kirinnnn

中嶌 聡 · @kirinnnn

13th May 2013 from TwitLonger

【民主党大反省会に見た、民主主義が根付かない日本の縮図】#daihansei #民主党

イベントに参加した一人として、会場内で感じた「日本の縮図」についてここに書き留めようと思う。

先に総括を短く書くと、イベントの主旨はよかったが運営は悪かった。
ただ、最も悪いのは、「民主が悪い」「運営が悪い」と言ってるだけの、「僕たち」なのかもしれない。
ということだ。

ーー
当日、参加者には一人ひとりIDとパスワードがわたされ、
参加者のみがアクセスできるイベント内掲示板があった。

この掲示板は、

1部:お三方への質問タイム 
2部:グループディスカッション 
3部:懇親会

とに分けるとすれば、1部のみに使われたシステムだが
コメント数は1582にも及んだ。
【会場内つぶやき全文】
https://dl.dropboxusercontent.com/u/736/daihansei_all.txt
http://dpj-reflection2013.herokuapp.com/speaks

9割以上が匿名のままのつぶやきだったが、
一部ハンドルネームや本名と思われる名前を使っていた参加者もいた。
僕は、「kirinnnn大阪」とツイッターと同じアカウントを使うことにした。

イベントと現実の民主主義を7段階に分けてみた。

反省会全体は4つの部に構成されていて、報告は第2部までを対象とする。

第1部:17:00〜18:30 パネルディスカッション前半
第2部:18:40〜19:40 パネルディスカッション後半
第3部:グループディスカッション
第4部:交流会


■第1段階:30分経過後「気軽に使える方法で罵詈雑言」

 「気軽に使える方法」とは、今回の場合、「掲示板を使う」ということだ。
第一部はほぼ掲示板に質問がいくつも投稿されるにもかかわらず、
司会はそれを十分に拾い上げることなく進行していった。
集まった約500名の若者が掲示板に意見と質問を投稿したが、
それらすべてがほとんど無視されていったのだ。

結果として、パネルディスカッションが始まって15分もたつと
「質問読めよ!」「そろそろ質問拾いませんか?」などの投稿が出始めて、あげく

「こんな小さな会議でも、国民(会場)の声が届かないのにちゃんとやれるの」

などの指摘まででるようになる。
ただ、これらの投稿は運営側は拾えていないことがわかりながら、
掲示板を通して行われた。もちろん、罵詈雑言の荒らしは、運営側に行動を変更させるには至らなかった。

 普段の政治に対しても、ツイッターやブログで、
感想レベルの批判を繰り返すだけでは変わらないのと同じだろう。
運営側は悪意があるわけではなく、進めながら対案を考えて実行したいが、
ファシリテーターもいっぱいいっぱいで、動画上で批判された「黄色パーカー」も一杯一杯だったのだ。
誰もが頑張っているのにうまくいかない状態と、それを批判しまくる民衆。
実際何も変わりはしなかった。


■第2段階:35分以降「批判から具体的な提案が出始める。」

 批判だけだった掲示板に「提案」が出始めたのが、35分過ぎごろ。
「批判」だけしてもダメだろうと考えた数名が、運営を良くするための具体的な提案を書き始めた。提案を書く側は、「運営はコメントを読んでいる」と期待して掲示板に書く。例えばこんな提案だ。


・もう、会場で挙手してマイク渡す形にしようよ
・【提案】菅さん、枝野さん、長妻さんにもタブレット等お渡ししてこの画面見てもらった方がいいのでは?お三方が後ろのスクリーン向きながらわたしたちの意見を知るのはたいへんですよね?


などである。

しかし、運営方法は変わらない。

これらの提案は多数出てきて、
一つ一つの「提案」を「実現可能性」×「期待できる効果」で検証し、
「実行に移す」ための人出が欠乏しており、この段階でも誰も動けなかったのだろう。

これは、政治家が何か政策を発表した時に
「そんなことより●●すべきだ!」と安易に提案するのとおなじである。
一市民の「対案」が、その政治家が行った判断よりも
優れていて実現可能かどうかの検証がされない限り、
それらの発言は批判であれ提案であれ、現実の政治に影響をおよぼすことはできない。

■第3段階:50分頃 多少過激な方法に出る。
 実はこれは、僕がとった方法である。

掲示板に批判を書いても提案を書いても変わらないのなら、
掲示板というツール以外の方法で影響を与えないと行けない。
結局考えた結果「ヤジ」というかたちをとってみた。


