集団的自衛権の「定義」を間違えた「解釈改憲」は王道でなく覇道だ、と看破する小林節氏が共同通信に寄稿(6月5日)した卓見を再録します!

◆多国籍軍参加とんでもない
 ◆無理が多い報告書
 安倍晋三首相の私的懇談会「安保法制懇」の報告書は、全体的に無理の多い内容だと思う。主な項目を評価してみた。
 今回の報告書は、全ての議論の前提として「安保環境の激変」を指摘しているが、それは正しい。尖閣問題を挙げるまでもなく、近年の中国の著しい軍拡と海洋進出が北東アジアの安全保障環境を不安定にしていることは周知の事実である。
 国家の最大の使命は国民の安全を守ることとしたのも正しい。国民各人が安全に生活し続けることが各人の幸福追求の不可欠な前提である以上、国家の最大の使命が国民の安全を守ることにあることは、疑いようがない。
 報告書は、現行条文の下で、政府の9条解釈は、非武装から、自衛隊創設へ、国連平和維持活動(PKO)派遣へ、と変更されて来た事実を指摘し、今回の、集団的自衛権の行使厳禁から解禁という解釈変更も何ら不当なものではないとする。
 しかし、9条が敗戦国のわび証文として、1項で(侵略)戦争を放棄し、2項で軍隊と交戦権、つまり海外で戦争を遂行する手段を禁じていることは明らかで、だからこそ、わが国は、海外派兵は行わない…という点では一貫してきた。
 だから、同盟国を支援するために海外派兵することがその本質である集団的自衛権行使の禁止も一貫してきた。それをここで解禁してしまっては9条の禁止を破ることになる。「9条に関する政府解釈は一貫していたわけではない」との指摘は誤りである。
 報告書は、個別的自衛権だけでは国を守れないという前提に立っていろいろな事例を挙げている。しかし、それは正しくない。例えば、朝鮮半島有事(つまり米韓対北朝鮮の戦争)は即、在日米軍基地有事である以上、わが国の自衛は個別的自衛権で説明がつく。尖閣有事もわが国のシーレーン(海上輸送路)の防衛も個別的自衛権でしか説明はつかない。
 また、在外邦人の保護も個別的自衛(わが国によるわが国の防衛)以外の何ものでもない。さらに、わが国の領空を通過するミサイルは、危険物として警察権で除去すれば済む。
 報告書は、国際協調主義(前文、98条)の存在と「憲法により禁じられてはいない」から、国連による集団安全保障措置(例えばイラク戦争の際の多国籍軍)には参加すべきだとする。
 とんでもない話である。前文に見る国際協調主義が軍事的消極主義であることは条文を一読すれば明らかである。また、憲法が多国籍軍などに言及して禁じていないのは、それを許容する意味でなどなく、敗戦国日本にとって、それは論外であっただけのことである。
 さらには「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときに(限り集団的自衛権を)行使する」と言っている。しかし、本来、集団的自衛とは、自国には直接何も影響がなくても同盟国を助けるためにあえて参戦することで、それでこそ同盟国であろう。自国の安全に影響がある場合の反撃なら従来の個別的自衛権の行使で済む。集団的自衛権の「定義」が間違っているのである。
 無理だらけの報告書である。
小林節氏(こばやし・せつ)
 49年東京都生まれ。慶応大大学院法学研究科博士課程修了。専門は憲法。ハーバード大客員研究員、慶応大教授などを経て現職。著書に「『憲法』改正と改悪」など。

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