q3s_f

Q3式 · @q3s_f

14th Oct 2014 from TwitLonger

@sailorsousakuTL
『春待ちの雪』
眠気覚ましに書きました。

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 ドサドサと風情も無く傘に積もる雪を振り落して、玄関の扉をくぐる。屋内も相変わらずの寒さだったが、水っぽい雪が身体に纏わりついてこないだけ幾分マシだと思った。
「さて、鍵を借りてこないと」
 校舎の中は静まり返っていた。暖房もついていないし人気も無い。昨日の夜から降り続く大雪で休校になったのだから当たり前だ。テレビでは「十年に一度のレベル」などと言っていたが、子供の頃に見た大雪はこんなに酷いものじゃなかった気がする。自分の小柄な体格が恨めしくなる程降り積もった雪を前にして、心が折れかけたのは一度や二度じゃない。
 ぱた、ぱた、ぱた。
 廊下に上履きの音が響く。外の世界が静かなので尚更よく聞こえる。雪の世界は人を拒む上に、音を吸い込んでしまうからだろう。まるでたった独り、私だけが世界に取り残されてしまったかのような錯覚を覚えて、ゾクゾクとしたものを感じていた。
 のだけど。
「え、開いてる?」
 目的地、図書館の鍵はもう借り出されているのだという。昨晩の宿直で、帰るのを諦めた守衛さんがあくびをしながら教えてくれた。たった独りで学校を占有するひそかな愉しみは、一瞬で終わりとなってしまったわけだ。
「でも、こんな日にまで来る酔狂な生徒って……?」
 あれこれ想像を巡らせつつ、私はやや速足で図書館を目指す。

 *

「おはよう」
「なんだ、あんたかあ」
 目も上げずに挨拶した同級生を見ながら、私はぽつりとこぼす。
 一方の彼女の方は、特に何も反応を返すことなく受付の座席の中でページをめくり続けていた。
「まあ、そうよねえ。あんたなら今日ここに居ても不思議じゃないや」
 マフラーとコートを椅子に掛けながら、独り言のように話し続ける。実際、気分は独り言だ。反応を求めてなんていない。彼女が"この話題"に返答する事など無いのは充分分かっているし、そうでなくても読書中の彼女は基本的に喋らない。
 カウンターに乗った白猫があくびをする。そう言えば、既に夢見心地になるほど暖房が利いている。これだけの広さの図書館を温めたのだから、大分前から彼女はここに居るのだろう。守衛さんが不審に思う様な気もするのだけど、良いのだろうか。
「はい。これ」
 白猫の喉を撫でながら、もう片方の手で本を差し出す。ハードカバーが二冊、文庫本が一冊。返却期限は今日。
 ゴロゴロと鳴きながら、猫は微睡始める。彼女の赤い目は対して文章からあげられて、私と私が差し出した本を交互に見た。
「何?」
「返しに来たのよ。誰もいないならブックポストに突っ込んでおこうかと思ったんだけど、図書委員さんがいるなら、手続きやっちゃったほうがいいかと思って」
 彼女は読み止しの本をパタリと閉じる。
「良いけど。わざわざこのために来たの?」
「そりゃあ、生徒会長が規則を破ったら、示しがつかないじゃない」
「そうね」
 言葉ではそう言った彼女だけど、表情は何も変わらない。納得したのかそうじゃないのか良く分からないが、別に気にする所じゃないかと流す。
 慣れた手つきで彼女はPCを立ち上げると、一冊ずつバーコードを読み取って返却処理を済ました。
「戻しといて」
「了解」
 この言葉は予想の範囲内だった。読み取りを受けた三冊の本を並べて抱えると、背表紙が見えるように持ち直して本棚の森へと進む。自分で引っ張りだした時の場所はおおよそ覚えている。自然と脚は本棚を縫うように動いてくれた。
「ねえ」
「何」
 歩きながら問いかける。かすれて消えてしまいそうな声だったけれど、外の世界が静かなおかげか、私の耳にも彼女の返答は届いてくる。
 ぱた。ぱた。ぱた。
 私の立てる上履きの音の合間に、彼女との会話が挟まる。
「良いの?このままで」
「何が?」
「何とは、言わないけどさ」
 一冊目の場所に辿り着く。位置は、丁度私の目の高さ。何も苦労も無く、開いていた隙間に本を差し込む。
「先輩、卒業しちゃうじゃない。あとひと月で」
「……」
 二冊目の場所は直ぐそばだった。ただし、位置は最上段の棚。私の身長では当然のごとく届かない。当たりを見廻して、高い所専用の踏み台を見つける。
「詳しいことは知らないし、きっと、私が知っちゃいけない事だと思うけど」
 ん、と声が漏れる。踏み台を使っても一番上の段は背伸びをしないと届かない。生徒会予算でもっと高い台を買わないと駄目だな、と心の中で決定する。恥ずかしいので口には出さない。
 指の先から本の重みが無くなる。滑るように、二冊目の本が元の位置へと収まったようだ。
「何かしないと、何も変わらないんじゃないかな」
「それが出来たら、苦労しない」
 三冊目の場所まで移動する途中、本棚の隙間から声が届く。
 彼女の声は冷ややかで、冷たい。外の大雪とは違って、しんしんと降り続ける粉雪のような声色だ。今にも解けて消えてしまいそうな、そういう切なさがどこかにある。
 ひょっとしたら、今、目を離した隙に。
 ぱん。
 急に立ち止まった私の上履きの音が、大きく図書館の中に響いた。

 視線をカウンターの方に移す。
 見えるのは気持ちよさそうに眠る白猫だけ。彼女の姿は何処にも見当たらない。

 唐突に孤独感が私の心を襲う。この校舎に入った時に感じたものと同じ、ただしさっきよりも強く、冷たく、より寒さを感じてしまう。暖房の存在など全く感じないように、ぶるりと身体が震えを発した。
「ねえ」
 耳元で聞こえた声に、思わず飛び上がってしまった。手から滑り落ちた文庫本が、バサリと床に落ちる。
「び、びっくりさせないでよ!」
「ごめん。その本、次は私が借りようかと思って」
「そ、そう?じゃあ、戻さなくても良いって事だね」
「うん」
 そう言いながら、彼女は落ちて広がっている文庫本を拾い上げ、丁寧にページを閉じ直す。

「あなたが何かをする必要も、無いと思う」

 唐突に投げられた冷徹な拒絶の言葉に、私は凍り付いたように固まってしまう。
 何も無かったようにカウンターへと戻る背中を見送りながら、私は震える唇を動かして言葉を吐き出した。
「それでいいの?卒業で、終わり、なんじゃないの?」
 彼女の足音が途切れる。そういえば、私のと比べても全然音がしない。まるで体重が無いかのように響かない。
 ピッという音が綺麗に響く。
 それだけでは管理用のバーコードを読み取った音だけど、それ以上の何かがある様な気がしてしまった。
 まるで、この話はこれでお終いと彼女が言ったような、そういう何かが。
「それで良いの。これは、私の話だから」
 それだけ言うと、彼女は手続きをした文庫本をカバンに仕舞い込み、さっき閉じた本を再び開いて読み始める。
 これで本当に話はお終いだったようで、私が新しく本を借りて手続きをする間も、彼女は何一つ言葉を発しなかった。
「本当に、後悔しないの?」
 私の問いかけにも、何も答えず。代わりにカウンターの上の白猫が、大きく鳴いただけで。

 気温だけじゃない寒さとうら寂しさを感じながら、私は図書館を後にする事となった。

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