onomushi

斧子 · @onomushi

24th May 2014 from TwitLonger

『新しき世界』パク・フンジョン監督インタビュー



 ここ数年、映画ファンたちの間で名前が囁かれているシナリオ作家がいる。『生き残るための3つの取引』『悪魔を見た』の脚本を手がけたパク・フンジョンだ。二作品ともにエクストリーム・ムービーで熱狂的に好きな映画だっただけに、パク・フンジョンという人物に興味を抱いた。その後『血闘』で監督デビューをはたしたが、期待しただけの成果をあげることはできなかった。映画に対する物足りなさが大きかった。

 切歯腐心、パク・フンジョンは『新しき世界』によってノワールに戻ってきた。『生き残るための3つの取引』のストーリーテリングと強烈ともいえるキャラクターの魅力を思い出し、今度こそパク・フンジョンの力量を見極めることができるだろうと予想した。『新しき世界』は重たい男の世界の物語だ。吸引力のあるストーリーと俳優の好演が見事に合致した。生きた映画にインタビューが抑えられなかった。


 最初の映画『血闘』は興行的に見て失敗でした。『新しき世界』の興行に対する重圧もとても大きいことでしょう。

「精神的な重圧はとても大きかったです。今度こそうまくつくりたかった。『血闘』では勝手がよくわかりませんでした。劣悪な制作状況の中で最善を尽くそうと努めました。振り返ってみたら心残りが多くあった作品で、次の作品に取りかかる際に不安が拭えませんでした。そのうえ今回は名の知れた俳優もついたこともあって、重圧がとにかくすごかったです。『新しき世界』に限った話ではなく、映画を送り出す立場にいれば重圧からは逃れられません。封切を控えているときは、食事もろくに喉を通りません。
 最初の試写会の前はほとんど寝ることもできませんでした。「大変だ、このまま逃げてしまおうか? 一体どうすればいいんだろう?」落ち着きなくそわそわと憂いては心配して、体重もだいぶ落ちました。今でもまともに眠れません。興行を別にすると、一緒につくりあげてきた役者たちやスタッフに恥ずかしくない映画になっていたらいいです。今作においてはそのようにできたと思っていますので、安心しています」

 シナリオを執筆された『生き残るための3つの取引』『悪魔を見た』はエクストリーム・ムービーでとても好きな映画です。両監督にインタビューをしながらパク・フンジョンとは何者だろうかと興味を抱きました。インタビューが反復するかもしれませんが、シナリオというものに関心を持ち、書きはじめるに至った過程をお聞きしたい。

「高校のとき、漫画家になろうと思いましたが、どうしても絵が上達しませんでした。その後1年ほど心がさだまらないままにさまよいましたが、映画を三本同時上映をしている劇場に足を運んだことがきっかけになりました。がらがらの劇場で映画を見て「新世界」を味わったのです。映画仕事をしようと思い至ったものの、当時はどうしたらいいのかよくわかりませんでした。関連資料を手に入れることも困難でしたし、映画学についても今のような状況ではありませんでした。それでシナリオ作法と映画雑誌を熱心に読みました。その結果映画をつくるにはまずシナリオを先に書かなくてはならないと悟ったのです。
 そのときから無尽蔵に映画を見て歩きました。町内のレンタルショップはすべて制覇しましたし、日本文化院やドイツ文化院、フランス文化院に出入りして映画を見ました。字幕がなくてどんな内容かはわかりませんでしたが、繰り返し観ているうちに理解できました。その後はビデオを見ながらシナリオを書く練習をしました。場面と台詞をシナリオに起こし、気に入らない部分があったら台詞を新しく書き換えて、結末も変えてみたりしました。そうやって書いたシナリオは私が見た映画とまったく違う作品になっていました。そのときからシナリオをずっと書き続け、高校2年生になったとき、長編が1本完成しました。地下鉄が脱線して次々と事件が起こる、制作費のかかる話でした」

 シナリオを書いていた当時は、どんな映画に影響を受けましたか?

