中華料理店『甜豌房』にて #セーラー少女




 本日、月曜日。秋が入り口を開く時期。天気は晴れ。働いている人にとっては、また新しい週が始まったということで憂鬱な気分になっている人もいるだろう。
「……でも、私達はまだお休みなのよねぇ」
 そう。一方で私達学生は三連休の最後の休みであって、日が高くなっても布団の中で惰眠をむさぼることのできる日であった。私は、もう一眠りしようと枕に顔をうずめる。どのみち父親が営んでいる食堂の手伝いをしなければならないし、あと一時間半ほど経てば開店の時間。お店の立地上、お昼時には近くの会社から食事をしに来るサラリーマンたちでにぎわう。その英気を養うと称して休んでいてもばちは当たらない。なんて考えを頭に浮かべていたのだけれど、そういうことを考えている時にこそ邪魔は入るものである。枕元に置いてあるスマートフォンがけたたましく音を立てたのだ。
 一通のメール。中身を確認してみると本日一つ目の頭を悩ませる事案。
「海老ちゃん、体調崩すとか……」
 メールには「すいません。朝から熱が出てしまいました。ちょっと今日はいけそうにないです。本当にすみません」と書かれていた。画面越しに「ひぇぇ、すいませんすいません」と申し訳なさそうな顔をしてぺこぺこする彼女の姿が浮かんだ。元々病弱であったらしいし、庇護欲をかきたてる控えめな顔を想像してしまうと、結局許してしまうのだ。少しだけ、負けた気分になる。
「しょーがないなぁ……りょうかいしました。はよ治して働きに戻ってきなさいよ……っと」
 次来たときはちょっといつもよりいじってあげよう、そんなことを考えながらぽちぽちとボタンを押して返信する。ああ、そうだ。父さんにも伝えなくちゃ。
 お祖父ちゃんが大通りに面している側の三分の二くらいを大改装して、作った中華料理店。チェーン店のように大量のお客さんを一気に捌けるわけではないけれど、ここいらでは結構人気の食堂なのだ。
「父さん、父さん」
 厨房に行ってみると、せっせと父さんが今日の分の仕込みをしていた。
「おう、涼か。どした」
「今日、絵未ちゃん熱で休みだって」
「まぁ、熱ならしゃーない。美馬ちゃんはくるんだろ?」
「寝坊さえしてなければ、いつも通り来るはず」
「はっはっは、なら大丈夫だろ」
「そだね。……仕込み、手伝おうか」
「お、助かる。スープは大体出来てるから海老の殻剥き頼む」
「りょーかい」
 厨房の入口に乱暴に掛けてある黒色のエプロン。しっかり手を洗って、アルコールで消毒。そうしてからボウルに盛られている海老の殻剥き。私が父さんの手伝いをするようになって大分経っているし、よく頼まれるのがこれであったからもう慣れたものだ。ボウル一杯分を終わらせるのにおおよそ30分と少しといったところだろうか。……これをクオリティはそのままで時間だけをどんどん縮めて行きたいところではあるのだけれど。
 そして、丁度海老の皮剥きが終わったあたりでがらがらとお店の中に入ってくる彼女の姿があった。額に汗の玉を浮き上がらせながらも、相変わらずいつもの手袋を装備していた。
「いやー、先週ほどじゃないけれど今日も暑い! そして、ここは涼しい!」
「おはよ。今仕込みやってるけど手伝う?」
「おはよーさん。あたしは不器用だから、そういうのはおじさんとぽんに任せるよー」
「それと、海老ちゃん今日熱で休みだってさ」
「えー……暇なとき何して遊べばいいのさー」
「ここは、遊ぶところじゃ、ないから!」
「ぶーぶー、ぽんちゃんのいけずー」
「いや、当たり前のことだから!」
「いつもぽんだって海老ちゃんで遊ぼうとしてるくせにー」
「そ、それはそれ! ここはここ!」
「ぶーぶー」
 いつの間にか手袋をはずして生身の手が私の頭に伸びてくる。髪の毛に手が触れる感触。手のひらが私の頭を撫でるたび、どきどきと鼓動が速くなる。
「でも、そんないけずなぽんもあたしは好きだよ?」
 なんて呟かれちゃ。向こうは、特に自覚なくそんなことを言っているのかもしれないけれど、私にとって、その言葉だけで心をわしづかみにされているような感覚に襲われるのだからやってられない。
「……ほら! 手、洗って机の上でも拭いて! 仕事仕事。働け!」
「赤くなってる」
「うるさい!」
 少し名残惜しいのだけれど強引に私の頭を撫でる手を退ける。彼女は「へいへい。わかりましたよー」なんて軽口を叩きながらまた私の頭をぽんぽんと優しくたたいて、同じように厨房に掛けてあるエプロンを身に付ける。
 私も彼女の後を追って厨房に入って引き続き仕込みの続き。海老の殻剥きだけで当然終わるわけがない。タレや食材の準備は開店するまで準備し続けるものなのだ。鼻歌交じりにテーブルを拭いていく彼女。仕事が始まればちゃんと真剣に取り組む真面目な子だから信頼できるのだ。最初の方こそ、慣れないことだらけでうまく立ち回ることが出来なかったようだけれど、ここで働き始めてもう二年近くになる。もうどこに何があるかも完全に把握しているし、常連さんたちからも気軽に声をかけられる看板娘的な存在へと成長していた。
――事の始まりは私の我儘からだった。私がもっと彼女と居れたらと考えて、半ば強引に「うちでバイトしてみない?」なんて言ってみたのが最初だった。彼女の家はそれなりに距離がある場所に住んでいるにもかかわらず、二つ返事で答えを出してくれた。私が父さんの手伝いでお店に入るときは大抵一緒に居てくれるようになった。それでも彼女の負担は大きいのも分かっている。そんな不安から一度だけ、彼女に尋ねたことがあった。「ここで働いてて、美馬は平気なの?」と。そうしたら彼女はあっけらかんとした様子で「平気って? 別にあたしはここで働いてて楽しいよ?」と言ってくれた。「たまにぽんが作ってくれる、晩御飯も美味しいしね!」そう笑ってくれた。たぶん、その時から私は彼女を好きになっていたのだと思う。口には出さないけれど。
「ぽーん」
「ひゃい!?」
彼女のことを考えながら鍋をかき混ぜていたせいか、彼女が真後ろに居るということにまったく気が付かなかった。自分でも想像していないような声が出る。
「……ど、どうしたの?」
「醤油の補充のついでに呼んでみただけ、集中してたから絶対驚くと思ったんだよね、大成功」
言うだけ言って、醤油差しに醤油を補充して戻って行ってしまう。
どくん、どくん。
脈が速い。
きっと、驚いたからだけじゃなくて。他の気持ちも混ざっているんだと思う。

