週刊ポスト【小沢一郎独占激白120分インタビュー 渡辺乾介(政治ジャーナリスト】
《「西郷隆盛の心境にはありません“城山”には、まだ早すぎるかな、と」》

昨年12月の総選挙で、小沢一郎は自らの政治史における歴史的大惨敗を喫した。泣いても吠えても、この事実と現実は動かない。
立ち上がれるのか、小沢。彼はこれまでこう繰り返してきた。
「選挙は主権者たる国民の最高権力に他ならない。国民が示した意思によって必要とされる限り、国家国民に献身する。が、お前はもういらないとされるのなら、黙って消え去るのみ。いずれとも天命に殉じる覚悟は常にある」
と。では、その覚悟を伺おうーー。


《今は民由合併前と同じ状況》

「敗軍の将」となった小沢をインタビューするのは2度目である。
1度目は自由党を率いて自民・公明両党と連立政権を組んでいた2000年4月、連立政策の不履行を理由に政権離脱した際、自由党は保守党とに分裂し、衆参で20数名の少数派となって下野した時だった。
連立離脱は小沢の決断とは別に、自由党内の政権残留派と自公が組んだ小沢排除の思惑が強かったが、当時も小沢は「政治生命は終わった」と、激しいメディアバッシングを浴びた。その孤立無援の小沢に、先行き展望を質すインタビューを行ったのだ。
自らを取り巻く周囲の視線を意に介す風もなく、小沢は「政治改革の未来」を熱く語った。その年の6月の総選挙で、小沢自由党は大方の予想を覆し、国民支持のバロメーターである比例区で660万票を獲得して、「小沢は永田町から退場した」と快哉を叫んだ勢力を驚かせ、沈黙させた。「小沢だから投票する」という個人票が小沢の政治的原動力であり、それゆえの小沢脅威論であった。
その3年後自由党は民主党と合併し、さらに6年後の09年総選挙で、小沢は政権交代の立役者となった。悲願ともいえる二大政党による政権交代を実現させながら、昨年末の総選挙に至る足かけ3年半の間に起きた天と地ほど違う流転の様に、小沢はどのように自らを納得させ、政治家として決算しているのだろうか。
小沢は一兵卒として戦った総選挙だったが、日本未来の党(当時)が獲得した比例票は合計340万票だった。小沢を支えてきた600万を超す国民の支持はどこへ行ったのか、あるいは消えたのか。2度目となる「敗軍の将」インタビューは、1度目とも、あるいは過去25年間で行ってきた私の小沢会見のいずれとも位相を異にする。
国民はまだ小沢一郎に期待していいのか。それとも、もう終わった政治家として諦めるべきなのか。
小沢は衆議院第1議員会館の自室に居た。私は明らかに緊張していた。引退勧告をしにきたわけでもないのに、勝手に気負って奥歯を噛みしめていた。小沢は瞬く間に私の心底を感じ取ったらしく、“さぁ、何でも聞いてくれ”と心の枷を外したかのように席を勧めた。目を合わせたその瞬間、私の脳裏に「あ、西郷どん」という閃きともつかぬ印象が浮かんだ。だから、そのままぶつけてしまったーー。


【渡辺乾介】あなたはかねてから、明治の元勲の中では近代国家の礎をつくった大久保利通の合理主義を非常に評価してきたが、今のあなたは西郷隆盛の心境になってるんじゃないか。明治維新の立役者となりながら、その後の政治の流れの中で、下野して、反乱を起こして、最後は……。そんなことを感じます。

【小沢一郎】そう言われてみると、そんな気持ちが半分くらいあります。
しかし、明治維新では、薩摩が少数派になったり、長州が少数派になったりと、いろいろな経過を経て、最後は大同団結して幕藩体制を倒した。あの時は黒船が来航してから明治維新まで15年かかったんです。私が自由党を出てから、ちょうど20年が経ちました。その経過からいうと、そろそろ維新が実現してもいい頃です。

【渡辺乾介】ん?維新、維新というと、何だか話が紛らわしいですね(笑い)。

【小沢一郎】そろそろ(政治の)文明開化が完成していい頃ですが、少し長引いている。明治維新を目指して、もう一度頑張らないと世が明けないかな、という心境です。私の周囲は、青菜に塩みたいになっているけれども、考えてみると、ちょうど民主党と自由党の合併以前に戻ったということなんです。
あの時、自由党は20人前後ですし、確か民主党も110人くらいだった。新聞の政党支持率でも、民主党が7%か8%くらいで、わが方が2%前後。そんな状況から始まって政権交代を実現したのですから、もう一度やってやれないことはないだろうというふうに思って、決意を新たにしているところです。

【渡辺乾介】西郷のように幕を降ろすわけにはいかない?