「進行の仕方を考えてください!577番の意見に共感します。577番の意見をみてください。」


と言ってみた。

もっとはっきり言ったり、立ってパフォーマンスをしても良かったのだが、
ヤジだけでも十分みんなが応じて拍手なりヤジで続いてくれたりするんじゃないかとの期待だった。
が、拍手は1人がしてくれただけだった(もう少し大きく言っていたら結果は変わっていたかも)。

※ヤジった時の映像は以下参照
 ①ユーストリーム:http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1290/ ※38:15から再生推奨
 ②ニコニコ動画:http://goo.gl/VjvRK ※49:00から再生推奨

——
577【進行へのお願い】 質問を拾うのを司会者が行うには無理があります。サポート役がいないなら、いますぐつけてください。いないなら、会場からボランティアを募ってください。このままでは、ぐたぐたです。
——

 正直、すでに40分以上も全くといっていいほど、掲示板の質問が無視され続けている状態だ。みんな「やじりたい」とおもっていたんではないか。ところが、それを止めさせる要因が2つあった。

1. マッスル感ありありのSPたち。

 元首相をはじめ主要ポスト経験者の現役政治家3名を守るためにマッスルSPが
会場の至る所に配置され、SP以外の警備員なるものも複数名が壁際にいる。
そんな状況で変に野次ったら羽交い締めされて会場をだされるんじゃないか。
そう感じてた人はたくさんいるだろう。かくゆう僕もそれを考えた。
ニコ生に顔出しで自分が引きずり出される映像が配信され、
ものの1分でツイッターアカウントを特定されさらされるんじゃないか。そんな思いがこみ上げるのだ。


2. ガス抜きとして掲示板

やっかいなのは掲示板という参加者だけが使えるツールが「ガス抜き」として作用し始めたことだ。
ヤジは1の理由からしづらいし、ヤジを飛ばす文化も経験もない30歳以下だ。
一方掲示板は一応は運営側がみていることになっているし、書きたいこともかける。
この状況が「ガス抜き」として作用することになる。

そんなわけで、僕のヤジは会場に響くことはあれど、
後に続きうねりとなることはなかった。
いわば、ゲリラ戦のまま処理されてしまった。。


ただ、掲示板で「577」とか「ヤジGJ」と何名かがつぶやいてくれたことは励ましになった。
さらにニコ生では「よくやった」といった主旨の投稿があり、それから何度か「会場ヤジれよ!」
などとコメントが続いていたので、自分の行為はそれなりに受け入れられる正当性はあったと思っている。


普段の政治の世界でも同じ事が起きる。

掲示板がありながらヤジを飛ばすというのは、「選挙」や「陳情」や「請願」といった
制度がありながらそれらをやっても声が聞かれない場合に、
「デモ」や「抗議行動」をするようなイメージだろうか。
多くの人は穏健に「話し合い」を儲けようとするが、
それにも全く耳をかさない場合は多少の動きは必要になるだろう。
ただ、今回僕は会場内でヤジを飛ばし、続いてくれた人は数人だった。
500人中拍手は1名。現実世界のデモ参加率よりは高い、というべきか。


僕がヤジをやっていて学んだことは、
「掲示板で批判するだけでも、対案を出しても、ヤジを飛ばしてもダメ」ということだった。

さて、どうしよう。


■第4段階:1時間ごろ 諦め

 この段階を入れるか悩んだが、やっぱり入れよう。

4段階目は、「諦める」ことだ。人は大抵、ある程度頑張ってもムリならあきらめて
現状を受け入れるようになる。実際、反省会では、僕がヤジを飛ばした後偶然にも
少し話がおもしろくなったようで、批判が落ち着いている。

確かにヤジによって司会がコメントを読めてないことを反省する発言があったりして
少し状況は変わった。だが、抜本的には何も変わらないし、
どう変わるのかもわからないまま再び話が続いていく。
だが、みんなは「ヤジやっても変わらないのか」とあきらめモードになったのではないかと思う。

 普段の社会でもよくあることだ。署名を何万筆も集めた。
これだけ集めたらどうにかなるだろう。請願書集めて提出した。
これだけやったらなんとかなるだろう。デモに参加して圧力を加えた、
さすがに無視することはできないだろう。

そして政治家はいう「みなさんの意見を受け止めます」と。
だけど何も変わりはしない。現実も反省会も同じである。
そしてみんなはデモから離れ、元の生活にもどっていく。
「やることやったんだけどね」といいながら。


■第5段階:1時間経過以降 ゲリラ戦から集団化へ

 コレも僕がトライした内容である。

一人でゲリラ戦(ヤジ)を挑んでもダメだ。でも数は減ったにせよまだ積極的に
提案を掲示板に書き続けている人もいる。この人達が集まって優れた対案を出し、
運営側に提案出来れば、運営側もその案が良ければ受け入れるのではないか。