「香港映画やドイツ映画にたくさん影響を受けました。その当時は、韓国映画界も今ほど活発ではありませんでした。劇場にかかる映画は同時期に公開されていたハリウッドや香港映画に比べると実に退屈なものでした。なので、韓国映画をあまり見なくなってしまいました」

 レンタルショップで映画を選ぶ際、好んだジャンルや監督はありましたか?

「はじめて好きになった監督はデヴィッド・リンチで、彼の撮った作品を好みました。映画は特に好みのジャンルを選ぶのではなく、片っ端から見て楽しみました。唯一好んだジャンルものはミステリーやスリラー、政治ものであり、とりわけマフィアやノワールにいれこみました。ですが、ロマンティックコメディには自信がありません。ひとが本当にああいった状態になるのか、女性心理がよくわからないので」

 ひょっとしては結婚はしたのですか?

「しました」

 それなら恋愛していた頃の過程を思い出せばロマンティックコメディも書けるのではないでしょうか?

「よくわかりません。そちらのジャンルに関してはまったく自信がありません(笑)」

 話をつくって文章に起こすのならば、小説やテレビドラマも考えられたと思いますが、映画を選択した理由は?

「テレビドラマに関しては考えたこともありません。ですが、究極的に小説を書きたいという熱望はありました。映画を選んだのは、小説よりは映画の方がより面白そうでしたし、漠然とそちらの方がうまくやれる気がしたからです。シナリオ書きならば、創作の苦痛というものがありますが、私の場合それはただ苦痛なだけではありませんでした。また、私の性格は慎ましい方ではないので、ダイナミックな映画の方が合いました」

 はじめてシナリオを書いたときはどうでしたか? シナリオ作家に対する認識や待遇がよくないという話をよく耳にするのですが。

「シナリオが完成すれば出力して封筒に入れ、夜になると公衆電話ボックスを訪ねて行きました。映画制作会社の電話番号を調べて翌日から電話をかけました。制作会社に繋がるとシナリオを郵便で送れと言われましたが、私は封筒を持って直接訪ねました。そうやって連絡がきたところは一ヶ所しかありませんでした。ミーティングをしながら私が聞かされたことといえば、会社の経営状況がよくなくて難しいといった愚痴です。当時、周囲に映画をつくる人間が誰もいませんでした。映画の現場がどういったものか知らずにいましたし、この道がいかに大変なものかということもわかりませんでした。それが私にはよかったのかもしれません。よくわかっていなかったからこそ、ずっと挑戦したいという意欲を抱き続けることができましたので。実際映画で食べていけるようになってから、まだ5、6年ほどです。一時期やめようと思ったこともありましたが、ホームレス同然の人間なんて映画現場ではざらでした」

『血闘』に続き、『新しき世界』が二作目の監督作です。シナリオを書いた『生き残るための3つの取引』『悪魔を見た』のスタイルから考えると、『血闘』は思いがけない選択です。武侠漫画のストーリーも一部使ったとわかりますが、本来そちらのジャンルが好きで『血闘』を書いたのでしょうか?

「漫画家になりたかったものの中学以降絵が上達しませんでした。どの場面でもキャラクターの顔を維持させなければなりませんが、私の場合、キャラクターのアクションによって顔が変わりました。あっ、これはダメだなあと思いました。それで代わりに漫画ストーリー作家として2年ほど仕事をすることになったのです。貸し本屋に入る、いわゆる工場漫画のストーリーを組むことでした。漫画ストーリー作家の状況もよいものではありませんでした。好況のときもありましたが、インターネット時代になって市場が悪化しました。それでも金銭的な面では大丈夫でした。映画の場合、シナリオ作業をたくさんしたものの、お金を受け取った記憶がありません。漫画の方は金額の大小に関わらず、約束した日に約束どおりの金額が通帳に入ります。ある時は、あらかじめお金が入っていました。支給日が土曜日であるにも関わらず、金曜日に入金されていたので驚いて、「なんでお金が入ってるんですか?」と、電話をかけたら「明日が週末なので送金しました」と言われ、そのときは本当に感動しました。漫画仕事をしながらも、シナリオは書き続けていました」

『新しき世界』の構想はどのように生まれたのですか?

