オリバー・ストーン、ピーター・カズニック 外国特派員協会会見@東京 2013年8月12日(全訳 Q&A部分前半)

https://www.youtube.com/watch?v=FoZsERPRqII
https://www.youtube.com/watch?v=USoFSvYuG2E


では質問をどうぞ。

シリアの記者:
私の質問は、日本についてだ。米国の核の傘を国家防衛に利用している今日本はどうすべきだと思うか。

カズニック:
すみません、どこから来たと言いました?

記者:
シリアです。

カズニック:
シリアという事なので、発表させていただくと、我々の『もうひとつのアメリカ史』のアラビア語翻訳の出版契約をシリアの出版社と結んだばかりなんです。出るのを楽しみにしています。

さて、日米関係にはいろいろ問題がある。戦後すぐのとき、米国が日本を占領していたときから、アメリカは日本のメディアを検閲していた。今、わたしたちがしている努力が大切なのもそのためだ。今日我々が見ているものは、その期間なされた検閲の結果だからだ。米国による占領時日本のメディアは原爆について一行も書く事が許されなかった。そんな厳しい検閲が1952年まで続いた。

その時以来ずっと、アメリカは日本を“エレンボーイ”、つまり、帝国拡張のための子分として扱ってきた。だから1960年代の日米安保改定のときには、岸(信介)が……、その岸一族というのがまた日本で語られなかった歴史のなかで重要なのだが、1960年に岸、そのあと1972年には岸の弟の佐藤(栄作)が、沖縄返還時の首相として核抜き返還であると発表した。しかし実際は米国と密約を結び、秘密裏に沖縄に核兵器の持ち込みを認めた。その系譜は今日、岸の孫に当たる安倍(晋三)首相に続いている。

安倍は史上最悪の歴史否定者であり、我々は今、まさに彼のような人が代表するものと戦っている。それは別の言葉で言えば「普遍的なパターン」である。歴史の否定は戦勝国だけが行なうものではなく、しばしば敗戦国でも行なわれる。多くのアジアの国々が日本に占領されていた時期の事を語りたがらない。それは、日本からの観光客がほしいからである。従軍慰安婦問題と南京虐殺の件についてはしばしば取りざたされるが、そのほか、日本帝国による占領時代に起ったできごとについては、ほとんど議論される事がない。

日本軍はビルマ、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ベトナムへと侵攻した。かれらが現地でしたことは何か。韓国人の従軍慰安婦問題のようなことが、日本の占領下アジア中でおきていた。韓国人従軍慰安婦などよりもっとひどい形で。

そしてそのことは日本ではまったく教えられていない。そのひとつひとつの語られた事のない歴史、今日ある状態があるのを許した出来事にスポットライトを当てることが大切なのだ。

核の傘に関して言えば、日本は世界で唯一の被爆国なのだし、戦争を禁じた憲法9条を持つ国なのだから、核廃絶のリーダーシップをとって、世界の模範となるべきなのだ。それなのに、日本はすでに憲法9条を骨抜きにしており、世界第4位の軍事予算を持つ国になっている。

日本はアメリカの核の傘の下で臆病なこわがりの子供のように振る舞っている。そうではなく、独立のため、真実のため、そして今ある紛争を平和的に解決するために立ち上がるべきなのだ。アメリカの核の脅威に支えられた形ではなくあくまで平和的に。

まるで後ろで見ているでっかい兄貴に尻拭いしてもらうのをあてにしてけんかしている子供みたいなことはやめて、日本にこそアジアの紛争を平和的に解決するために主導的な役割を担ってほしいと思っている。核の傘の下に収まっているのではなく、日本には平和憲法を持つ国として核抜きで紛争を解決するというビジョンを世界に示してほしい。