常に流れ続けるタイムラインを睨みながらこの場の状況を双方向型に
今から変えるような優れたアイデアを一人で作り出すことは難しい。
そう思い次の一手を掲示板に投稿した。

——
【提案】運営のあり方に意見あるひと後ろに集まりませんかあと一時間、
なにもせずにおわるためにきたわけじゃない。
今から立ちます。青の小さいカバンもってます。
——

参加者→運営側という直接的なルートが立たれた今、
参加者同士で中間団体をつくって、優れた対案を作り出すためにいざ立ち上がった。
青いカバンを目印に集まって欲しいと願いを込めて。
ハンドルネームだけしかしらない提案をし続ける人達の結集に願いを込めて。

だが、唯一話しかけてきたのは警備員のおっさんだった。。

「ここで立ち止まられると・・・」
「いや、運営への対案を出すためにみんなで考えようと思ってるんです・・・」

と一悶着。この悶着具合を見られてしまってはより、誰もこないだろう。
実際、こなかった。またもや惨敗。
ただ、救いは休憩時間になってから一人の男性が話しかけてきてくれたことだ。
だが、みんなで優れた対案を出そう、ついには実現しなかった。

 誰でもまずは「自分が出来る範囲の個人的な行動」で行動を起こす。
何人かで集まれば意見もわかれるし調整も必要になる。
そして顔も割れてしまう。そんな「めんどくさくなりそう感」が、
集団になってまで色々対案だそうと思えるモチベーションには勝てなかっただろう。

 現実世界でも全く同じだ。さまざまな社会問題に対して個人的に考える批判や
「こーしたらいいんちゃうの?」までは考えるが、それ以上の行動はとりづらい。

しかし、求められているのは、それぞれの専門性や知識やアイデアを生かした
「優れた対案づくり」であり、思いつきの批判や対案ではない。
そういったことを「しない」なら、私たちが目指す優れた社会も、政治家も育たないだろう。
自分がもし政治家の立場で、ソファーにすわってニュースをみてビールを飲みながら
「あほやなぁ」とか「もっとこーしたらいいのなぁ」なんて言ってる意見を聞きたいと思うだろうか?
もっと優れた対案に引き上げなければ影響は与えられないのだが、それをする人は本当にまだまだ少ない。

もちろん、「それをしないのに批判する権利はない」とまでは言うつもりはないし、
自分だってそんな偉そうなことは言えない。だけど、「大反省会」の対象は、
自分たち、でもあるんじゃないかと思っている。


■第6段階休憩時間:ロビー活動
 政治家に直接対案を持っていき、説得する。これをロビー活動と言うらしい。

第6段階はまさにロビー活動だった。警備員との小競り合いのさなか、
一つの具体的なアイデアが浮かんだ。普段から学んでいるファシリテーションの考えを生かしたアイデアで、なかなかイケた案だ。自分はすぐさま掲示板に投稿し反応を待つ。

このアイデアなら今すぐにでもできるし、
500人の参加者の頭がフルに使われることになり、かつ質問に「重みづけ」ができる。
実際に投稿したのはこちらだ。

——
【提案】いまから、3分、質問をみんなが投稿、その後、質問投稿を締め切り、
みんなたがいいねボタンを押しまくる。もっともあつまった質問から答えていく。
——

これにはそこそこ「いいね!」がついたが、
もはや休憩することなくこの提案が生きることはあるまい。
狙うは、運営委員が部屋を移動する瞬間。巷で言うところの「エレベータートーク」だ。

この方法は成功した。まずは運営側で目立っていた青色のスーツを着ていた男性に話しかける。


僕「運営方法をもっと変えたほうが良いと思います」
青スーツ「どのように?」
僕「まず一定の時間を決めて質問をみんなに一斉に書いてもらいます。次に時間がきたら、質問の投稿をやめて、自分も聞きたいと思う質問に「いいね」を押してもらいます。司会は最も上位の質問を上から順番に聞いていく方法です」
青スーツ「なるほど。そうしましょう」