「本来あった物語の中盤にあたる部分です。書きとめた物語は、1990年のある日、港湾労組のストライキ現場から始まります。ストライキが起こると、会社と提携契約を結んだ組織暴力が投入され、警察はそれを黙認してくれる。そしてその代価として港湾組合を掌握していくのですが、そのときチェ・ミンシク演じるカン課長が港湾で切断された首を発見し、本格的な事件に突入します。私がやりたかったのはエピック・ノワールでした。1990年からの20年の歳月が背景であり、3人の男の物語というよりは、20年余りの歳月を越えて、勢力争いを続けてきた組織の物語に焦点を合わせていました。記者懇談会の折にも話しましたが、チンピラがネクタイを締めて政治をする話がやりたかったのです。『新しき世界』は悩んだ末に、現時点での演出力量を考慮して、中盤の部分だけ抜き取るのが良いと判断し、そのようにつくりました」

 社会に向ける眼差しは否定的ですか?

「そうでもありません。私は幼い頃からすこし斜に構えた部分がありました。大人たちの話をありのままに受け入れることができない。多少反骨気質なところがありまして、結果があれば、その過程はどうであったかといったところにより関心を抱きました。なぜ、あんな結果が出てしまったのか、と。よく善悪の関係は曖昧だという話をします。ひとつ例をあげるとしたら、ある事件が起きて結果が出た。被害者と加害者がいて、結果だけ見たら加害者が批判を多く受ける。だが、事件の裏側を調べてみたら被害者に原因があったのかもしれない。
 私は善悪というものは、その過程によっては完全にひっくり返ることもありうると思っています。私はニュースというものを絶対に信用しません。彼らはいくらでも情報を加工することができます。団体や組織は自分たちの都合のいいように事実を加工するものでしょう。ですから、ニュースは構えて見るようにしています。「それがその一因なのか? そんな理由がないのでは? それは常識的に見て可能なのか?」こういった私の性格が映画に反映されているようです」

 シナリオを執筆する際、背景や事件、人物などに関して取材はたくさんする方ですか?

「取材をしながら、勉強をしていきます。しかし事実にばかりこだわっていたら、話が自由につくれないので注意はしています。実際、話というものはおおよその事実だけでつくらねばなりません。映画はもっともらしい嘘を見せるのですから「なんかありそうな話」と思わせることができたら成功なのです。それでも、題材となる分野や世界に関しては、できるだけ勉強はします。自分自身でよくわかっていない分野を書くことはできませんので、資料調査と取材を充分に行い、あらかじめ理解を深めておきます。そして残った資料に関しては、最大限すみやかに忘れるようにしています。
『新しき世界』のシナリオを書きはじめる前に、90年代から国内に入ってきた三合会ややくざに関して調べました。彼らの暴力資金が流れて入ってきたことによって誕生した新生組織に対する資料を探して、彼らのパートナーがどんな事業を行ったのかを調べてみました。検察や警察が公開している資料にも関連情報はたくさんあります」

『血闘』『生き残るための3つの取引』『新しき世界』は3人の男が主人公です。三角構図の関係を好む理由は?

「あえて意図したわけではなく、話が完成したらそうなっていました。シナリオ作業をする際、キャラクターよりも話を先につくります。私はまず事件及び状況を先に考えて、それから巻き込まれていく人物を登場させていきます。その過程において三角構図がいちばん面白く感じました。時には同じ側の人間が敵対する側を攻撃し、手を握り合った人物が互いに後ろ首を狙って絡み合う三角関係は最高です。もし4人だったら、2対2で一方を仕留めることができますが、3人だったらそれも曖昧になります。神がくだした最も公正なゲームはジャンケンだと思います。『スタークラフト』の3つの種族だって必死に戦うではありませんか(笑)」

 つくられた映画がどれも男性中心の物語であるうえに、女性キャラクターの比重や活躍が小さいのは?

