@sailorsousakuTL  『ふたりのてのひら、ふたつのくちばし』 あさるりの休日のお出かけ




「ねぇ、るりちゃん? 次の日曜日空いてるかな?」
 昼休み。バスケットボールのミニゲームの後、上がった息を整えながら朝ちゃんは私の肩を後ろからとん、と叩く。そして休日のデートのお誘い。勿論、私には断るという選択肢が頭に浮かぶことはなかった。
 そんな訳で。今の時刻、朝の5時半前。普段起きる時間よりも一時間以上早い時間、目覚ましをかけていたわけでもないのにぱちりと目が覚めてしまった。
 遠足前日の小学生じゃあるまいし、と鏡の目の前の自分に向けて言ってみる。
 この時間じゃ朝ごはんはできているはずもないし、そもそも誰も起きだしていないだろう。それならばどうしようか。ベッドの上に寝っ転がっていながらそんな風に考えているとうつらうつらとしてしまう。
 気が付くと時計はぐるぐるとまわっていた。時計を見る。一度目を閉じて大きく息を吸い込む。恐る恐る目を開いても時計はその時間帯から動いてはくれなかった。
「ああ、もう……私は馬鹿なの?」
 必要最低限の準備だけして家を飛び出す。
 私がどれだけ急かしても電車が私のためにスピードを上げてくれるなんてことはあるはずもない。結局、朝ちゃんと待ち合わせていた場所についたのは、集合時間から一時間も遅れた時間だった。それだけ遅れても朝ちゃんはベンチで音楽を聞きながらのんびりと私を待っていてくれた。私の姿を見て笑顔すら見せてくれる。その顔で私は更に申し訳なくなる。
「朝ちゃん、ほんっとーにごめんなさい」
「大丈夫大丈夫。それじゃいこっか」
 朝ちゃんは私の手を引く。朝ちゃんの手をぎゅっと握り返して人ごみの中へ。
 眼前にあるのは動物たちの描かれたアーチ状の入口。辺りにはカップルや家族連れ、私たちと同じくらいの少女や少年たちのグループ。次々とアーチをくぐっていく。
「ええと、一般で二枚、お願いします」
 アーチ前の受付のお姉さんにそう告げてチケットを貰う。チケットは二枚違う写真が印刷されていて、そのうち一枚は私が見たこともないような鳥の写真だった。大きなオレンジ色の嘴に青い瞳。首回りや尾羽の付け根あたりの白と黒い羽根がその鮮やかさをさらに引き立てている。
「この鳥さん、綺麗だね! なんていう鳥なの?」
「あれ、るりちゃん知らないの? この子はねー、オニオオハシっていう熱帯にすむキツツキの仲間なの。私この子すごく好きなんだ! この前来た時には遠いところに居るのしか見れなかったから、今日は近くで見れたらいいなぁ……」
 オニオオハシ。かわいらしい外見なのにオニかぁ、などと私はチケットを見つめているといつの間にか朝ちゃんの手と姿はそこにはなく既にアーチをくぐって中に入っていてしまっていた。ここではぐれてしまったら多分私は今日一日朝ちゃんと出会うことなく一人でうろうろしなくてはいけなくなってしまうだろう。そもそも一人で帰ってきた入り口から出ていけるかどうかすら自信がない。慌てて、うきうきしてもう既に幸せそうなオーラを放っている背中を追いかける。
 朝ちゃんから目を離してしまうと私がピンチに晒されてしまうから、今度はしっかりと朝ちゃんの手を握る。それを知ってか知らずか、朝ちゃんも手を握り返してきてくれた。これでもう、離さない。はぐれない。朝ちゃんが手を引っ張る方向へ。
 小学生の頃は男の子に混じって泥だらけになりながらサッカーを一日中していたし、中学生の頃は陸上部で練習や試合が重なり休日と呼べる休日は数えるほど。故に、動物園に最後に行ったのは小学校以前ということになる。ろくに覚えていないのも無理はないと思う。中学ほど部活の拘束時間が緩んで一人でぶらぶらできる時間も増えたが、一人で動物園に行くなんて選択肢は頭になかった。だから、こうして朝ちゃんについていかなければこうやって休日に動物園に訪れることもなかっただろうし、朝ちゃんに感謝しなければ。
「……おお、すごい」
 口からもれるは感嘆の声。ゲージの中とは言え、動物たちが見ている人を気にすることなくのんびりと過ごしている姿。ここでなければ見ることのできない珍しい生き物。図鑑とかテレビとかでなら見たことがある生き物が目の前にいる。
「るりちゃん、動物園来たこと無いの?」
 挙動不審にきょろきょろする私が珍しかったのだろうか、少し驚いたように私に声をかける朝ちゃんに、かくかくしかじか、私がいかにこういうところへ来てなかった旨を話してみる。聞き終わった朝ちゃんは少し難しい顔をしたのちにぱっと笑顔になって「それなら、私がちゃんとリードしてあげなきゃね!」と言ってくれた。
「そうだなぁ……じゃあ、るりちゃんに質問です」
 ててん! と口で問題が出るときの音を言った朝ちゃんに私は思わず吹き出してしまった。