話しが通った!この瞬間の自分のツイートがこちら。

——
#daihansei 具体的提案をファシリにしたなう。運営も概ね了承。反映してくれるかな。 http://goo.gl/T3cA3
——

そんなこんなで、やっとこさ司会側に具体的な対案が届けられ、休憩後は前半から比べるとかなり「会場参加者の質問」が直接お三方になげかけられるようになった。

やっとこさ。

振り返ってみると、僕は運営の改善案を考えることで必死で、
お三方の話を全く聞いていないことに休憩後気づく。


でも、これらの動きから学んだことは本当におおかった。再度振り返りたい。

——
「会場に再現された日本の縮図」

 今回の会場でいろんな理由はあるにせよ、
概ねテキトーに割り振るとこんなもんではないだろうか。分母は500人。

1. 純粋にお三方の発言を聴き続けた人:5割
2. 運営側への批判だけを繰り返し続けた人:3割
3. 対案を考えたり発信したりした人:2割
4. 実際対案を実現するために動いた人:数名

「自分は動いたぜ!偉いだろう」と言いたいわけではない。(いやちょっとだけ言いたいけど)
考えたいのは、この割合が現実政治への日本の民主主義のレベルではないか、ということだ。

 政治家が何かを実践する。5割はただ批判だけ繰り返す。
3割は、対案を考えるが、思いつき程度でとどまり、その対案すら吟味してくれない政治家に不満を思う。そして残りの2割は実現のために例えばデモや抗議行動をしたり、
集まって優れた対案を考えたりする。ここまでくれば良い案が出るかもしれない。
しかし最後の一歩、具体的に政治家が考えを改めたり行動したりするくらいまでの
行動を引き起こすまで具体的に考え続けて動く人は本当に稀である。

 つまり、会場で起きていたように、実に「批判の先を探し続ける」姿勢の市民(参加者)による
「おまかせ民主主義」なのが、日本の民主主義レベルじゃないかと思うのだ。


 僕は、民主党が特段指示しているわけでは決してないが、
民主党や、個別の政治家を批判しまくれば良い政治がうまれると考えるのは間違っていると言いたい。
実際たった500人のイベントでも批判は山ほどあれど、運営はかわらなかった。

それを「運営の責任」としてしまうのは簡単だろう。

そしてその結果として「運営側を総入れ替えする」ことができたとしよう。

でもその後に一対何がおきるんだろう?入れ替えた後の人が「対案を持っている」と
保証があるのだろうか?まずないだろう。

であれば、批判によってチャレンジャーをつぶすよりチャレンジャーのイケてない部分に、
対案を出せる人や集団がどんどん対案を出して方が建設的である。


イベントで誰も動かなければ休憩後もほとんど運営は変わらなかったと思われる。
だけど運営側はみんな頑張って対案を考え出そうとしていた。
実際僕が対案を出した時即座にその案が採用された。僕が何者かは関係なかったのだから。

ーーー





長々と書いてきたが、僕はこのイベントに多大な期待を持っていた。

それは、正確に言えば、民主党への期待ではない。
「長年続いてきた自民党・自公連立政権から政権を奪取し、政権を運営した経験を持つ野党」
としての期待である。

彼らがイベント中に何を語ったかは、上記の通りほとんど聞けてなかった為わからないが(笑)、
他の場面で何名かが「自分が野党時代にしていた質問を反省している」といった主旨の発言をしている。

与党の上げ足取りでしかなかったと考えられる質問に対して反省したのだろう。


与党になってみて「やってないだけ」と思っていたことが
「いろんな事情でやれない」ということがいくらかわかったのだろう。


僕は、その「経験」こそが、国民に共有されるべきだと思う。
そして僕達は「あいつらやってない!」と批判し続けるのではなく
「こうしてみてはどうだろう?」と一緒に対案を考えていく立場で、
政治を見ていく必要が有ることに気づかせること。
それこそが、民主党が反省し、民主党とともに国民も反省し、
日本の政治、民主主義を次の段階へ引き上げる為の重要な「大反省」なのではないかと思うのだ。


だからこそ、「民主党は反省していない!」といった「批判」で今回のイベントを
一面的に見て終わるべきではないということが言いたい。


どうしても言いたくて、その気持ちが強すぎて、
もはや誰も読んでくれないくらい長い文章になってしまった。
そして、推敲する気力もなくなってしまった。誤字ももやは気にしない・・・


おそらくこの文章は、

「Twittlongerを使って投稿された最も長い文章」

ということしか残らないだろうと自虐的になってしまうくらいだ。


読んでくれた人が奇跡的にいるとしたら、感謝状を出したいくらいだ。
(また長いのは勘弁と言われそう)

もし、どこかの誰かが、この文章をもう少し推敲することを条件にみんなに届くようにしてくれるなら、
再度推敲したいと思います。

本当の反省とは何かを考えたかった、ただの一参加者 中嶌 聡

PS:最後の7段階目は「暴動」である。
  ニコ生のコメントではもはや暴動レベルだったといっても過言ではないだろう。

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