「女性はよくわからないので描くのが非常に難しい。そういった質問はよくされますが、ある状況が広がりを見せる際に、人物はどんな職業でどういった反応をするのか頭の中で考えるのですが女性となるとどうにも戸惑ってしまいます。そのうえジャンルものくよくある消費されるだけの女性キャラクターを登場させることに対して申し訳ないという気持ちもあります。キャラクターがパターン化されて、男たちの物語に対して女が添え物のようになってしまうのではないかという気がしました」

 キャスティングはシナリオ段階から念頭に置いていたのでしょうか? 『新しき世界』を含めたあなたの作品のシナリオのうち、チェ・ミンシクとファン・ジョンミンがそれぞれふたつの映画に登場しています。

「シナリオを書くとき、キャスティングは念頭に置きません。あらかじめキャスティングを念頭に置いて書いたら、キャラクターに幅が持たせられません。そうなると私がつくったキャラクターが俳優に取って代わられることになるので、そういったことは書くときには絶対考えません。シナリオ作業が終わって制作に入った段階ではじめてこの人物はどんな俳優にすべきか考えます。チェ・ミンシクとファン・ジョンミンは私の作品に2回参加しましたが、それは偶然です。『生き残るための3つの取引』のチョルギをファン・ジョンミンが演じると聞いたときは私のイメージと合うとは思えませんでした。結果どうなったのだろうと試写会で見てみたら、実に最適なキャスティングだと思いました。ファン・ジョンミンが軽く煙草を吸うシーンがありますが、それが本当にやばかった」

『新しき世界』のキャラクターはキャスティングが容易ではないように思えました。制作が進んで、チェ・ミンシクとファン・ジョンミンがぴったりはまりこんだら、その組み合わせに負けないようにジャソンは誰にすべきだろうか、ふたたび制作者と頭を抱えて悩みました。そのとき、チェ・ミンシクさんがイ・ジョンジェを提案されて、そのまま決定しました。

「『新しき世界』は最初からクラシックにいきたかった。落ち着きのある重厚感漂う大人の映画が目標でした。映画の性質上、スピーディな調子やきらびやかな感じでいくことはできません。人間の薄汚い欲望がどろどろと渦巻く様を静的に見せようといった考えがありましたし、その3人の組み合わせが最適だと思いました。観客もひとまずは俳優の与える重量感に期待するでしょうから有利そうでした。率直に言いますと、キャスティングが決まったときは「これで私が失敗したらどうしよう!?」と気が気じゃありませんでした」

 シナリオを書いたら、愛着のあるキャラクターもできると思いますが『新しき世界』では誰でしょうか?

「私は自分の生み出したキャラクターが好きです。キャラクターを見送ることになると、とても苦しい。『新しき世界』ではカン課長がいちばん好きで、それだけに申し訳なくて痛ましく思えます。カン課長は孤独な人物です。私利私欲を満たすわけでもなく、仕事中毒になった人で、仕事のために私生活もありません。そのうえ、3人の中で心情的に見たとき、最も悪人に見えることもあって、いっそうカン課長に心が傾きます」

 キャラクターに愛情を注ぐことになったら、自分でも気づかないうちにその人物の比重をおおきく持っていくこともあります。本来の物語とこの映画におけるカン課長の比重について比較して、大きな差はありますか?