ハフィントンポスト記者 ナンシー・スノウ*:
私も25年にわたるアメリカのプロパガンダについて書いたことがある。あなたのシリーズ本を読むチャンスはまだ得ていないが「プロパガンダ」という問題については扱っておられるのか。(テレビ司会者の)エドワード・マローが50年前に(ケネディー大統領に乞われて)USIA (United States Information Agency) の長官をしているときにに言った言葉に「真実こそ最高のプロパガンダだ」というのがあるが、それこそお二人が今している事だと思う。しかし、どうやって人々を啓蒙してもういちど立ち戻って正しい歴史を学ぼうという気にさせるのか。それはとても大切なことだと思うが。


オリバー・ストーン
ドラマ作家の立場から私がコメントする。私がドラマ作家として、ピーターが歴史家としてこのプロジェクトに参加して、アイデアを膨らませ、5年の歳月をかけてシリーズを作ったわけだが、人々にそういう気にさせる最も効果的な手段は、エキサイティングなストーリーを語る事だ。そしてそれを私たちはやってきた。

このドキュメンタリーシリーズはこれまで私が見た中で最もスピード感のある仕上がりになっている。解説者のつまらない話もないし、ノンストップで展開も早い。くどいくり返しもない。私に言わせれば、映画としてとてもよくできたものだと思う。私は、『JFK』で用いたような私の映画作りの技術を全部つぎこんでこのドキュメンタリーシリーズを作った。映像断片やすばらしい音楽も使った。

このシリーズは基本的には映画であり、映画館で見てほしいものだ。実際劇場公開もしたし、サン・セバスチャンのスパニッシュ・フェスティバルでは、全12巻の話を通しで見せることになっている。DVDでも12時間のセットを売り出すことにもなっている。できればまだ見た人のいない第一次大戦の巻をふくめた全巻を通して見てほしい。事の背景を含めた全体像を知る事が大切だからだ。DVDは10月22日にワーナーから発売される。あとペーパーバックとしても、また青少年向けの本も出る事になっているし、マンガのバージョンも作っている。

こういうふうにして、外に出してみんなに見てもらおうと努力している。海外でも売っている。韓国はまだだが、日本ではもう売っている。アメリカの主要メディアは冷淡だが、進歩的メディアは積極的に支援してくれている。タイムマガジンやNYタイムスなど、「主要」メディアは、まったく無視だ。これは悲しいことだ。

あなたはエドワード・R・マローについて…、エドワード・ R・ マローの亡霊について書いたということだが、我々は今こそ(現代の)エドワード・R・マローを必要としている。そいつはいったいどこにいるんだ。

エドワード・R・マローは、実は我々のドキュメンタリーにも登場してトルーマンをインタビューしている。そしてトルーマンからすごい反応を引き出している。彼が引き出したトルーマンの態度…トルーマンはその中で「(原爆を投下したことで)眠れなかったことなんかないよ」と言った。それを見ると胸が張り裂ける思いがする。トルーマンは犠牲者の身になって考える能力が全く欠落していた。 彼の取り巻きは別として、他人の身になって考えるということがそもそも一切できない人だった。

興奮、危機、真実、…みんな真実に飢えている。私に言わせれば(教科としての)「アメリカ史」の問題は「きれいごと」にすぎることだ。まるでディズニー映画のように。そんなのに子供たちが反応するわけはない。ぜんぜんドキドキしない。私は、子供たちは、そんなのは好きじゃないだろうと…。子供たちは、アメリカの歴史がヨレヨレだということを知っている。アメリカはいつも世界で一番進んだ国だと知っている。そういうのが積み重なって、アメリカは大体においていい国なんだと思っている。

アメリカについて道徳的な疑問を投げかけるような歴史の扱い方はなされていない。トルーマンにとってそれは幸運なことだが、たとえば、私の娘の学校の教科書では、歴史はこま切れ状態だ。

今の教科書はベトナム戦争に対して批判的ではある。それは以前の教科書に比べればよっぽどマシになっている。ただ、ベトナム戦争には触れるが朝鮮戦争にはほとんどまったくと言っていいほど深く触れてはいない。

父ブッシュのときのクウェート侵攻の話などまったく出て来ない。あれは冷戦の終わりの時期にあった大変重要な出来事だったのだが。あのときアメリカは平和に向かう事ができたのに、そうせずにクウェートに侵攻した。これはアメリカの歴史の上で本当に重要な出来事なのにすっかり飛ばされている。