*** 

 中華料理店『甜豌房』
 美馬が扉にかけてある準備中の札を営業中に反転させて戻ってくる。午前11:30、あと30分ほどすれば近くの会社の昼休みになる。そうすればカウンターまで埋まる。その時間帯が一番最初の忙しい時間帯。それと先ほど父さんから聞いたのだけれど、今日は地域の飲み会に父さんが参加するらしく夜はお店を閉めてしまうそう。つまり、今日この時間帯を乗り切れば後は比較的楽、ということだ。
 それに、父親がいないとなると晩御飯は必然的に私が作るわけになるから――うん。
「美馬」
「んー?」
「さっきあんたも父さんから聞いたよね?」
「夜開けないよって話でしょ。聞いた聞いた」
「……晩御飯、食べてきなさいよ。私が作るから」
「ほんと!?」
「私が作るっていって作らなかったことある?」
「それじゃあ、それを楽しみにして今日一日頑張ろうっと……俄然やる気が出てきた……!」
 素直に私が出した物は美味しい美味しいと言って食べてくれるし、作ると言って喜んでくれるのは何よりもうれしいこと。それだけでやる気を出してくれるなら毎日だってご飯を作ってあげよう。なんて気にもなる。
今度、機会があったらお昼のお弁当でも作っていってあげようか。そんなことを考えていたら私の方までやる気が出てきた。よし。頑張ろう。
「父さんや」
「おう」
「気合い入れていこう」
「俺ぁ、いつでも気合い入ってるけどな! 頑張ろうか」
 厨房で息を吐き出す。新しい空気を吸い込む。決して新鮮とは言えないけれど私の頭をリフレッシュさせてくれる。
「あ、いらっしゃいませー!」
 最初のお客が店に入ってから続々と人が入ってくる。美馬がてきぱきと客を席に座らせお冷を出しながら注文を聞いていく。次から次へと私と父さんの方へ注文が回ってくる。回鍋肉定食、麻婆丼、エビチリなど。私たちも厨房の中でてきぱきと料理をこしらえていく。すべての料理に付けている日替わりスープは竹参湯。それを添えてカウンターの人には直接、テーブルに座る人達には美馬が届ける。
 作っている最中に聞こえてくる「いただきます」やら「うめぇ」の声、ふー、ふーと言う息の音を聞くと、やはり作りがいがあるなぁ、と感じる。料理は人を幸せにする。きっとそうに違いない。そんな風に確信させてくれるのがこの瞬間であると思う。
「はーい、おまちどおさまです! 麻婆茄子定食とエビチリ定食です!」
「お会計は、780円になります。はい、ありがとうございました!」
「一名様ですか?空いてるカウンターに座っちゃってくださいー」
「ご注文ですか。――はい、炒飯セットですね、かしこまりました!」
 こんな調子で美馬は近くの会社の人たちの波が収まるまでひたすら飛びまわる。それにもかかわらず笑顔を絶やさない、時々会話も交えているのだからすごいものだとおもう。
 一時間ほどすると人の波が収まってきて、満席であった席に空白ができ始める。こうなってくると厨房は父さんに任せて私もレジやらそっちの方の手伝いをするようになる。厨房から離れる際、飲み物を冷やすための冷蔵庫の端からエナジードリンクを一本取りだす。毎回てきぱきと働いてくれる彼女のためにいつもストックしてあるエナジードリンク。私は飲んでも美味しさがわからなかったのだけれど彼女がとても美味しそうに一気に飲んで「生き返る!!」なんて言っていたから最近になって入れ始めたのだ。
「ほれ、美馬」
「んぁ?」
「ちょっと休憩入れていいよ。これはご褒美」
「ぽん……お前ってやつは……」
「な、なによ……」
「愛してる!」
 エナジードリンクだけで大げさな、なんて思うけれど私も悪い気持ちはしない。
「おーおー、お熱いねーお二人さん」
カウンターから私たちを眺めていた常連のお客さんが、茶々を入れる。この人はいつもそんな風に私たちを見るたびにそんな風に茶化すのだ。そして、このお客さんのセリフに大体彼女は乗っかって調子に乗る。
「でしょー? ぽんは私の奥さんだからー。渡さないよー?」
「そんな可愛い女房とか羨ましいわ……! うちのかーちゃんなんてもうこれだからよぉ……」
 れんげを置いて頭に指で角を作るジェスチャー。同時に顔をしかめて変顔をする。美馬は美馬で私が上げたエナジードリンクをカウンターに置くと、私をぐいっと引き寄せて肩を組む。そしてドヤ顔で「私のものだ!」アピール。こんな具合だ。
 こんなふうにして、午後のピークを過ぎた後はゆっくりとした時間が流れていくのだ。