「本来のシナリオには仕事中毒者としてのカン課長の顔があります。その描写によってカン課長という人物をさらに理解できるようになっています。しかし『新しき世界』におけるカン課長の役割は、ジャソン(イ・ジョンジェ)やチョン・チョン(ファン・ジョンミン)に比べるとすこし見えづらい。彼は絵図を描いて、背後で秘密裏に事を進めながら、ふられた仕事も引き受ける。物語の基盤となる重要な人物ですが、すべての事件と人物を動かそうと画策する人間としての性格を付与しようと比重をおおきく持っていけませんでした。チェ・ミンシクさんもそのことを心得ており、カン課長というのは目立ってはいけない人物だとの意見でした」

 カン課長がいつも釣りをしていた場所が印象的です。内部はスタジオ撮影であるはずなのに、外部は独特です。

「あそこは再開発区域です。物語の舞台そのものが再開発区域でしたので、制作スタッフが全国をまわって場所を探しました。外部は仁川にあるところで、内部は全羅道でのセット撮影です。建物外観までセットでつくるわけにはいきませんでしたので、全国をまわって撮影しました。最大限実際にある場所を利用して、不足する部分だけ現場で手をいれました」

 カン課長の死は『オールド・ボーイ』とは正反対です。『オールド・ボーイ』ではチェ・ミンシクがキム・ビョンオクを『新しき世界』ではキム・ビョンオクがチェ・ミンシクの腹を刺して殺害します。意図的な演出ですか?

「撮影するときも、ふたりがその話をしました。今作で復讐するぞ、と。『オールド・ボーイ』を意識してのキャスティングではなく、偶然です」

 男たちの物語といえば言うまでもなく出てくる熱い友情のようなテーマを題材にしなかったのは「この世は信じられる人間などひとりもいない非情な世界だ」こういった考えによるものでしょうか?

「香港映画が好きながらも、ひとつ気に入らないことがあります。過度な友情描写です。私が書いた話は、その性質上友情を描くことはすこし難しい。『生き残るための3つの取引』『悪魔を見た』『血闘』すべて同様に、登場人物は死にもの狂いで生きなければならない切迫した状況に置かれています。『新しき世界』は、それなりの余地もあってジャソンとチョン・チョンの間に熱い友情がすこし見え隠れするようにしました」

 チョン・チョンとジャソンの関係がべたべたしています。ファン・ジョンミンがイ・ジャソンに注ぐ眼差しはどういった類のものでしょうか? 友情か? それとも自分より弱い弟に対する保護者意識か? もしも友情だったら、長い間自分を欺き続けてきたジャソンを許すことは骨が折れることだったでしょう。

「チョン・チョンとジャソンの関係は悲しみややるせない感情が溶け合っています。事件が起こったあと、ふたりともいちばん最初に自分自身について考えをめぐらせたことでしょう。「俺は今からどうすべきか? 俺が生きるためには何をしなければならないのか?」ここでチョン・チョンの心理は複雑になる。ジャソンの場合、チョン・チョンのために組織で力を行使するのに、チョン・チョンがいないとなったら他の組織員が黙って見逃してくれるだろうか? チョン・チョンがジャソンを見つめていたとき、おそらく劇中での台詞同様本当の兄弟のように心に想っていたことでしょう。シナリオ草稿だと、チョン・チョンは死ぬ前に「お前に会えたことに悔いはない」とジャソンに告げます。
 チョン・チョンがジャソンとはじめて会ったのは、彼が麗水の底辺ではいつくばっていたときです。チョン・チョンはジャソンに出会ってから、仕事がうまくいくようになった。彼にとってジャソンは幸福の象徴であり、福塊(※訳註:非常に貴重な人や物を比喩的に言う言葉)であったわけです。それから流れゆく歳月の中で、ジャソンの真心に触れて兄弟のようにいとおしまずにいられたでしょうか。警官であることを知って、過ぎた歳月を振り返ってみたら、激しい葛藤がありました。殺伐とした後継者争いの渦中で、チョン・チョンの場合、自分が斃れたら家族が生き残るのは難しいだろうという思いがあった。チョン・チョンはジャソンを自分の後継として見出した。それがひとつの計算で、もうひとつはカン課長の存在を見据えたうえでの計算です。ここでジャソンを取り除けば、カン課長との全面戦争を覚悟しなければならないという厳しい状況に置かれる。私の考えでは、ジャソンの裏切りにも関わらず、彼を変わらず兄弟として受け入れた心情の8割は人間的なことで、残りは計算だったのだろうということです」

 3人の人物の中で、ファン・ジョンミン演じるチョン・チョンが最も激しやすい。カン課長とジャソンが冷静沈着だったら、チョン・チョンに対して、あんな大馬鹿者が巨大組織のNo2なんてどうかしてると思ったこともあったのでは?