「ちょっと、なんで笑うのさ……ま、いっか。今そこに居るトラは何科の動物でしょうか!」
「え、それは当然ネコ科でしょ?」
「ぴんぽん、正解! 正解したるりちゃんの頭を撫でてあげよう」
 流石に私だってそこまで馬鹿じゃないし、と朝ちゃんに抗議をしようかと思ったけれどそんな時目の前をトラが横切る。大きく、とても迫力のある顔つき。ガラス越しに見ているからいいものを、外なんかで出くわしたらものすごい怖いなぁ、と考えてるうちに抗議することを忘れていた。
「じゃあ、次の問題。ネコって爪を出し入れできるじゃない? ネコ科の動物の内で爪を出し入れすることができない子が一種類だけいます。それはなんでしょう。……あ、ちなみに目の前のこの子達ではないからね!」
 爪を出し入れできないネコ科……というか、そもそもネコ科の動物をぱっと頭の中に思い浮かべてみてもそんなに数は居ないし……トラは違うとなると……ライオンとかヒョウとかくらいしか思い浮かばない。
「んー、ヒョウとか? 木の上によく登っているイメージあるし」
「残念! 正解は、チーターでした!」
「ん、残念、当たらなかったかー」
「ヒョウ……というか基本的にネコ科の動物って待ち伏せの狩りが基本なんだよね、だから音を立てると獲物に居場所がバレちゃう。だから爪を出し入れできるの。でもチーターって待ち伏せの狩りよりは、ばーっと走って獲物を捕まえるじゃない? あんな風に走るにはしっかりと地面を爪でとらえなきゃならない。出しっぱの爪だからこそ、爪がスパイクの役割をはたしてあんなに高速で走れるんだー」
 いつも喋っている時よりも数割マシで饒舌な朝ちゃん。その瞳はきらきらと輝いていて宝石のようだった。
 ところ変わって、今度は草食獣たちの居るエリア。こちらの方は肉食の動物と違ってガラス越しだったり、格子がついていたりするわけではなくもっと開放的な場所であるから、先ほどの動物たちよりもより近くで見ることができた。悠々と草を食み、仲間同士でのんびりとする姿は時間の流れを忘れさせてくれるようだった。
 中でも一際観客を集めていたのが『森の貴婦人』とも呼ばれているらしい動物。ぴょんぴょんと何度かジャンプしてかろうじて見えた姿、体は普通の馬のようなのに、足は綺麗な白黒の縞模様。まるでシマウマだった。ジャンプするのも疲れてきたころ、うまい具合に人が捌けてくれ、二人で前列に滑り込む。
それでもやっぱり人が多いため先ほどよりも密着せざるを得ない形に。別に、意識をしているわけでもないのに甘い香りが鼻腔をくすぐる、何の匂いだろう、甘いけれど、ただ甘いだけじゃなくてそのなかに漂うなんともいえない感覚。不意にぎゅっと握っていた手を強く握りなおす。何か話題を振ろう。きっと動物の事を話せば食いついてくれるだろうし、その間に胸の高鳴りを押さえることもできるだろう。
「朝ちゃん朝ちゃん、オカピってしゃ……」
 噛んだ。落ち着け、落ち着け……
「……こほん、オカピってさ、なんであんな色してるんだろ?」
「んー、やっぱりシマウマとかと同じように、周りの景色と同化するためなのかなぁ……あ、そうそう。オカピって実はウマの仲間じゃないんだよ」
「え、あんなに似てるのに?」
「最近まで、ウマの仲間だと思われてたんだけどね……これを説明するには他の子達も見に行きながら教えたいから――っと」
 朝ちゃんはぱしゃり、とオカピの全体像が映るように写真に収める。
「これでよし、それじゃ、次いこ!」
 私を引っ張ってやってきたのは、鎧のような皮膚に角を持つ草食獣、サイのゲージだった。
「……サイ?」
 何故サイなのかと、思わず口からもれてしまう。
「そう、サイ。……サイの指は何本?」
「んーっと……三本、かな」
「うん、正解。あのね、動物は指の本数が偶数の子と奇数の子がいるんだ。今、そこに居る子は三本だから奇数……奇数の子は奇蹄類っていうの」
 サイの隣のゲージに目をやると、栗毛の馬たちが歩いている。
「ウマも、奇蹄類?」
「そう! ウマも奇蹄類。ちなみに蹄は中指が発達してできたものなの。要するにウマはめっちゃつま先立ちで歩いたり走ったりしてるわけ。――それじゃ、さっきのオカピの写真を見てみよっか」
 スマフォの画面に映し出されたオカピ。足の蹄が、二つ。偶蹄類であった。馬は奇蹄類であるから、同じ種類ではないと言える。ならばオカピはどの動物の仲間なのだろうか。解決していない疑問が頭の中に浮かんだ瞬間に、朝ちゃんはふふ、とマジックの種明かしをするような少し誇らしげに答えを教えてくれた。
「オカピの先祖は、住むところを二つに分けたの。片方は草原へ、もう片方は森林へ。草原に出ていった先祖は食物を争うライバル種がいない高い樹木の草を食べるために進化したの」
