『新しき世界』最高! イエー! そんなノリの話でもないですけど、とにかくもう一日中この映画のことを考えてて、妄想をアウトプットしないと気が狂いそうなので吐き出します。とりとめなく。言うまでもなくネタバレというか、映画をご覧になっていないとサッパリ分からないヨタ話が以下続きます。

韓国姉貴の考察ブログから得た情報なんですけど、ジャソンは1976年10月15日生まれ。新世界プロジェクトの会議をしているシーンで出てくる西暦が2012年。なので映画の中では36歳。高校卒業して警察学校に入り、28歳から潜入を始め、最後の麗水のときは30歳。チョンチョンは3歳上らしいんですがちょっとソース不明。6年前の時点でいいかげん仲良しな雰囲気なので、おそらく潜入を始めてすぐに知り合ったのではと予想。

ジャソンはすでに両親が亡くなってるらしいんですね。それがいつごろの設定なのかは分からないんですが、子供の時にすでに亡くなってるんだとしたら、血縁が強い意味を持つ韓国社会の中、華僑で孤児のジャソンはかなり寄る辺ない思いをしてきたのではないか。だから高卒でもすぐ就職できて、「組織」に所属できる警察官という仕事を選んだのかもしれない。でも「組織」に所属してもその出自によって理不尽な思いをしたであろうことは想像に難くなく。そんな中、ジャソンはカン課長(当時は班長?)に声をかけられた。

映画の後半でムショの中のジュングが言う「これは毒だ。しかし、食わないわけにはいかない」というセリフ。これ、あのパトカーの中のジャソンにも当てはまる言葉なのかなと思ったんですよね。まだ「やります」とも言わないうちに自分の資料を破り捨てられてしまうくらいの下っ端で(階級はあの時点で巡査。韓国の警察の階級では一番下位)「組織」から軽んじられていたジャソンにとって、「警察官」でいるためにはカン課長の言葉に従うしかなかった。だからどうしてもジャソンは任務を終えて組織に戻りたかったんだと思う。潜入の任を解かれ組織に戻れば、今度こそ胸を張って「警察官」として生きていけるはず。その「戻りたい」の気持ちこそがジャソンを追い詰めていた。ヤクザとして8年暮らし地位も力も得てもなお震えながら「もう出来ません」と言ってしまうほどの心身の消耗。その辛さの元は任務へのプレッシャーというより「戻りたい」気持ちだったんだと思うんすよね。ああかわいそう! かわいそうかわいい!

一方、チョンチョンは仕事やメシのシーンを見るに自分のルーツを大事にしている感じですよね。たぶん華僑の両親(親族・コミュニティ)と濃く深く付き合いながら、華僑としてのアイデンティティを育み生きてきた。いわゆる「地元のヤンキー」なのではないかなと。

ここ考えたんですけど、課長とチョンチョンは空港のシーンで始めて対面で会話している。つまりチョンチョンは会長が死ぬまでは警察からそれほど厳しくマークされていなかった可能性が高い。チョンチョンが警察からマークされていなかった存在だとすると、ジャソンが彼と組んだきっかけは組織の命令ではなく成り行きだったんではないか。地方の小さい組に入ったときの「同期のチンピラ」みたいな。

ロコなヤンキーのチョンチョンは地元じゃ負け知らずだけど、30半ばになっても芽が出ず地方でくすぶっていた。もしかするとのし上がって中央に行こうという野心も持っていなかったかもしれない。しかしそこに新しい相方・ジャソンが現れた。そしてジャソンと組んでシノギを始めたらトントン拍子に出世をするようになり、ソウルで組を構えるまでになった。

なんでこう考えたかというと、6年前の麗水の場面、あの時点ではちんちんぴらぴらのどチンピラな雰囲気じゃないすか。たった二人であんな大人数がいる店にかちこみかけて。あれ、誰かの命令で行かされたんだとしたら、モロにイモ引かされたんだと思うんですよ。でも予想外に二人の戦闘能力が高くてキッチリ制圧してしまった。そこからチョンチョン(とジャソン)のヤクザ界での快進撃が始まったんじゃないのかなあって。そんで潜入になったからには組織内である程度出世もしないと意味が無いわけで、そのための情報はもちろんカン課長がジャソンに流していた。つまり、チョンチョンの出世にはジャソンの存在も関わっている。二人が出会っちゃったから、あれがああしてああなっちゃった。っていう妄想なんですけどね。この妄想も正式な続編としてプリクエルが出ればふっとぶアレですけど、はやくふっ飛ばしてほしいです。とりあえず一旦おわる。まだ話し足りない。

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