***

「そんじゃ、涼、と美馬ちゃんにゃ悪いけど、飲み会行ってくるわ」
「はいはい。いってらっしゃい。遅くなっていいからね」
「おじさん、お疲れ様―、楽しんで!」
「はいよ! 適当にあまったの使って晩御飯でも作ってくれや」
「りょーかい」
 いつもより早い時間帯。夕暮れ時。父さんはさっさと着替えると家を後にしていった。気の知れた仲間との飲み会。そりゃあ、楽しみだろう。そうして、私と美馬。二人きり、だ。
「はぁー……今日もつっかれたー……」
「美馬も、お疲れ様」
「ぽんー、つかれたよー、おなかすいたよー」
 椅子に座りながらじたじたとする。私より大きい子供を見ているようで思わず頬が緩む。
「はいはい。ちょっと待ってて。ご飯作るから」
 ああ、そういえば。
「そういえば、あんた、何食べたい? 材料あればそれ作るわ」
「んー……エビチリかなぁ……やっぱ」
「わかった。ちょっと待ってて」
 厨房に入ると朝仕込んでおいた海老がまだ残っていたから、それを全部使ってエビチリを作ろう。今日は少し海老が多めに残ったからちょっと贅沢なエビチリになりそう。
「お、海老たくさん残ってるね」
「そうねー……って、待っててって言ったじゃん」
「ぽんの後ろでまってる」
「……はぁ?」
「ほら、ぽんの料理美味しいからさー、どんな風に作ってるのか見たいじゃん」
「いや、別に普通に作ってるだけよ?」
 海老に油をからめて火を通し始める。じゅー、といい音がする。火が通っていくにつれておいしそうな匂いが出始める。いったん火を止めて別の中華鍋で豆板醤やニンニクを炒め、そのなかに海老を投入。途端に先ほどの匂いとは比べ物にならないくらいいい匂いが香り立つ。食欲をそそられる匂い。後ろで美馬がその匂いをお腹いっぱいに吸い込んでいた。
「すぅ……はぁ……うん。もう匂いだけで美味しいってわかるもんね」
「……そう?」
「うん。はぁ……ずっとぽんがあたしと一緒に居て、美味しい料理を作ってくれたらなー……なんてね」
 そんな風に彼女はおどけて見せたけれど、その言葉に私はただ中華鍋をふるって、聞こえなかったふりをするばかりだった。

Reply · Report Post