インドネシアでの日本軍の特殊慰安所の問題としては白馬事件というのがあったようですが、この白馬事件ですら、オランダによるバタヴィア(ジャカルタ)臨時軍法会議の判決で被害者のオランダ人35人のうち全てが強制とはされなかった事、慰安所に連行される以前に売春婦であった女性が存在した可能性がある事、中島四郎陸軍大尉は将校倶楽部のいわゆる慰安婦の梅毒の検査の任にあたっていたが、大尉の任務は検査のみであって、治療には一切責任も権限もなかった。しかも大尉が検査したなかには梅毒患者は一人もいなかったにもかかわらず。オランダ人慰安婦の中から梅毒が見つかったので、その責を問われ16年の刑が言い渡されたようです。この梅毒にかかった慰安婦はどこかで戦後に感染した可能性があるのではないでしょうか?池田省三陸軍大佐はスマランで慰安所が開設された当時、公用のため東京におり、慰安所開設には一切かかわっていないのにもかかわらず。懲役15年の刑が言い渡されている。またそもそも第16軍司令部からは「自由意志の者だけを雇うこと」となっていたようです。

事実関係としてこの性犯罪は自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により第16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖しているようです。

またオランダによるバタヴィア(ジャカルタ)臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされ。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦で、有罪者は軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告されたそうです。

日本軍の関係した史実らしい数少ない強制連行、強制売春のいわゆる慰安婦事件ですら、第16軍司令部からは「自由意志の者だけを雇うこと」というガイドラインが出ていたようです。

小田島董大佐の勧告により第16軍司令部は1944年4月末に、問題となった4箇所の慰安所を閉鎖してるという事のようです。

しかしどういう経緯だったのか不明ですが、第16軍司令部からの指示をやぶって、一部の軍人および慰安所を経営していた日本人業者の合計11名が、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所の17歳から28歳の女性合計35人のオランダ人に対して、強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行し、このような性犯罪を行ったと言う事のようです。

ちょっとの違いかもしれませんが、我々がすでに脳に書き込まれている内容とは多少ずれているようですね。そのちょっとの違いが問題なわけですが、従来通り大日本帝国は悪の帝国として語り継がれるのでしょうね。神風や特高を批判するならわかるんですけども、いずれにせよ今後もいろんな新事実が出るのでしょうね。

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