「おそまつさまです」 #セーラー少女 #ぽん軒



 初秋の涼やかな風が通りを抜けるこの季節、衣替えにはまだ早く、しかし袖から覗く腕はひんやりとした空気に肌寒さを感じていた。北から吹く風が、セーラーの襟をパタパタとはためかせる。そんな風から逃げるように、美馬と涼海、そして絵未は馴染みの中華料理屋『甜豌房』の扉を開けて、店内へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませー!ってありゃ、いつものメンバーか」

 カランと鳴った扉に反応して出迎えた涼が、三人の顔を見て嬉しそうに目を細めた。言葉とは裏腹に、表情は三人の来店を心から喜んでいるように見える。

「あんだよー私達じゃ不満だっていうのかー!」
「食材にしていいなら大歓迎だよー」
「ひぇっ!?」
「ヒィッ!」

 もはやお約束になっている軽口を叩いていると、厨房から漂う熱気が外から入ってきた三人を包み込んだ。昼食には遅く、夕食には早い時間帯のこともあり、店内はガランとしている。いつもの活気あふれる店内の雰囲気とはまた違い、落ち着いた静けさが感じられる。ほうっと息をついた美馬が、二人よりも一足先にカウンター席へと駆け寄った。
 
「じゃがもちゅんもえびも、好きなとこ座っていいよー!」
「あいよー」
「はーい」
「失礼します」
「あ、ちなみにオススメはそこの大鍋ね」
「「!?」」
「食材にする気満々だね!?」

 けらけらと笑いながら厨房にある大鍋を指さす涼に、涼海と絵未がびくっと肩を跳ねさせた。肌寒さとはまた別の理由で小刻みに震えている。冗談だと分かっていても、そんないい反応を見せてくれる二人を涼も美馬も気に入っていた。二人と同じように食材リストに入れられた美馬だったが「でもスズメのだし汁っておいしいのかな」と隣を横目で見ながら呟いていた。そんな三人にお冷とおしぼりを出しながら、涼が真剣そうな顔で涼海の体を上から下までじっくりと観察した。

「もうちょっと寒くなって脂肪を溜めこんでからがうまいな」
「よしちゅん、もっと脂肪を溜め込め」
「もうちょっと他に言い方あったんじゃないの!?」
「えびはいつでも食べられるな」
「ぐう」
「せ、先輩のそれお腹の空いた音ですかっ!?」

 先程まで静かだった店内が、少女たちの声で賑やかなものへと変化していった。厨房の奥の方で何やらスープをかき混ぜていた涼の父親でもある甜豌房の店主が、少女たちに背を向けて声を殺して笑っていた。くっくっと肩を震わせながら振り返った店主は、涼に似た元気で張りのある声で、お喋りに盛り上がっている少女たちに声をかけた。

「注文は決まってんのかい?」

 店主のその言葉に、三人は声をそろえて答えた。三人の目の前でお玉を握りしめている涼の顔がイキイキとしたものになり、手元の中華鍋へと意識が向けられた。大好きな人たちに大好きな料理を振る舞える。そのことに、自然と頬が吊り上がり瞳が大きく輝いていた。

「「「特製エビチリお願いします!」」」
「合点だ!」

 カウンター席に座った三人の目の前で、一人の小さな料理人が袖を捲り上げた。


  *  *  * 


「はい、お待ちどうさん。ぽん軒特製のエビチリだよ!」

 コトリ、とおいしそうな香りを漂わせたエビチリが、三人の目の前に置かれた。ふわっと香ばしいチリソースの芳香が、鼻孔をくすぐる。思わずお腹が鳴りそうになった美馬が、待ってましたと箸をとって手を合わせた。それに続くように、涼海と絵未も慌てて手を合わせた。

「「「いただきます!」」」
「おうよ召し上がれ!」

 涼が言い終わらないうちに、美馬は真っ先にチリソースの海を泳ぐぷりっぷりの海老へとかぶりついていた。

 特製のチリソースと絡めた海老を一口頬張ると、海老の甘みと風味が口の中に広がった。噛むたびに溢れる海老特有の甘みに、ネギのぴりっとした香りと豆板醤の辛みが混ざり合う。片栗粉でとろみをつけているのか、舌の上でソースと海老がとろけるようにして絡み合っていた。
 油で通した海老は、やわらかいだけでなく程よい噛みごたえがあって食感も楽しめる。甘辛に味付けをしてあるソースを、香ばしいニンニクの風味と胡麻のコクがより一層引き立てていた。
 最後に加えられた酢が、豆板醤の辛さをまろやかにしながら、旨味のバランスを取っていた。噛んでいる時は主に甘みが口の中に広がっていたが、飲みこむと鼻を通り抜け喉を刺激するような辛みがなんともいえなかった。
 肌寒かった三人の体が、だんだんと温まっていく。お冷の入ったコップは、表面にびっしりと露がついていて汗をかいているようだ。エビチリを頬張る三人も、体の中から温まり、額からじんわりと玉の汗が浮かんできていた。
 心地よい痛みにも似た辛さと刺激で熱くなった喉を、冷たい水が通り抜けていく。ひんやりとした水の甘みと爽やかな空気が喉から鼻まで抜けていった。熱をもった喉が一気に冷やされる感覚に、思わず息がこぼれた。強火で炒められたチリソースの香ばしさと、コクのある海老の風味と、すっきりとした水の微かな芳香が混ざり合い、三人は夢中になってエビチリを食べ進めた。

 終始無言でエビチリを夢中になって頬張る三人を、涼と店主が嬉しくてたまらないといった様子でにこにこと微笑みながら見つめていた。白い皿の底が見えるまで綺麗にエビチリを平らげた三人が、残りのお冷を一気に喉へと流し込んだ。「ふうっ」と自然と満足気な溜息が三人の口から零れる。所々に赤いチリソースの跡が残る皿の底で『謝謝』の文字が顔を覗かせていた。

 食べ始めてから口を開かなかった三人が、打ち合わせをした訳でもないのに呼吸を合わせて馴染み深い小さな料理人へととびっきりの笑顔を向ける。

「「「ごちそうさまでした!」」」

 何回と聞き慣れたその言葉が、何よりも小さな料理人の心を奮わせた。

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