そしてレーガン。レーガンは、アメリカ国内でもひどいやつだと思われているが、学校の教科書では、レーガンについて、好意的に扱い過ぎて、疑いを差し挟むことがない。彼がアフガニスタンに対してしたことにも触れられていないし、アル・カイーダの誕生や極端な原理主義集団にどう関わったかもまだ十分議論が尽くされていない。

ビル・ケイシー(CIA長官)がどんなにクレージーだったか、レーガンの世界に対する目がどんなに気違いじみていたか、教科書には全く書いてない。そういうアメリカの歴史は習わないのだ。

それなのにワシントンD.C.の国際空港にレーガンにちなんだ「ロナルド・レーガン空港」という名前をつけたりしている。悲しい事だ。同じワシントンDCにある「ダレス空港」に名前がついている(日米安保締結時の国務長官)ジョン・フォスター・ダレスだとか、こういう人達はアメリカ史の中で持ち上げられ過ぎている。


ピーター・カズニック:
付け加えたい。あなたはさっき、プロパガンダの話をした。20年に渡ってプロパガンダと闘ってきたと。すばらしい。どうかそのまま続けてほしい。特にジャーナリストならそうしてほしい。というのはジャーナリストは最前線にいる人達だから。

I.F. ストーンという偉大な独立系ジャーナリストはかつてジャーナリズムスクールを回って学生に教えていたのだが、彼は学生に「もしジャーナリストになりたいなら、覚えておかなければならない単語が二つある。それは、"Goernments lie (政府はウソをつく)" の2語だ」と。

あるとき彼はそれに付け加えて「世界中でアメリカ人だけが、自分が吐いたハシシの煙をまた吸い込む」と言った。アメリカ人ジャーナリストはよく自分がでっちあげた(麻薬みたいな)プロパガンダを自分で信じ込んでしまう。

オリバーが言ったように、テレビ、学校、教科書のなかで、ベトナムの扱いはマシになってきた。それは、(ベトナム戦争の記憶が風化したことの)生きた証拠だと思う。

最近の世論調査では18歳から29歳のアメリカ若年層の51%がベトナム戦争は正しくなかったと考えている。51%というのは私たちからすればびっくりするような数字だ。60年代には70%だった。それが若い世代で51%しかいないと……。それを見ると私たちはある種敗北感に襲われる。私たちは「記憶」と闘っている。歴史というのは過去に起きた事の記憶に他ならないからだ。

オリバーはベトナムで実際に戦った。私はベトナム戦争に反対して闘った。オリバーは勲章ももらっている。負傷も2度している。わたしは警察官との戦いで何度も怪我をしている。わたしは活発な反戦活動家だった。だから、私たち二人は(ベトナム戦争の)両側から来て、その真ん中で、見解を同じくする者同士出会ったことになる。

ベトナムは私たちにとって中心的なものだった。だからアメリカでベトナム戦争の歴史が風化して行くことを我々はいちばん気に病んでいる。

私は私の学生にベトナム戦争で死んだベトナム人は何人かと聞くことがある。帰ってくる答えはたいて10万人とか50万人とか、よく知っている学生だと70万人ぐらいのことを言う。(ケネディー、ジョンソン両大統領下で国防長官を務めた)ロバート・マクナマラをクラスに呼んだとき、彼は、「自分は350万人のベトナム人が死んだと確信している」と答えた。

もし、ホロコーストで死んだユダヤ人は何人かと聞いて学生から50万人という答えが返ってきたらどうだろうか。私の学生はみんな正しく600万人と答える。自分たちの政府が殺したベトナム人は50万人と低く見積もり、ナチが殺したユダヤ人は600万人と正確に答える。私にとってはそれは大問題だ。よその国した悪いことは知っていても、自分の国のした悪いことの歴史を知らないのだ。

