ナツヤスミ

 君にとって、ナツヤスミって、どんな風だい? 僕にとってはこんな風だ。朝起きる。テレビで十五分だけ毎日やっているあのドラマを見る。もちろん、朝の方じゃなくて、昼の方だよ。家には誰もいない。とりあえず、パンを頬張る。そして、だらだらとテレビを見続ける。いつの間にか、変な映画がやっている。つい見ちゃう。ワイドショーが始まって、時代劇まで見始めたらとんでもないことになるから、始まると同時に、「えいや」って思い切って目をつぶって、テレビをオフにする。

 大切なナツヤスミを、テレビばっかり見ながら過ごしたんじゃ、もったいない。僕は顔の色が白いから、ナツヤスミ明けに学校に行って、どこにも行っていないんだなって思われるのがシャクじゃないか。だから、自転車に乗って外に出る。河原の土手を走る。

 暑いんだよ。すごく。土手を降りて河の近くに行ったって、涼しくない。やっぱり暑いや。ここは内陸だから、日本一暑い場所だとも言われるよ。もうどんなところか、察しはつくよね。背丈の高いススキだかアシだかに囲まれていると、「ああ、ここはアフリカ? サバンナ?」って、思わずつぶやいてしまう。

 お店に入ってサイダーを買う。ここは茶色い紙袋にサイダーを入れてくれる。変な店だって? ゴメン。変なのは僕の方なんだ。お店の人は白いビニール袋に入れようとするんだけど、「紙袋に入れてください」ってリクエストするんだ。別にエコではない。それをママチャリのかごに入れると、家まで少しの間ガタゴトゆらせる。家に着いたら、サイダーの瓶の頭を少しだけ出す。紙袋は濡れた瓶と一緒にぐしゃっとねじる。栓抜きで栓を抜いたら、吹き出そうになるので、急いですする。そして、紙袋を巻いたままで、ぐいっと飲む。ワイルドだろ? でも炭酸に弱いから、「うぐっ」と来る。マンガを飲みながらダラダラと読む。いや、「読みながら飲む」だった。待てよ。「マンガ」を「サイダー」に置き換えてもいいのか? もう、どっちでもいいや。細かいことは気にしないで読んでもらいたい。頭がゆだってるんで。

 さあ、少しは日に焼けたかなと思いながら、ぐっしゃりと濡れたタンクトップを脱いで、シャワーを浴びる。昼間だから浴室の電気は付けないよ。でも、ついさっきまで太陽の下にいたせいか、すごく暗く感じる。日に焼けたのかなあ。うーん、暗いのか、それとも黒いのかよく分からない。そこで、浴室のドアを少しだけ開けて、手を伸ばしてスイッチをパチッと押して電気を付けると、やっぱり分からない。それに電気を付けたままじゃ、夜みたいだから、また消すよ。

 シャワーを浴びたら、新しく買ったばかりのTシャツを着てみる。まるで、どこかに外出するみたいじゃないか。お祭りにでも。どこかで盆踊りでもやらないかな。彼女がいればなあ。

 そんなことを妄想していると、脱衣場が暑いせいか、Tシャツのノリがきついせいか、もう汗をかいてきたよ。クーラーのある部屋に入って、テレビのスイッチを付けると、ちっともかわいくないアイドルが踊ってる。くだらないと思って、読書をした。もちろんマンガだけどね。

 そうこうしていると、お母さんが帰ってきたよ。買い物袋に何か入れてね。暑い暑いって言いながら。「今日の晩ご飯は何?」って聞くと、コロッケだって。あの茶色い紙袋のなかで、コロッケの衣のカスが、油だか蒸気だかにもまれてぐっしょりと汗をかいているのを想像したら、もうそれだけで暑くなってきた。

 でも、少し冷めて湿ったコロッケに、冷蔵庫のなかで冷えたマヨネーズをたっぷりかけて、砂糖をかけた豆腐と交互に食べているうちに、何だか涼んできた。

 もう暑くないからって、窓を開けて、網戸を閉めているのに蚊が入ってきたからって、蚊取り線香を付けて、テレビのカンフー映画を見ているうちにお父さんが帰ってきて、ビールを飲み始めた。蚊取り線香の匂いとビールの匂いと、おまけに煙草の匂いが混じってきて、僕は自分の部屋に退散した。それから、そうだ、お風呂に入って、この匂いを消そうと思って、丁寧に体を洗い流していると、「いつまで入っているんだ?」って怒鳴られて、渋々と出たよ。

 そして、部屋に入って、ゲームをした。僕は何でもし始めると、凝り性で、終わらなくなっちゃうんだ。ものすごい集中力でゲームをしていると、時間があっという間に経っちゃう。夜の十一時になった。親はもう寝ちゃったよ。こっからが僕の本領発揮だ。

