もよくなっていて。そのような過程の中で徒弟システムの剛直な部分も柔らかくなっていますよ。

Q.製作者として会ったポン·ジュノ監督はどうだったですか?
キム·ユンソク:この方は本当に映画をあまりにも愛する人です。 「雪国列車」をするのに忙しい渦中にも巨済島まで降りてきては横にいてくれて、俳優たちにお酒も買ってくれて(笑)俳優たちには本当に良い製作者なのですが、製作会社としてはそうですね。ハハ。この方はただ監督をするのがよいと思います。例えば製作者の立場であれば、「これを3回以下で撮る。これ以上の製作費は入ることができません」とキチキチと切るのが必要でしょう?ところが、この方は監督だから、監督の心をあまりにもよく知っているでしょう。最終的には「3回目どうにかしてみますね。撮ってください~」こういっているので。(笑)ビジネスをする方ではないと思います。はっはっはっは。

Q.製作者ではなく、監督ポン·ジュノと一緒にコラボレーションをしてみる計画はありますか?
キム·ユンソク:私たちはいつでも良い作品で会おうと言いますが、問題はキャラクターですよ、キャラクター。しかし、ポン·ジュノ監督と仕事してみたいと思わない俳優なんて誰がいますか。

Q.さっき興趣話をしましたが、多くの人が興を見つけようと、さまざまな分野に挑戦しています。俳優様も演技に加えて、他のものに興味を持っていることで分かるのに、それはいつ見せてくださるんですか(笑)
キム·ユンソク:ハハハ。シナリオが私の手で書かれた日でしょう。脱稿がきっちりできた日。

Q.書いてはいらっしゃるんですか?
キム·ユンソク:はい。色々なことをしています。作品も書いて、カメラも勉強して。しかし、このままでは年だけ食ってしまうかもしれない。

Q.昨年「ファイ」のインタビュー時に「マスター」のフィリップ·シーモア·ホフマンが好きだと言ったでしょう?
キム·ユンソク:ところで、その方逝かれてしまったでしょう。

Q.その有能な才能を持った俳優が早くこの世を去り(今年2月2日)...このようなのは俳優としてどうですか?
キム·ユンソク:「ああ、容易ではないね。演技というのは、本当に容易ではないね」と言いたいです。その方は演技の後に来る荒廃に勝てず、薬に依存して生きていた人なんですよ。

Q.誰かそれを見ながらそう言いました。韓国の俳優たちは本当にすごいという気がすると。
キム·ユンソク:韓国俳優たちの場合制約がさらに多い、守らなければなら規律が本当に多いです。極端な例として、ここでは、俳優が浮気を一度したら終わりじゃないですか。しかし、ハリウッドは許るされることが多いから、それだけ危険でもあるそ、自由でもある、そのようなことだと思う。

Q.もしハリウッドで生まれたならどのような俳優になったと思います?
キム·ユンソク:外国で生まれた場合は、「ビフォアサンライズ」のイーサン·ホークのように生きたでしょう。(笑)イーサン·ホークは、文も書いて俳優もするでしょう。そのような作業をもう少し早くしたと思います。私たちは、このような場合、「あえて!」「おまえなんかが!」という雰囲気があります。歌手が俳優をして、俳優が監督をして、記者がシナリオを書く、そのような部分で柔軟になる社会になったらいいですね。偏見を持ってみたが、あまりにもうまい!それでも無視できますか?うまくやれば認めるべきだと思います。そのようなものを歪曲させる瞬間、その人はますます小さくなるでしょう。

Q.ちょっと敏感な質問でもありますが、「ヘム」を見てセウォル号を思い浮かべる方が多いです。映画の最後には、イメージ的に重なったりもしましたよ。
キム·ユンソク:(詰まったように)そう...映画を撮る時は想像もできなかったことでしょう。ひとまずその事とこの映画は、時期的に離れすぎていたし...事件が起きた時もまったく。その事件自体があまりにも大きくて映画まで行く意欲が湧かないじゃないですか。それは目の前で起こっている、本当にそれ自体というか。

Q.最後の質問です。 「ヘム」を介して得られたものがあるとしたら?
キム·ユンソク:1年に1回程度は、このような作品が出てきたらいいですね。今のように15歳観覧可の映画だけ撮っていたら本当に大変なことになると思います。自分が作りたい映画が19歳観覧可であれば、それを作らなければならない。水位を下げて15歳に行ってはいけません。そのような意味で「ヘム」のように制限せずにぐんぐん行く映画がたまに出なければならないと思うよ。

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