【小沢一郎】城山(西郷が西南戦争に敗れて自決した地)には、まだちょっと早いな。

【渡辺乾介】しかし、あなたの政治改革の歩みは賽の河原の石積みで、積んではまた崩すという繰り返しです。

【小沢一郎】自分は崩しているつもりはないんだけれども、もう少しうまく積み上げなくちゃいけないですね。

【渡辺乾介】自民党時代にあなたの盟友だった梶山静六さんが、創政会旗揚げの時、煮え切らない竹下登さんに、「国民にも我々にも政治家に対する期待権というものがある。あなたが決断できずに、その期待権に背くようなら、私はこの場から去る」と言ったというエピソードがある。今は沈殿しているかもしれないけれども、国民には滔々(とうとう)と流れてきた小沢一郎という政治家に対する期待権があるはずです。それにこれからどう答えるのか。あるいは、もう期待権なんてご放免願いたいのか。

【小沢一郎】先ほどの西郷さんの話ですけれど、城山の前に中央政府とうまくいかなくなって故郷に帰った。僕も似たような気持ちはありますね。自分が先頭に立って、せっかく政権まで取ったのに、どうしようもない状況で政権まで失ってしまった。もうばかばかしいから故郷に帰ろうという気持ちが、さっき言ったように半分くらい去来するけれど、ここで放棄したのでは、いろいろと思ってくれる皆さんを裏切ることになる。自分の政治生命、命の続く限り完成させないといけないと、気を取り直して頑張ろうと思っているところです。

【渡辺乾介】何をもって(改革の)完成とするのか。

【小沢一郎】議会制民主主義が定着して、軌道に乗るところまで持っていかないといけない。このままだと夏の参議院選挙でも自公が勝って、そこにプラスどこがくっつくのか知らないけれども、大政翼賛会的な大勢力ができて、他は雲散霧消するんじゃないかという恐れをみんなが持っているし、僕もそう思う。だから、参議院選挙に間に合うかどうかわからないけれど、明治維新でいえば薩長連合を中心にした雄藩連合をもう一度つくって、維新を断行する方向に持っていかないといけない。
その中心になるのは、昨年末の総選挙でわかったんだけれども、民主党なんですね。あれほど下手くそな、でたらめな政権だった民主党だけれども、一度政権を取ったから、国民には何となく自民党の対抗勢力は民主党だとインプットされている。民主党は総選挙で意地悪くうち(生活の党)の前職候補全員に、直前になって対立候補をぶつけてきた。民主党の候補は当選しなかったけれど、それでも2~3万の票を取った。そう考えると、やはり自民党の対抗勢力は民主党が中心になるというふうに国民も何となく思っているんですね。
数の上でも多少は維新の会より多いし、仮に民主党がもう一度、政権奪還という志を強く持って、大同団結を呼びかけることができれば、早ければ参議院選挙も間に合うし、間に合わなくても次の総選挙ではやれる。また政権交代はできる。

【渡辺乾介】民主党が聞いたら、大喜びしそうな話ですが。

【小沢一郎】だけど、今のままじゃだめですね。大きな志を持たないといけない。



《「巌窟王」にはなれなかった》

【渡辺乾介】昨年の総選挙は「小沢一郎の逆説」でもあった。この4年間は検察の暴走に始まり、野田政権の暴走で民主党政権が崩壊し、結果として今日の巨大与党が形成されることになった。はっきりしたのは、この20数年間、与党であれ野党であれ、常に日本の政治を動かしてきた小沢一郎という政治家が政治の中心からいなくなったという現実です。
民主党政権は政治主導、官僚支配を脱却して新しい国の仕組みをつくると訴えて、国民の心を掴んだ。けれども、民主党による官僚との戦いは実際には何もされず、官僚権力=国家権力とあなたが1人で戦ったのがこの4年間ではなかったか。本来ならば、ともに戦うべき民主党が、検察と同じ土俵に立って小沢排除に動いた。その流れが、畢竟(ひっきょう)、民主党政権を崩壊させた。それが「小沢の逆説」というわけです。

