@sailorsousakuTL ぽんじゃが出会い編そのに。


【一歩進んで、】


『ご飯食べに来てください!』

往来で、はじめて大声を出した。
どくんどくんとうるさい胸の鼓動も、頬の熱さも、まだはっきりと思い出せる。
こちらを振り返った彼女がしっかり頷いてくれたことも、確かに覚えている。

けれど。

「……一週間」

「みま」さんに自転車のチェーンを直してもらってから、今日で一週間が経った。


同じ学校に通っている彼女の事は、翌日の月曜日にすぐ知れた。
というよりも、「みま」さんがその人であると結び付けられなかっただけで、彼女のことを、涼は既に知っていたのだ。

鈴木美馬。それが、彼女の名前。
涼より一つ上の先輩で、二輪部だかバイク部だか、実在しているかもわからない部活に籍を置いているらしい。
色々と目立つ人で(二年生は目立つ人がとりわけ多いけれど)、学校生活の中で、涼は彼女の名前を何度も耳にしていた。
ただ実際にその姿を眼にしたことはなく、だから、彼女を見ても「あの」鈴木美馬さんだとは分からなかったのだ。

実験室や実習室の入っている三号棟の廊下にバイクを運び込んで乗り回して、逆に生徒会に追いかけられたり。
耳に心地のいい可愛らしい声の放送部員が担当する曜日のお昼の放送に、必ずと言っていいほど乱入したり。
立ち入り禁止の屋上にかけられている鍵を、職員室に忍び込みくすねようとしてあっさり先生に見つかったり。
月曜日、涼が彼女を「みま」さんだと認めたのは、何故か彼女が二階の窓から飛び降り危なげなく着地しているのを偶然目撃したからだ。

あのとき確か、生徒会長が珍しく大声を出して注意していたっけ。『そんな危ないことしちゃダメでしょ!』って、あれはむしろ心配していたのかもしれない。

つらつらと思い起こしてみても、ハチャメチャな人だ。素行だけで言えば、確実に問題児のレッテルを貼られ敬遠されることだろう。

けれど先生達は「アイツはまったく……」と苦笑するだけで、生徒の中でも、「あの子次は何をしでかすのかな」なんて、たまに話題になる。涼もそんな会話を、クラスの誰かとした覚えがある。
きっと彼女は、「鈴木さんだから」とその存在で許してもらえるタイプの人なのだろうと思う。
実際鈴木さんが…、という話を聞いても、あぁまたあの人か、とみんな笑って流すばかりだから。
この学校の教師も生徒も、何処かおおらかというか、ちょっとおかしいというか。
まだこの学校に馴染んでいない涼のような一年生は、色々と面喰ってばかりだ。
そういえば代替わりする前の、三年生の元生徒会長が新入生歓迎会の時に言っていた。
「非日常に早く慣れて、楽しく刺激ある高校生活を送ってください」と。
よくよく思い返してみれば、高校生活が「非日常」だと言うのもおかしな話だ。今の所、涼は身をもってそれを実感している訳なのだけど。

「── 涼?」

聞き覚えのある声に、涼は現実にひき戻された。
ポケットの中からひょこりと顔を出すウサギと、目があった。
中身の割に、いつも可愛らしいものをポケットに入れている。

整った顔立ちのお店の常連さんは、もう帰り支度を済ませているようで。
シンプルなデザインの鞄を肩にかけて、明るい色の瞳がこちらを見つめていた。

「ぼーっとしてたけど。どうしたの?」
「ううん、なんでもない。さて、帰りますか」
「…気をつけて帰りなさいよ」

彼女が心配してくれるなんて。珍しい。
思ったけれど、口にするのはなんとかとどめた。眼の前の人は清楚な見た目に似合わず、幼馴染の影響か意外と手が早い。
けれど、きっと顔に出てしまったのだろう。じろりと、軽く睨まれた。

「…じゃあ、また明日」
「ん、ばいばい」

手を振って、細い背中を見送った。
がやがやと騒がしかったはずの教室は、いつの間にか人もまばらで。
未だ席についたままなのは、涼一人だけになっていた。

「あたしも、帰りますか」

ガタガタと椅子が床板を削る音が、いやに大きく響いた。
新しい校舎のはずなのに、何故だか教室の床は木張りで統一されている。場所によってはみしみしとうるさく、乙女にとってあまり心地い音ではない。