「チョン・チョンは麗水華僑出身であり、韓国においてはマイノリティとして生きていくのはとても厳しいことなのです。マイノリティに対する抑圧が激しい国なのに、そこで生き残って自身の地位を固めたのならば、只者ではないということです。そうやって生き残ってきたマイノリティには何か違うものがあるのでは、と考えました。いったん立ち向かわねばならないと感じたら容赦なく取り除き、同胞に対しては本当の兄弟のように接する。幼い頃からそのように育ってきた。チョン・チョンという人物は麗水の底辺に転がり落ちて食ってきたし、自分がどのようにすれば生き残れるのか、生存に対してはあきれるほどに賢い人物でした。ファン・ジョンミンとキャラクターに関して意見を交わした際も、チョン・チョンはとても頭のいい人物だと受け入れていました。きちがいのように見えて、頭の中では絶えず計算をしている、そんな人物なのです」

 映画の最後はジャソンとチョン・チョンふたりの特別な関係形成の過程を見せての締めとなります。結末をそのように持っていった理由とは?

「チョン・チョンにとって何故ジャソンは特別なのか、過去の姿を通してふたりが兄弟のように近づいていく関係の発展を見せたかった。この場面を撮る前に、俳優たちと制作者が集まってどんな状況に取り替えるのかを相談しました。私はふたりの過去を見せたいと言ったら、皆同意で意見が統一されました。はじめに考えたのは、ジャソンとチョン・チョンが刺身料理屋に座っているところをクローズアップして台詞をやりとりするというものでした。チョン・チョンがジャソンに「お前はどうする?」と訊き、ジャソンは「俺はなんでもやります」と言う。ふたりが顔だけ見える状況で、ああだこうだ言い合って、ジャソンはよくわからないと面と向かって責める。このときカメラが動いて、パッと置いてあった刺身が映る。そして刺身料理屋を出て行く」

 映画を見て疑問に感じる部分があります。終盤のあたりで新しいボスに従った天安派が決定的瞬間でジャソンの側につきます。映画ではこの過程が省略されています。ジャソンはどんな方法で彼らを味方に引き込むことができたのでしょうか?

「本来シナリオにはジャソンが彼らを引き込もうと餌をばらまく場面がありました。他の組織から見たゴールド・ムーンというのは憧れの組織です。組織暴力界のサムスンだと思えばいい。だから一門になりたいという強い欲望があるのです。天安派も例外ではなく、最大派閥であったジェボム派が潰れた状況です。組織というものはどうせ自分達の利益を最大化するのが目標でしょう。ジャソンは彼らにお金だけではなく、ゴールド・ムーンに関連した有価証券もいっしょに与えた。天安派が売ったそれを受けて、一門として受け入れるというのが本来シナリオにあった内容です。
『新しき世界』は商業映画ですのでマジノ線があります。必ず合わさなければならない時間があり、編集して削除しました。今回の映画の場合、本来の話からすこし削った部分があります。話をすべて生かすことができずに惜しく思いましたが、人物の微妙な表情をさらに生かした方がいいと判断しましたし、そこを重要視して見たら、なおさら入れることはできませんでした」

 映画の暴力描写が非常に殺伐としています。特にドラム缶に人間を入れてコンクリートを流し込んだうえで海に投げ捨てる場面が印象的です。ドラム缶を利用した殺人と隠蔽のアイデアは?