【小沢一郎】その事実が僕にとっても非常に残念なんです。官僚による中央集権支配を打破して、政治主導、地域主権の政治を実現する、そう訴えて(民主党は)政権を取りました。けれども、それを阻止しようとする旧体制派の象徴的な反撃が、検察による国家権力の濫用でした。総選挙の半年前に、政権交代がささやかれる野党の党首を、何の証拠もなく強制捜査するというむちゃくちゃなものだった。
つまり、問題は僕個人のことではないんですね。こんなことは後進国の独裁国家でしか起こり得ない、民主主義を否定する行為です。ところが、大メディアも旧体制に組み込まれてしまっているし、旧体制の打破を叫んだ民主党の人たちが一緒になって(僕の)排除に動いた。それは僕個人がどうこうという話ではなくて、民主党の中枢を担ってきた人たちが、自分たちの主張してきたこと全く理解していなかったということです。私は本当に残念な思いでなりません。

【渡辺乾介】小沢事件は日本の民主主義を危機から守るという根本的な課題だった。そこから逃げてしまった。検察が恐ろしかったのかもしれません。

【小沢一郎】事の重大さを、頭の中で全く理解していなかったんじゃないですか。何を自分たちが主張してきたのかということが全くわかっていなかった。そうとしか思えないですね。

【渡辺乾介】あなたは先の総選挙で「一兵卒宣言」をした。09年の総選挙のように先頭切って引っ張りはしなかった。この総選挙は、あなたが官僚権力との戦いを身をもって実践してきたことを示す総決算の場だったと思う。裁判中は国民に直接言いたいことも言わずに耐えてきたこと、この間に起きたこと意味、そして自分はこう戦ってきた、と前面に立って訴えるべきではなかったか。違う言葉で言うならば、なぜ小沢一郎は「巌窟王」に徹しなかったのか。

【小沢一郎】そういう要素は確かにあったかもしれません。けれども、僕が先頭に立って、僕ら(生活)だけで純粋理論で戦っても過半数は取れない。いろんな要素の人を入れて一緒にやらなくちゃならないというのが現実だった。自由党と民主党の合併前も同じ状況でした。
だから、今回、日本未来の党に合流する前の段階で、維新やみんなの党に、「このままだと絶対に勝てない。自民党を手助けするだけだ」とくどいほど言ってきた。けれども、その大同団結ができなかった。

【渡辺乾介】しかし、一兵卒で戦って選挙は敗れました。

【小沢一郎】それは結果で示されたとおりです。自分たちの立場で言うと、民主党政権がおかしな政権になったということ自体ついての責任もある。排除された者ではあるけれども、それでも僕が先頭に立って勝ち取った政権ですから。国民の皆さんにも、(日本未来の党が)民主党の枠内の政党という見方が頭の中にあっただろうと思う。僕が先頭に立てばそれなりの票は取れたかもしれないけれども、結果は多分似たり寄ったりだったでしょう。あとは今日の状況を踏まえて、今後の選挙をどう戦うかです。

【渡辺乾介】裁判闘争中に全国で自然発生した「小沢支持デモ」の参加者は、小沢一郎が裁判を通じて、官僚権力との戦いを身をもってやっていると見たのでしょう。が、総選挙でその人たちはどこへ行ったのか。あなたが「巌窟王」にならなかったが故に、国民に主張が通じていなかったのではないか。

【小沢一郎】そのとおりなんです。けれども、まだ国民の側も各党の政策・主張を自分自身で見極めて投票するというところまで行っていない。
だから僕は皆さんに言うんです。政治家の資質が足りない、劣っているというのは事実だけれど、それを選んでいるのは皆さんなんだから、しっかりしてほしいと。最終の決定権を持つのは主権者たる国民だから、国民がしっかりしさえすれば、国民自身が意識をもっと高めて、それなりの政治家を選ぶ以外に、民主主義政治では方法がないわけです。

【渡辺乾介】守旧派とは言わないが、国民の多くもやっぱり既得権者なのではないか。

【小沢一郎】そうです。だけれども、その国民の既得権が、今、少しずつ崩れつつあるんです。雇用でいえば、終身雇用の制度は日本の特殊なセーフティーネットだったけれど、雇用契約もアメリカ的になってきた。小泉政権以来、特にそうです。それで給料はどんどん下がる。国民が日本社会の中で共有していた既得権そのものが崩れてきている。そのことに国民が気づかないといけないと思う。