「えーっと……つまり、キリン?」
 わしわしわしわし。本日二度目、手が伸びてくる。「正解! キリンの仲間なんです」と満足げな笑顔。その笑顔につられて私も思わず口元が緩んだ。
 そんなこんなで、時間をかけてのんびりと動物園の中をぐるりと一周。何度かお土産コーナーやフードコートに寄ったりもしたけれど、なんだかんだほとんどの時間を動物たちを見ながらおしゃべりする時間であったと思う。爬虫類園や、暗闇の動物たちを見るための擬似的な洞窟のようなちょっと特殊な展示をしている場所もあった。
 それでもやはり、一番盛り上がったのは鳥たちがたくさん飼育されているエリアだろう。朝ちゃんの大好きだというオニオオハシも間近で見ることが出来た。一部の鳥たちがドーム状の建物の中に放たれていて、運が良ければかなり近い位置で鳥たちを確認することが出来る施設。本当に私たちは運がよかったと思う。文字通り、目の前。目の前にやってきてくれて、夢中でシャッターを切った。
 オニオオハシとは別に、オニオオハシをすこし不良にしたようなオオハシがいるね、なんてことを朝ちゃんに話してみたら笑いながらそれはシロムネオオハシって言うんだよと教えてくれた。シロムネオオハシ。こっちもなかなかかっこいい名前だった。
 触ることこそできなかったが、オニオオハシも、シロムネオオハシももふもふでうっとりするほど。朝ちゃんと二人で「可愛かったね!!」とやや興奮気味にその施設を後にした。その時点で既に時計の針は3時半をゆうにすぎ、4時になろうかとしていた。
「うーん、見れるところも大方まわりきったし、この時間になると中にひっこんじゃう子達もいるからなぁ……帰ろうか」
 足を出口へと向ける。ペンギンも、サイも、カピバラも、オオハシたちも。見たいものはほぼ全部見終わっていたし、私はもうとても満足していた。
「えーっと、ちょっと待ってて!」
 動物園から出る前、出口から一番近いお土産売り場。朝ちゃんをその場に待たせておく。私が手に取ったのは先ほど実物も見たオニオオハシとシロムネオオハシのキーホルダー。動物園のあちらこちらにあったお土産売り場で朝ちゃんがちらちらと見ていたもの。他のものには目もやらず手に取ったそれらを購入。
「お待たせー」
「あ、帰ってこれた」
「失礼な! いくら私でもそれくらいは大丈夫だよ!」
「冗談冗談。それで、何を買ってきたの?」
「はい、これ!」
 朝ちゃんの手のひらにオニオオハシ。手のひらの青い瞳と、私の瞳を交互に見返している。少し怪訝な顔を私に向ける。
「えっと、遅刻のお詫びだと思ってこれを買ったなら、私はこれを受け取れないよ」
「え? そんなわけないじゃない。確かに遅刻したのは反省したけれどそれは朝ちゃんが許してくれたし」
 くるくる、朝ちゃんの周りをまわる。周りの人が何してるんだこの子みたいな目線を向けるかもしれないけれどそんなのは気にしない、気にならない。
「私、朝ちゃんと今日一日一緒に遊べて楽しかった。知らなかったこともたくさん教えてくれた。こんな一日をくれた朝ちゃんにプレゼント、ってことじゃ……ダメかな」
 遅刻のお詫びの気持ちがないと言えば嘘になる。でもそれ以上に今日という一日をくれた朝ちゃんに何かしてあげたかった。
「それに朝ちゃん、このキーホルダーちらちらっとみてたでしょ。この私の目は欺けないんだよ!」
 彼女の周りをまわり続けながらそんな風におどけて見せる。動きを止めないのは自分でも熱く感じる頬や早くなっている鼓動を悟られないようにするため。……やっぱり私だって、素直に褒めたりするのは恥ずかしいのだ。
「るりちゃん待て!」
「うぇ!?」
 朝ちゃんの唐突な声に足が止まる。止まったところ、腕を掴まれて強引に抱き寄せられて、頭をわっしわっしと撫でられる。まるで飼い主にあやされている犬だった。少し乱雑だけれど優しい手のひら。今日、何度も朝ちゃんには撫でられたけれどその中で一番私の好きな撫で方だった。あたたかい。大好きな温もり。
「私はいい後輩持ったなぁ……ありがとね、大切にする。うん、そうだな……ケータイにでもつけておこうっと」
「あー、それなら、私もそうしよっと」
「なんか色違いでおそろいみたいだねー」
「ね!」
「――よっし、それじゃーかえろっか! るりちゃんが家まで迷子にならないように朝美お姉ちゃんが送っていってあげよう」
「送っていくも何も最寄り駅一個違いだし! 最寄駅からだったら迷わずに家に帰れるから!」

 そんな風にじゃれあいながら帰路につく。
 ばいばいするまで握った手のひらは離さなかった。
 二人のポケットからは二匹のキーホルダーが顔を覗かせ、揺れていた。

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