以下の原稿は、「SONY}について、2010年に書いたものです。


初出・社団法人日本経営協会
機関誌「OMNI 2010年4月号」

http://www.demeken.co.jp/dmkn/2010/03/post-16.html

(4)SONYが目指したもの

 SONYは、戦後社会の発展の段階で、故・盛田昭夫と故・井深大のコンビにより、オリジナルな部品開発、製品開発、商品開発へと確実にステップを駆け上がっていた、日本が誇る企業であった。

 盛田さんが犬型ロボット「アイボー」の開発をさせたのは、おそらくそこに未来を感じていたからではないかと思う。想像でしかないが、SONYは、故・松下幸之助さんが築き上げた松下電器産業という家電の巨人に挑みたかったのだろう。そのためにSONYに欠けているのは、白物家電と呼ばれている冷蔵庫や洗濯機の生活家電領域である。しかし後発のSONYが白物家電を作っても勝てるわけがない。白物家電を未来の側から見たならば、それは「ロボット家電」である。

 アイボーはやがて掃除機ロボットや洗濯機ロボットに変容する可能性を秘めた、盛田さんの遺産だったのではないか。後継の経営者たちが、その意志と未来的な展望を引き続くことなく、短期の利益追求に走って、アイボーの流れを止めてしまったことは、日本企業文化にとっても、大いなる未来の喪失になった気がしてならない。

 戦後の日本の経営者や戦略家たちは、大きな未来への展望を抱えながら現実の努力を怠らなかった。未来から現在を見る視点を持っていたのである。SONYや松下やホンダだけではなく、リコーの創始者である故・市村清さんのダイナミックな活動や、私の領域であるメディアの世界では、デスクKの故・小谷正一さんの功績は今でも燦然と輝いている。

 経営者たちは、最近の若者たちの萎縮した小人ぶりを嘆くが、それは指導者である経営者たちの姿の反映に思えて仕方がない。少し事業に成功するとタレントのようにテレビで話芸を演じたり、もっともらしいコメンテーターになったりする経営者がいるが、そうした勘違いをしている限り、日本社会の構造そのものを変えようとするビジョンが育つわけがない。

 生活ロボットとしての白物家電の可能性は、ますます大きくなってきている。盛田さんが名付けたように、それは単なるプロダクツではなく、生活する人間の「相棒」でなければならない。生活の中で思い、考えることを得意としてきた日本人こそが、こうしたコミュケーション家電を開発すべきなのだ。日本で開発されたプロタイプが、世界中の人たちの生活に対応して展開していくことを夢見ることは、もう出来ないだろうか。

 盛田さんの、もうひとつの思いは、子どもたちへの期待であった。ドリームキッズこそが、日本の未来であることを、確かに感じていたのである。

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