【渡辺乾介】政治家や官僚、財界、大メディアの既得権も含めて、きちんとシステムを組み直すべきだという国民の意識が09年の政権交代繋がったはずだった。ところが、民主党は政権につくと増税で国民負担を増やすことに邁進した。国民は、それならば自民党の旧来型の利益誘導政治のほうが、まだましかもしれないと逆戻りしてしまった。

【小沢一郎】積極的支持ではないけれども、旧来のままでいいんじゃないかと考えた人が多い。逆に言えば、自民党を支持してきた人でも、民主党がいい政治をしたならば、変わったはずなんですけれどね。結局、それは変わらなかった。自民党支持は相変わらず自民党支持のままだった。



《何で解散したのか今でもわからない》

【渡辺乾介】旧体制の政治技術的なしたたかさというのは相当なもので、野党に転落した時の自民党は、徹底的にスキャンダル攻勢をかける。

【小沢一郎】日常の選挙運動でも、それはもう民主党なんかよりはるかにやっています。それはやっぱり大事だと思う。自分の目的に対する執念、そのためにはどんなことを我慢してもやるという執念ですね。そして、それが民主主義の原点だと私は思います。だから、野党になった自民党は政権を取るために、多少の違いはいいからとにかく皆でまとまろうとする。そこが大人というか、したたかさというか。
民主党が一生懸命やっていたら、政権党に3年半いながら、こんなに負けるわけがない。僕は(民主党時代に)「大衆の中に、国民の中に入れ」と言ってきた。しかし、そう言えば言うほど煙たがられました。だけれども、国民と直接触れ合うことなく、国民が何を求めているのか、何を期待しているのかがわかるはずがない。残念ながら、そうした選挙活動が民主党にはほとんどなかった。結局、永田町で会合ばかりやって、地元で自分を支援してくれた人たちの意見の吸い上げが全然できていない。それがこんなに負けてしまった最大の原因ですね。

【渡辺乾介】民主党は、総理大臣自身が負けるとわかっていて解散し、江戸城の無血開城のごとく政権を自民党に譲り渡した。

【小沢一郎】当時の選挙の担当者、責任者たちが、選挙中や選挙後に、「筋肉質になってすっきりした」「これだけ負けてよかった」なんて言っていたんでしょう。二百何十人も殺したのに、「これでよかった」というのは信じられない。どういう精神構造をしているのか。
それは多分、巷で言われているように、彼らなりの思惑があったんじゃないですか。要するに、自民党も過半数に届かないだろう。自分らもほどほど生き残れば連立を組めるという打算ですね。それを狙って解散したとしか考えようがない。自分たちが「自民党ではダメだ」と訴えて政権を取りながら、自民党と結ぶことを前提にして政治活動をするというのは、本当にむちゃくちゃで邪(よこしま)な考え方です。でも、そうとしか解釈できない。何で解散したのかは、今でもわかりません。

【渡辺乾介】その民主党は、検証作業と称する党再建論争の最中です。

【小沢一郎】へぇ、そんなことをやっているの?

【渡辺乾介】しかし、消費税増税はやむを得なかった、原発はあれしかやりようがなかった、そんな自己弁護を百万遍やっても国民は絶対納得しない。なぜ自分たちは小沢裁判で検察の横暴、官権力の暴走を許し、小沢排除に加担したのか。どんどん政党の軸を外していったことが失敗だったと自覚しない限り、民主党に野党の盟主となれということは、望み薄だと思います。

【小沢一郎】僕のことになると、ヒステリーを起こす人がいっぱいいる。アレルギーがいっぱいありますから……。

【渡辺乾介】民主党の問題とは別に、あなた自身の失敗はどこにあったと思うか。自民党を離党して以来20年間、政権交代可能な二大政党制を中心とする議会制民主主義を定着させるんだと繰り返してきた。一旦はそれに成功したと国民も思った。ところが、いまや自民党一党支配に逆戻りしたかのような状況になった。

【小沢一郎】これは失敗というか、油断というべきか、3年半にわたって政治活動を制約されたことが一番大きいと思います。その間にせっかく取った政権は自壊してしまった。それは自分自身の責任もあるけれども、それだけ旧体制の恨みと反撃は強かったということです。
それとやはり、一番最初の細川内閣がもう少しうまくできていれば、もっと早く可能だったとは思います。でも、あの時は8党派(の連立政権)だったから、なかなかねえ。でも、3年半前は民主党単独で政権を取ったから、今度こそ大丈夫だろうと思っていたけれど……。

