@sailorsousakuTL 軽率なみなちゆ・イミテーションブルー

---

　どうしてこんなことになったのか。

　科学部は熱心な部員は二人しか居ない。
　とはいえ、一人は飼育委員と家の手伝い――動物病院と聞いたことがある――もあり、その熱意とは裏腹に、なかなか実験室に来れない事が多い。
　そして私も、なんの因果か生徒会の副会長などという役職に押し込まれ、そちらの仕事に追われることが多いから、やはり毎日来るという訳にはいかない。他にも部員は居るには居るけれど、残念ながら他にも大事なことがあるらしく、幽霊部員とまでは言わないまでも、めったに顔を出さない。
　一応二年生でありながら、科学部の部長を兼ねてる私としては、頭の痛い話である。
　私の代で部が潰れるのは忍びない。というわけで、まずは周知を。知り合いやさらにその知り合いを科学部に引っ張り込んで、たまにデモンストレーションをするようになった。効果の程は今のところないけれど、何もしないよりはいいんじゃないかと思っている。
が、それはさておき。
　手を動かしながら、ちらりと視線を横に走らせる。
　一瞬だったのに、ばっちりと目が合った。手をひらひらと振られたのだけ視認して、手元に視線を戻した。つまり今のは私の横で実験を観察している彼女が、おそらくよそ見もせずに私の作業を見ているに違いない。ふわふわした髪の毛が、特に風のない室内でも揺らめいているのが、残像のように脳裏に残る。
　だめだだめだ、集中しよう。
　意識して思考を切り替える。簡単な実験とはいえ、使っているのは水酸化ナトリウムと過酸化水素水。うっかり目に入ったら失明する。私も、そして隣にいる――智由利先輩も、今は保護メガネをかけている。特に、智由利先輩は目に異常があったら空を飛べなくなってしまう。
　きっと、緊張はそのせいだ。他に理由なんて無い。はず。


「だれか、科学部の実験を見てみない？」
　今朝、最近の日課になっている言葉を口にしていた。朝美は珍しく朝から学校に来ていたけど、私の様子をぼんやりと見ているだけ。
「朝美も少しは手伝ってよ」
「んー、昨日は父さんの手伝いで遅かったからパス……学校来たのが奇跡なんだよ」
　どうせ来たのは一限が生物だったからだろう。これがもし英語だったりしたら、遅刻という名のサボりをしていたに違いない。
　はあ、と小さくため息を吐いた。まあ、自分で始めたことだからあまり強くも出れない。
「今日は刑事ものや推理もので有名なあの反応をやってみるんだ」
「へえ……興味あるなあ」
「あ、本当に？　って……あの、智由利先輩？」
「同級生なんだし、智由利でいいのに。ふふっ」
　声がする方を振り向いたら、そこには、同級生になってしまった先輩が立っていた。みんなと一緒に卒業することよりも、空を選んだひと。目の前のできごとを拾い上げることが精一杯な私には理解できそうもない。とにかく、なんというか、捉えどころがなくて苦手な部類に入る人だ。捉えどころがないといえば綾葉さんが思い浮かぶけど、あの人はあまりそうは思わないのだが。
　ただ、この人が撮った空の写真は、とても綺麗だと思ったことは、しっかりと記憶に残っている。
　いや、科学部の宣伝のため、誰に来てもらっても構わない。構わないんだけど……。なんというか、予想外だった。


　薬包紙に入れた試薬をさらりとフラスコに入れる。
　ふわりと粉が液体中に広がって、かき混ぜていくとじわりじわりと再び透明に戻っていく。それを確認してから、予め量り取っておいた過酸化水素水を加えて、よくかき混ぜる。
　最後に薬さじの先に、ちょんと粉末を載せたあと、智由利先輩に告げた。
「あの、準備が出来ましたので、明かりを消してもらっても良いですか？」
「うん、いいよ」
　返事をもらった少しあと、部屋の明かりが落とされる。窓は遮光カーテンを広げているので、真っ暗闇。
　それを確認した後に、薬さじに乗ったわずかな粉末を、ぽとりと溶液に落とした。

　ぼんやりと、青い光が暗闇に浮かぶ。

　ルミノール反応。
　よく、血痕の判定に使われるという、あれだ。
　暗視野に切り替わった目には、この光は明るく見える。明かりを頼りに、入り口まで戻った智由利先輩がこちらまで戻ってくる。
「うわぁ……青いね」
「そうです、先輩が撮った写真の、空の青さとは違いますけど」
　そう、よりにもよってルミノールだ。作られた青い光。あの時綺麗だと思った空に比べると、随分と見劣りする。同じ光を扱う実験なら、もっとカラフルな発光をするものにすれば良かった。
「ううん、綺麗じゃない。美南はすごいね。この手は、色々なものを生み出す手なんだね？」
「えっ、うわっ先輩？」
　いつの間にか、すぐ隣に立った智由利先輩に手を取られてしまった。電子工作やこういう薬品を日頃から触っているせいで、私の手は少しがさがさしている。智由利先輩の手は柔らかくて、女性らしい手だな、と思った。
「ねえ、いいかげん先輩止めよ？　そうしてくれなきゃずっとこのままでいようかなあ、ふふっ」
　悪戯っぽい微笑み。
　意外と力が強い。無理矢理振りほどけないことはないだろうけど、近くにはアルカリの溶液があるから危なくて、つまりは詰んでしまっている。
「あー、えっと、その……ち、智由利？」
「はい、よく出来ました。ふふっ」

　人工的な光が創りだした青い世界の中、こちらへ笑いかけてくる智由利先ぱ……智由利の顔を、とても綺麗だと、私は思った。

Reply · Report Post