みなさんもご覧になった事があると思うが、ベトナム戦争記念碑はとてもパワフルなものだ。そこには5万8252人の戦死者の名前が刻まれている。「5万8252人が命を落とした悲劇」と書いてある。しかし我々が数えるなら、戦死者はその5万8252人のアメリカ人と、380万人のベトナム人、何十万人のカンボジア人、ラオス人、そこまで数えて初めて悲劇を伝える記念碑になる。

そしてそれは実際は「悲劇」などというものではなく、むしろ「犯罪」だった。アメリカ人はあの戦争の事を「ベトナムでの戦争」と呼ぶ。ソ連のしたことはアフガニスタン「侵略」と呼ぶ。「ベトナムでの戦争」などという言葉はきれいごとだ。ハックスウェルも、オーウェルも、そういう変な言い換えに気づいていた。彼らは言葉で闘う人達だったから。

われわれは、だからアメリカのベトナム「侵略」を美化しないでそのまま呼ぶ。我々が話しているのはアメリカの悪名の話だ、戦死者の話だ。51%のアメリカの若い人しかベトナム戦争は正しくなかったと思っていない。

しかし、これこそオリバーと私が闘っているものだ。わたしたちは歴史認識を朽ち果てさせてしまわないように闘っている。私たちはそのことが今の米国の、そして世界のありようにとって、またこの世界の将来にとって中心的なことだと思っているからだ。


オリバー・ストーン:
私からもコメントしたい。私は長崎を訪れたとき二つの場所で衝撃を受けた。その一つは日本軍がしたことに関する資料館だ。小さい展示館だったが、そこには戦時を示す地図があり、日本軍がどう東アジアを侵略して行ったか、日本軍がどのように捕虜や市民を扱ったかが展示してあった。

そのとき私が言われたことは、もしこの資料館が東京にあれば、右翼の攻撃を受けて展示を続ける事はほとんど無理だろうと。

ピーターはスミソニアン戦争博物館の一件に関わったことがある。1995年に広島に(原爆を落とした)エノラ・ゲイ号を展示して大きなスキャンダルになったものだ。ピーターとその仲間たちは、エノラ・ゲイと一緒に小さな弁当箱を展示させようとがんばった。弁当箱は広島原爆の熱で溶けたものだった。

しかし、展示は許されなかった。それは米軍退役軍人たちの名誉を傷つけるものだからだと言うのだった。そういうメンタリティーがあるのだ。

アメリカに必要なのは、私が長崎で見たようなシンプルな原爆に関する資料館なのだ。核兵器に関する説明や、現在の核兵器の量、地図、核兵器がどんな形をしているか、長崎に落としたプルトニウム爆弾のサイズとか形とか。それがあれば、若い人達に、核兵器とその破壊力をリアルに見せることができる。そんなのがあったらすばらしい。

アメリカにはそんな原爆に関する展示館はひとつもない。ピーターから聞いたがオハイオ州デインにはボックスカーによる展示をしているところがある。だが、それも核兵器による戦争がどのようなものかがわかるようなものではない。

テレビによるアメリカのプロパガンダということに触れると、テレビがプロパガンダに使われるこの時代に私たちの作ったドキュメンタリーがテレビの電波に乗るはずはなかった。しかし、私はショータイムというケーブルチャンネルにツテがあったので、そこに持ち込んで放映することができた。

そのチャンネルは我々に一銭の金も払っていない。放映に関する費用は全部こちら持ちで、10話全部を放映した。我々はかれらにフィルムを渡し、彼らは前宣伝をすることもなく、次から次へとシリーズをただ放映した。

アメリカではネットワークを持つマスメディアでは私たちのドキュメンタリーシリーズは絶対に放映されない。100万年待っても無理だ。アメリカのありかたに挑戦するようなドキュメンタリーは一切放映できないのだ。

エミー賞を受賞した『60ミニッツ』(という批判精神旺盛なドキュメンタリー番組)があるではないかと言うかもしれないが、それなら言わせてもらおう。

『60ミニッツ』は、広島、長崎に米国が落とした原爆について、アメリカの歴史について、また、たまにはアメリカのした悪いことについて報じるが、その全体像についてや、くりかえし現れる「パターン」については絶対に扱わない。

