【朝日新聞『政治断簡』論説委員  松下秀雄】

《安倍さん、「左翼」って何ですか?》

安倍晋三首相のフェイスブックをみて驚いた。東京都議選告示前の9日、渋谷で行った街頭演説について、首相はこう書いていた。

「聴衆の中に左翼の人達が入って来ていて、マイクと太鼓で憎しみを込めて(笑)がなって一生懸命演説妨害していました」。さらに、その「左翼の人達」を「恥ずかしい大人の代表」と断じている。

一国の首相としては、ずいぶん激しい言葉だ。

何があったのか。ネットで映像を探してみる。

ハチ公前を埋め尽くす聴衆の傍らで、TPP(環太平洋経済連携協定)反対、自民はうそつき、などと抗議する人たち。首相は車の上から「選挙妨害」「恥ずかしい行為」と難じている。



抗議の声の主は「TPPを断固拒否する国民行動」。呼びかけた都内の会社員、小吹伸一さん(44)に聞いてみた。市民に訴えようと以前から告知していた演説会で、当日、そこに首相が来るとは思ってもいなかったという。

あなたがたは左翼ですか?

小吹伸一「左翼じゃありません。参加者はサラリーマンや主婦、非正規雇用の人、職人、レゲエのDJといった雑多な人たちです」

ゆきすぎたグローバル化反対、といった主張は保守に通じるところもあるようにみえます。

小吹伸一「『日本を守ろう』と唱えているのだから、その意味では保守的かな。ぼくたちが共通して思っているのは、弱肉強食の競争社会にすべきではないということです」

安倍首相をどう思います?

小吹伸一「偽物の保守だと思う。中国や韓国にはタカ派のポーズをとっても、米国には自分から譲る。日本を守る人の行動じゃない」

聞いていると、どっちが保守かわからなくなる。「行動」の映像には、日の丸を手に愛国の意味を説く参加者も映っている。



いまの時代、左右を分けて論じることに、どれほどの意味があるだろう。

朝日新聞を左翼と呼ぶ人もいるが、私は共産主義者でも社会主義者でもない。国やふるさとを愛するのも、人に無理強いするのでなければ、すてきなことだと思う。歴史を直視しようと唱える人は自民党にもいる。左右の境界はぼやけている。

私が注目するのは「愛国」の実態だ。それは自国への愛情か、隣国や隣人への憎悪か。どちらに傾くかで、社会の健全さがわかる気がするからだ。

フェイスブックの話に戻ろう。首相の激しい言葉のあと、何百もの市民の投稿が続く。隣国や在日韓国・朝鮮人、「左翼」への憎悪の表現がなんと多いことか。

負の感情を生みやすい「生きづらさ」を緩める。対立をあおらない。社会を癒やし、亀裂を埋めるのが政治の役割ではないのか。

(終)


~2013年6月16日日曜日の朝日新聞4面より

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