特別永住資格を『在日特権』とする者たちへの反論


ちょっといい加減に呆れたので『特別永住資格は在日特権どころか特権ですらない』という事を明らかにしておく。
もしも反論があるなら、影でグチグチ言ってないでメンション飛ばして来い。その際には、ちゃんと『反論』(論理立てた思考。例えば『ここは事実誤認で正しくは~~だから、この理論は成立しない』等)でな。『反発/反感』(主観による感情的罵倒。例えば『正しい歴史を勉強しろ』『もっと学べ』『屁理屈並べるな』『戦後に第三国人が悪辣の限りを尽くしたから云々』等)は無視する。


先ず『特別永住資格』の『特別』とは、一体何に対しての『特別』なのか?から見ていく。
ここの勘違いは非常に多い。

そもそもの基本として『外国人の日本国在留資格』には何種類か在り、中でも『日本国に外国籍のまま永住する資格』には五種類在る。
『永住者(俗称『一永』=一般永住者の略)』『日本人の配偶者等』『永住者の配偶者等』『定住者』そして『特別永住者(俗称『特永』)』だ。
前記四種類は『入管法(出入国管理及び難民認定法)』に基づく在留資格であるが、特永だけは『入管特例法(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法)』に基づく在留資格となる。つまり『一般法(その分野において一般的に適用される法律のこと)である「入管法」が外国人の日本国在留資格全般を規定しているのに対し、特別法(特別な分野に対して一般法に優先する法律のこと)である「入管特例法」によって規定された在留資格である』という意味になる。
要は一般法として『民法』が存在し、その中の『商業分野にだけ適用される』特別法として『商法』が存在するようなものだ。

この『特別』とは『特別に優遇する』という意味ではなく、単純に『特定分野に対しては個別に法律作って対応しましょう』という意味でしかない。
ハッキリ言ってしまえば、法源(法的根拠)が『一般法』なのか『特別法』なのかの違いだけだ。『一般法』が法源の『永住資格』だから『一般永住資格』、『特別法』が法源の『永住資格』だから『特別永住資格』、それだけの話だ。


では次に、何故この『特別法』が作られなければならなかったのか?を簡単に辿ろう。

全ての始まりは、日本が敗戦し国家主権を一時的に失ったことにある。
それまでは『大日本帝国の施政下の住民』ならば、『内地(日本本土)民族』だろうと『外地(本土以外)民族』だろうと等しく『日本国民=日本国籍保有者』だった。だが、敗戦及び占領による国家主権喪失により『外地民族は元々日本国民ではなく、そもそもの母国が存在するのだ』という形になった。サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)の発効により一九五二年に主権を回復すると、これらの『外地民族』はそれまで有していた『日本国籍』を喪失し『無国籍』となった。彼らには母国があると言っても、その『母国の国籍』は自動的には与えられない(自分が母国の人間であるという意思表示が『母国政府に対して』必要だった)と日本政府が解釈した為、無国籍に『なってしまった』という訳だ。(尤も、世界的には旧宗主国と母国の『重国籍』にする事が多いのだが……)

さて、困るのが日本国政府である。国内に『日本国籍でも外国籍でもない無国籍者』が多数存在することになっては治安維持に大きな悪影響をもたらす。無国籍という事は『日本国の法律施政下には無い』ということを意味するので、それを悪用し傍若無人に振る舞う無国籍者が出るだろう事は容易に予想される。
そこで『ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)』という特別法を平和条約発効と同時(昭和二七年四月二八日)に公布した。この法律で

第二条六項
日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二十年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二十年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二十二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。

と定めた。
つまり、『日本国との平和条約で日本国籍を喪失した外地民族(朝鮮半島出身者、台湾出身者)で、降伏文書調印(昭和二十年九月二日)以前から日本本土に在留していた者とその子孫は、法律を決める日までは特別の手続き無しに日本に居てもらって構わないよ』という『特別法』を定めた。『無国籍だと困るから、細かい法律が出来る日までは日本人と同じ扱いにしますよ』って法律で決めたって事だ。
これが『入管特例法』、引いては『特別永住者』のルーツとなる。
(因みにこの時『朝鮮籍』=旧大日本帝国朝鮮半島出身者ってものが出来た。また、台湾出身者は昭和二七年八月五日の『日華平和条約』発効に伴って日本国籍を喪失したと最高裁判例(昭和三三年(あ)第二一〇九号)では解釈されているので、『無国籍者への対応特別法』が出来てから無国籍になったという風に時間に若干のズレが有る)

その後、朝鮮出身者へは『日韓法的地位協定(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)』という『国際条約に基づく要請』により『国内法』として『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法』が定められ『協定永住』という資格に変更された。この『協定永住資格』では三世以降は資格の相続が認められず、『一永』に移行せざるを得なかった。
台湾出身者へは『平和条約関連国籍離脱者の子』という資格が設けられることになったが、これは三世以降もその資格が永続するもの(つまり台湾出身者は、三年の更新期限はあるものの、未来永劫日本に『在日◯世として簡素な手続きで』住むことが可能)だった。
そして、この『同じ外地出身者同士間での不均衡』を解消すべく、後に一本化され『入管特例法』を法源とする『特別永住資格』が誕生した――というのが『何故特別法が作られねばならなかったか?』への回答になる。
ここで注目するべき点は『台湾出身者と朝鮮出身者の格差』だ。
『特別永住資格』に一本化されるまでは、明らかに『台湾出身者』の方が『朝鮮出身者』よりも優遇されていたことになる。言うならば『在日朝鮮人特権』ではなく『在日台湾人特権』だろうか?尤も、この不均衡は前述の通り既に解消されているが。


ここまで言えば解るだろう。
『特別永住資格』は『単なる在留資格の一つ』であり『旧大日本帝国外地出身者への救済措置として定められた特別法を法源とする「外国人の」在留資格』でしかない。

それでも『他の外国人と比較すると特権だ!』という主張にはこう反論する。
『特別永住資格は元々「単なる外国人とは違う特定条件下にある者」に対する「在留資格」なのだから、他の(一般の)外国人への扱いと違って当然だ。逆に「単なる外国人とは違う特定条件下にある者」を「特定条件を満たさない一般外国人」と同じ扱いにしてしまう方が差別である』と。
(この『特定条件』とは『旧大日本帝国外地出身者の子孫という条件』だ)


ただ、『何十年も「旧大日本帝国外地出身者の子孫」へ「特別法」を適用し続ける必要が有るのか』は別の議題として存在する。
これは特権云々の話ではなく、日本の『戦後精算』に関する話だ。
『特別永住資格は在日特権だから廃止せよ!』という理屈(にもなってない難癖)とは根本的に異なる。

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