なぜかといえば、あの番組もアメリカを肯定するスポンサーに頼ったアメリカ肯定番組だからだ。ビジネス資本も企業もアメリカに対して過剰に批判的だと思ったら金を払わない。だから若い人達は別の方法でしかまともな(歴史)教育が受けられない。その役割を我々がしようというのである。



ピーター・カズニック:
オリバーが言った長崎の展示館というのは、岡まさはる記念長崎平和資料館のことだ。ぜひみなさん行ってみてほしい。信じられないくらい目を開かせてくれる資料館だ。長崎市からは黙殺されている資料館でもある。

日本には、アメリカでは奇異の目で見られる平和資料館というものがある。アメリカにも小さいながらひとつ平和博物館がある。これもオハイオ州デインにあるものだが、ボックスカーで展示している人達とは別の人達が運営している。いずれにしても、自国の歴史を批判的に見る資料館を持つ事はきわめて大切なことだ。

大きな組織になると、オリバーがさっきエノラ・ゲイ展示にまつわる事件について話したが、おぼえておられるだろうか、あれは「検閲」を受けたのだ。あれはあきらかに「検閲」である。アメリカは1995年になっても原爆について正直でバランスの取れた展示を行う準備ができていなかったのだ。その代わりに彼らがやったのはプロパガンダを目的とした展示だった。

2003年には(ヴァージニア州)ダラス空港の近くアネックスにある航空宇宙博物館がエノラ・ゲイの展示をおこなった。私たちはそれに抗議した。エノラ・ゲイを展示することそのものに抗議したのではない。展示はされるべきだ、しかしそれは「教育的に」なされるべきだと主張したのだ。

航空宇宙博物館でのエノラ・ゲイ展示は、原爆投下についてのなんの解説もなく、飛行機そのものについての解説をつけただけだった。しかし、飛行機自体はそんなに特別なものではない、特別なのはその飛行機がやったことなのだ。

その展示があったのは2003年で、世の中は「大量破壊兵器」への心配でもちきりだった。あの飛行機こそが、大量破壊兵器時代の端緒を開いたものであったのに。それなのに、アメリカはそういうことを知らせる教育的な展示も正直な展示もを行なうことができなかった。



司会:
ありがとうございました。お二人にお聞きしたいが、日本のメディアは戦争中のひどいできごとに関するあなたたちの発言を十分受け入れたと思いますか。検閲のようなことや、お二人の考えを受け入れることへのためらいのようなものは感じられましたか。


ピーター・カズニック:
日本のメディアからは非常にたくさんの、かつ肯定的な取材を受けた。彼らは、広島、長崎への原爆投下に関するわれわれの批判についてはすんなり報じてくれた。それは、原爆の話が日本の「犠牲者」文脈によく当てはまるからだ。

しかし、もうひとつのわれわれの話、日本がよその国を犠牲にしたという話については、あまり報じたくなさそうだった。だから、報道姿勢も肯定的で報道の量も多かったが、われわれのもう一つの話の方ももっと報じてほしかった。

日経の見出しに「日本はもうひとつの日本史に向き合わなければならない」とあったが、これは重要だ。なぜなら、語られて来なかった日本の歴史は、語られて来なかったアメリカの歴史と対をなすことによって意味をなすからだ。両国の歴史は、過去に起った本当のできごとをつかさどる同じひとつのプロセスの一部だからだ。両方の歴史は併せて考えなければならない。


質疑応答前半翻訳ここまで。

*質問者のひとり、ナンシー・スノウ氏がハフィントンポストに書いた記事がここにあります。これ http://www.huffingtonpost.com/nancy-snow/oliver-stone-in-tokyo-we-_b_3747290.html によれば、質問者ナンシー・スノウ氏は、安倍晋三氏が外務大臣のときに作った安倍フェローシップで来日中の慶応大学客員教授とのこと。

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