 僕はベッドの下から靴を取り出し、自分の部屋の網戸を開け、そこに腰掛けて靴を履く。ここは二階だ。塀の上に立って、網戸を閉めて、塀の上を伝って、トタン屋根の車庫の上をそろそろと歩く。物音一つ立ててもいけない。看板のついている柱の金具の上に足をかけたら、地面にスタッと飛び降りる。そして、車庫の中の自転車に乗って、夜の散歩に出かける。

 この時間になっても何だか暑い。でも、自転車を走らせていると、暑くもなく、寒くもなく、風と自分の体温とが同じくらいになって、何だかプカプカと浮いているような感じなんだ。まっすぐの道ではわざと上を向いてみたりする。だって、空を飛んでいるみたいじゃないか。真っ暗な道では、わざと目をつぶってみたりする。暗さを、より強く感じるから。お父さんがビールを飲む代わりに、僕は夏の夜の空気を飲むんだ。

 通ったことがない小さな道に、迷い込んだようにふらっと入ってみる。すると、地元の女子高のそばにやってきた。体育館があって、その二階の方から明かりが漏れてくる。蒸気が出ている。女の子の声が「きゃっきゃ、きゃっきゃ」とする。僕はあっけにとられた。もう夜中だぜ。何でこの子たち、学校にいるの? 頭が悪いけれど部活の強い高校だから、今まで練習やってたのかな。それとも学校で合宿しているのかな。うーん、想像を絶する世界だ。僕は、彼女たちが一日かけて流してきた汗と、今たぶんシャワーで洗い流している汗とを思い浮かべ、ドキドキしてきた。

 こんな所にいたら変態だと思われてしまう。僕は、彼女たちのお風呂の蒸気が、せっかくちょうどいい感じの、この夜の空気をあたためて、蒸らしてしまうんじゃないかと恐れた。思えば、ぼんやりとした月夜の晩だった。

 僕は、それから草むらのなかの道を走った。うっすらと黄色い花が見えた。自転車を止めて、花を見たよ。そうしたら、すごくびっくりすることが起こった。花がくるっと回転するように動いたんだ。そして、花びらがぱかっと開いた。じっと見ていると、他の花もまた、くるっと回転するように咲いたんだ。そしたら、足が蚊に刺されてかゆくなってきた。少しかいてから、爪で十字にへこませて、急いで自転車に乗った。

 そして、家の車庫に自転車を止めて、看板の金具に足を引っかけて、トタン屋根の上にそろりと乗り、塀の上を伝って、部屋の網戸を開け、そこからが一苦労、どうにかこうにか這い上がって、窓の上に腰をかけ、靴を脱いで、音がしないようにベッドの上に放り投げ、部屋の中に入ったら、ベッドの下にしまう。

 そして、急いでキンカンを塗りに、テレビのある部屋に行って電気を付けて、ソファに腰掛けて、キンカンを塗っていたら、ふいにお母さんがトイレからジャーッと出てきて、「まだ起きているの? 早く寝なさい」だって。それは、こっちのセリフだよ。「お母さん、明日も早いんでしょ。早く寝なよ」って親切心で言ってあげた。そしたら、「あんたナツヤスミだからってぐうたらして、いつまでも遅くまで起きていて、いつまでも遅く寝ていて……」って始まったから、さっさと部屋に戻ったよ。

 ああ、どうして大人は早く寝かせたがるのかな。別に起きていたっていいじゃないか。うちのお母さんは、本当に顔を見れば、寝ろ、寝ろって、夜は寝るものだなんて大人の勝手に決めた妄想さ。人間は寝ているふりをしながら起きている。夢を見るのが、いい証拠だ。

 僕は夜を見てきた。もちろん女の子の裸は見ていないけれど、花が開くのを見てきた。これはよい勉強だ。ネットで調べてみた。「夏 夜 花」じゃ出てこないので、「夏 夜 咲く花」にしたら、知恵袋が出てきた。待宵草、または宵待草、どうもこれらしい。

 でも、僕が本当に見たかったのは何なのか、それも知恵袋のおかげで分かったよ。月下美人だった。間違いない。僕が見たのは、黄色い宵待草だったが、でも本当に見たかったのは薄紅色のような肌の「月下美人」。

 次の日、僕は、今まで書いてきたのとほぼ同じような一日を過ごしたあと、またあの女子高の近くに行ってみた。でも、真っ暗だったよ。霊が出そうな気がした。肌寒い夜でね。いつもと違う。あの草むらの道にも出かけてみたけれど、曇ってて月も出ていないし、月下美人どころか、宵待草も見当たらない。何だかよく分からなかった。で、帰ってきた。

 ああ、もうすぐ夏が終わるなあ。そう言えば、宿題やってないや。

 この日記は、やっぱり作文にはできないよなあ。「ナツヤスミ、何をしてましたか?」って聞かれたら、「海に泳ぎに行きました」って答えるよ。

 でも、僕のナツヤスミは、ここに書いたとおり。

 君の今年のナツヤスミはどうだい?

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