「資料調査をしていて、どこかでそんなことが実際にあると聞きました。それが噂なのか本当のことなのかはわかりませんが、はじめて耳にしたときはとても殺伐とした気分になりました。映画のようにドラム缶に人間を入れて海に投げ捨てたら、それをどうやって捜し出すのでしょうか? 完全犯罪とはああいったものなのでしょう。『新しき世界』はアクション映画ではないので、暴力描写が子供たちのお遊戯のように見えたら困ります。武術監督が頭をかきむしりながら大いに悩んでいました。一般の人々が実際に殺伐とした暴力に接したらどうなるでしょうか? それを見て快感を覚えるのか? それとも恐れを抱くのか? 実際そのような状況に置かれたら、何かを考えることも行動することもできずに凍り付いてしまうのではないでしょうか。『新しき世界』はアクションで快感を与えるのではなく、恐怖を感じられる構成にしました」

『新しき世界』で興味深い場面は、ジャソンが格好良くスーツを身につけ外に出ようとするも、ドアが開けば彼を迎えるお馴染みの韓国マフィアの姿が出てくるところです。お前たちがいくら格好つけてみても結局はやくざに過ぎないといった意味で面白かったです。合法的な事業をしながらも、結局刺身包丁と野球バットを振り回していますし。

「やりたかった話はネクタイを締めたチンピラが政治をするというものでした。これは合法を装ったところで結局はマフィアに過ぎないということです。ビジネスの際は静かに事を進めるものの、思い通りにならなければ途端に本性をあらわす。そしてこれらの合法化事業というのは結局防御壁を打ちたてようとする意図であって、それ以上はないと思います。マフィアが合法的な事業に切り替えるといったところで改過遷善ということではありません。マフィアを美化したくはありませんでしたし、彼らが本来どういった類の人間なのかを見せようと思いました。表では優雅なふりをしていても、根っこはやはりやくざのままです。劇中で理事会を開きますが、理事会を通じて正常に仕事が処理されるのならば完全な企業ではないでしょうか。カン課長が介入しようとするのは、彼らが絶対自分たちの性分を忘れることはないと考えたためだったのでしょう」

『新しき世界』を観た観客は『フェイク』『インファナル・アフェア』のような映画を思い浮かべることがあるようです。会長の葬式で写真を撮っていた警察官のカメラをイ・ジュングが叩きつけて壊し、地面に金を放る様子が『ゴッドファーザー』のソニー・コルレオーネのシーンと重なりました。

「『ゴッドファーザー』のそのシーンを意図しました。あまりにも好きな映画で、そのシーンが特に好きでしたので、一度真似てみたかったのです。『ゴッドファーザー』で、ソニー・コルレオーネが当時としては絶対の権力者であったFBIに強く反発して、カメラを壊して金を放り投げるシーンにどれだけスッキリしたことか。2つほど意図したシーンがあります。心から好きな映画への若干のオマージュを表したかったのです。ジャンル映画をやっていると、どうしても好きな映画の影響を受けてしまいます。その中で、ストーリーを私なりの方法で構成することが重要で、そう努めました」

 ノワールにとりわけ愛情を注いでいる模様ですが、ノワールのどういった点に魅力を感じるのでしょうか?

「ノワールはハッキリしています。私が好きなノワールたちは男たちが持っている欲望というか、そういったものを率直に表しています。そのためノワール映画を見ると男の本能が刺激され、簡単にはまってしまう。それに重たい話が好きです」

 今後も演出とシナリオは併行される予定でしょうか?

「機会があるなら、そうしたいです。演出とシナリオは違った領域です。演出の場合、私が書いた話を私が実際に表すところまでやり遂げることになるので面白味を感じます。今構想中の話がいくつかあるのですが、そのうちのひとつは自分で直接演出してみたいです。実際、国内におけるシナリオ作家の演出は曖昧な方です。シナリオだけに限定するなら、それでたくさん稼ぐなり、でなければ良い映画に時間をかけてすべきところですが、国内だとその一方だけでも果たすことは難しい。そのため専業的にシナリオだけずっと書き続けていくことは容易ではありません」

 夢見る映画の新世界はありますか?

「私が思うままに映画をつくれることが、私にとっての映画の新世界です」



原文:http://www.extmovie.com/xe/article/55561

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