趣旨
特定秘密保護法が12月6日に参議院本会でも強行採決をもって可決し、成立してしまいました。
この法案が通ったことで施行後の政府による一層の情報統制、プライバシー侵害、市民運動への 制限および弾圧、逮捕・起訴されても何が「特定秘密」に当たったのか明らかになる保障もなく適 正な裁判が困難になることなどが既に予見されています。この特定秘密保護法は国家安全保障 会議(日本版 NSC)の創立を一体として、行政機関への情報集中を図り、戦争するための国家体 制を作るためのものとして、戦前の内外国人を弾圧した「治安維持法」や「軍機保護法」の再来とも 呼ばれています。 このような危険な法律であるにも関わらず、いや、このように危険な法律であるからこそ、与党は 数の力をもって強行採決という暴挙を働いたのでありましょう。国会を通過しようがこのような弾圧 法、軍事立法は私たちの抗議によって廃止に追い込まなければならないと考えます。 そしてこの法案を可決させてはならないと反対するひとびとの怒りは、この短い間に大きな運動と なっています。石破自民党幹事長が「デモはテロ」と脅しをかけたり、強行採決に対する抗議者を 逮捕するなどの弾圧を働いたことは、まさにこの間の運動が権力にとって無視できない脅威へと成 長したことの証左でもあると思います。 しかし抗議の声が大きくなる一方でそれが日本国民主義を強化させてしまっていることに対して 私たちは危惧をもたざるを得ません。「国民の声を聞け」「国民主権の根底を覆す」「国民の知る権 利を守れ」「国民の目、耳、口をふさぐ」・・・どこもかしこも「国民」という言葉が連呼され、「国民」が 大事にされないことを怒っているようです。 「国民」は排除を伴う言葉です。一般に現行憲法は戦前の天皇制ファシズムの反省から誕生し、 その三大原則を国民主権、基本的人権の尊重、平和主義であると理解されています。しかし、現 行憲法が制定される過程においてこの「国民」という言葉がまさに国民ならざる者の基本的人権を 制限するために選ばれた言葉であることを今一度認識する必要があると考えます。日本国憲法制 定過程において GHQ 草案に含まれていた人種や国籍による差別を明白に禁止する文言を取り 入れず「the people」を意図的に「国民」と翻訳した上で、この憲法が発布される前日の1947年5月 2日、天皇の最後の「勅令」として「外国人登録令」によって、それまで植民地化によって日本国民 とされてきた朝鮮人、中国人(台湾人)を「外国人とみなす」と一方的に国籍を剥奪したことからも その意図は明白であり、第一条の天皇規定と並んで、明治憲法から地続きに、天皇制の呪いに よって現行憲法が支配されていることを示しているといっても過言ではありません。 この社会における自由、平等、人権が「国民」によって占有されることに私たちは反対します。 「国民」にとっての「平和」が国民ならざる者への収奪と暴力によって保障されるような社会を拒絶 していかなければなりません。 国家安全保障会議と一体となって戦争をするための体制を整えんとし、体制に歯向かう者への 弾圧を強化するための特定秘密保護法に対して、「国家」の「安全保障」のために「国民」が犠牲 にされることに反対するという「国家主義」対「国民主義」のままでは、「国家の安全」と「国民の安 全」の一体化を図るためのプロパガンダに騙され、手を結び、ファシズムはより深刻化するでしょう。 「国家」の「安全」を脅かすものとして日本は中国、朝鮮を「仮想敵」として最大限に利用し「脅威」 を創作し続けており、そのことによる国内の中国人、朝鮮人をはじめとした外国人に対する人権侵 害は(その不在によってではなくその過剰さによってまるで空気と一体となるように)気付きもされな いほど日常の風景として溶け込んでしまっています。非「国民」にとって弾圧、人権侵害はずっと 前から始まっており、その日常に「平和」は存在していなかったことを知る必要があります。 特定秘密保護法に対して根底から闘って廃止を勝ち取るためにも、私たちはそれを「国民」の権 利に根ざした闘いにしてはならないと考え、ここに今回の示威行動を呼びかけます。
自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと

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