立ち上がって、伸びを一つ。
開いた窓から風に乗って、生徒の声が聞こえてくる。
さやさやと葉を揺らす木々も、もう少ししたら色を変えて、すぐに寒々しい姿になるんだろう。
陽光を受けて輝くあの深緑は、寒い冬を乗り越えられないのだ。

「せんぱい、来てくれないのかな…」

せめてもう一度、きちんとお礼が言いたい。
きらきらと無垢な光を持っていたあの瞳を、もう一度近くで見たい。
どうしてだか、涼はあの瞳が忘れられないでいる。

たとえば涼が彼女と同じ学年だったら、教室に出向いて手を引くことができただろうか。
多少強引にでも引っ張って、お礼と称して距離を縮めて、それで。

(……うん、無理だ)

涼は、自分が意外と臆病者であることを良く知っている。

はぁとため息を零して、古い風を送り込む窓に近づいた。
少し重たい窓枠をぐいと引っ張って、取っ手をひねり施錠する。
グラウンドでは、もう部活が始まっているらしい。校舎から、カラフルな制服の生徒たちが吐き出されている。
校門に続く道の途中に植えられた木々も葉を揺らして、その中の一つに、紺色の塊が、

「……え!?」


鞄をひっつかんで、教室を飛び出した。


◇◆◇


「おぉ、いいにおいがぁ…」

べたん、とテーブルの上に伸びきって、その人はゆるい声をあげた。

見慣れたお店の風景に、見慣れない人がいる。
紺色のセーラー服を着て、長いグローブはテーブルの上に投げられて。
白い頬が、ふにゃりと潰れている。

「もうすぐ持っていきますから。待ってください」
「待つ―」

鍋を傾けて、じゅぅじゅぅと威勢のいい音を立てる「それ」をお皿に盛りつける。
父さんに唯一及第点をもらった、涼の得意料理だ。
深鍋に作り置きしてあるスープを少しばかり拝借して、湯気を立てるそれらを両手にテーブルに運ぶ。

「はい、お待たせしました」
「おぉぉ…」

ガバッと起き上がった彼女は、瞳をキラキラさせて。
手にしたレンゲを嬉々として持ち上げた。

「いただきまーす!」

街路樹にもたれかかってぐでんとしてた時とは大違いで、至極嬉しそうに生き生きとしている。

肩で息をして街路樹の元に走ってきた涼を見上げて、彼女はあれぇ、と首を傾げた。
『自転車の子だー』
『あの、だいじょぶ、ですか…?』
『ちゅんがさぁ、昨日からおうちに帰っててさぁ』
ぐぅう、とおなかの虫を鳴らしながら、悲しそうな声をあげて。
『お昼のごはん、カラスがもってっちゃって…』
お腹すいて死にそう、と涼に訴えたのだ。


「わ、わ、おいしい!すっごくおいしい!」

エビチリをかきこんで、スープをぐいっと飲みこんで。
ぱぁっと瞳を輝かせた美馬さんが、こちらを仰いだ。

家族以外と幼馴染みの誰かさんを除いて、初めて振る舞った手料理。
ほんの少しの不安を、子供のような無邪気な笑顔があっさり吹き飛ばしてくれた。

「んー…魔法の手だなぁ」

(貴女の方が、そうでしたけど)

美馬さんの言葉に、胸のうちだけで言葉を返した。

涼のピンチを救ってくれた錆に汚れたあの指先が、涼にとっては魔法の手そのものだったのだ。

「んまー…ちゅんのごはんもおいしいけど、すっごくすきだ、これ、あ、おかわり」

にこにこと嬉しそうな笑みで差しだされた空のお皿。
それを受け取りながら、じわりと胸の奥が暖かくなった。
忘れられなかった無垢なあの瞳に、いまは涼だけが映っている。

この人に、もっといっぱい、ご飯をつくってあげたい。
何故だか、不意に、そう強く思った。

*End*

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