【渡辺乾介】政権交代前に、あなたは「民主党はまだ政権を担う準備ができていない」と指摘し、福田内閣との大連立に動いた。実力不足はわかっていたのではないか。

【小沢一郎】それは、(政権党になるうえで)未熟なことはわかり切っていましたよ。ほとんど経験のない人が、ぴょんと偉くなってしまうんだから、できっこない。けれども、未熟というより、自分たちの目指していることを理解していないことのほうが驚きでした。

【渡辺乾介】政権を取ってから“ありゃりゃ?”と。

【小沢一郎】政権交代後に、(小沢)幹事長は政府内のことに関与しないでくださいという話になってしまったから(それに従った)。じゃあ、鳩山さん本人がやるだろうと思っていたら……。

【渡辺乾介】最初からもっと改革の先頭に立つべきだった。

【小沢一郎】その時に「それはおかしいよ」と言えばよかったのかもしれない。野党時代のシャドー・キャビネットでは、幹事長もちゃんと内閣に入っていた。それを、政権を取った途端に幹事長は入閣させないことにしちゃった。

【渡辺乾介】鳩山内閣は幹事長は政策に口を出すなと言いながら、ガソリン税の暫定税率の件では、内閣で決められないからあなたに尻ぬぐいさせた。

【小沢一郎】決められなかったんじゃないんです。(鳩山内閣は)予算の総枠を党に諮らずに閣議決定してしまった。ところが、政策を実行する予算が足りなくなった。でも、政府が自分で決めた枠をはみ出すわけにはいかない。それでどうしようもなくなって、党で調整したんです。

【渡辺乾介】農水省の土地改良事業予算を大幅カットしたのも、政府ではなく幹事長のあなただった。

【小沢一郎】そうでしたね。

【渡辺乾介】総予算の組み替えには、大なたをふるって予算をカットする部分が必要だ。とうぜん、血も流れる。ところが、鳩山内閣も、その後の菅内閣も、総予算の組み替えと言葉では言っても、何も手をつけようとしなかった。しかもあの時、役所やメディアはマニフェストの財源がないと批判したけれども、安倍政権になったら補正予算で13兆円も出てきた。「ない、ない」と言ってきた埋蔵金というやつです。

【小沢一郎】そのとおりです。だから、僕は言ってきたんです。「金なんぞ何ぼでもある」ってね。けれども、民主党の場合、役人に「ない」と言われると簡単に引き下がる。自民党は、実は金があることを知っているから、「きちんと出せ」という話になる。おもしろいですよね。今まで、だめだ(財源がない)って財務省が言っていたのに、簡単に金が出てきたんだから。



《安倍晋三さんはいい子だと思う》

【渡辺乾介】安倍(晋三)首相は、今は自信満々にアベノミクスと呼ばれる政策で予算をバラ撒いている。

【小沢一郎】安倍さんは総理大臣に2度なったんだから幸運といえば幸運だけれども、内外に問題を抱えて、非常にしんどい立場だと思います。よっぽど心してやらないと、そんな楽な政権運営にはならない気がします。アベノミクスは本質的に、昔の自民党と同じやり方なんです。一つは景気が悪くなったから公共事業をやる。もう一つは、小泉・竹中路線も同じだったけれど、経済全体のパイを大きくすれば国民の所得レベルも上がるという考え方です。けれども、「小泉改革」でわかったように、パイが大きくなっても、国民所得は下がる一方です。だから格差はどんどん拡大した。アベノミクスは、そうした二重の過ちを再び犯しているんじゃないかと思います。加えて、官僚支配の弊害がますます強く出てくるはずです。それがやっぱり大問題だと思います。

【渡辺乾介】何かしゃかりきすぎる面ばかり浮いている。

【小沢一郎】そうです。僕は昔からとても安倍晋三さんを好きなんです。いい子だと思う。けれども、やっぱり天下人になったら、リーダーとしての見識と理念を持って政策、政権の運営をしないといけないでしょう。

【渡辺乾介】安倍首相は、6年前とは違いますか。

【小沢一郎】違うと思う。あのこと(前回の辞任)で勉強したと思います。けれども、今はあの時以上にしんどい。特に国際情勢がね。それに国内の政治も、経済も大変です。

【渡辺乾介】先日の「生活の党」代表就任演説では、福島原発事故との戦いは国再生の根本問題であると強調した。一方で自公政権は全国各地の原発再稼働を着々と進めようとしている。

【小沢一郎】先の総選挙で、原発問題は争点にならなかったとみんな言っています。これは本当に、政府も大メディアも大いに責任があると思う。新聞やテレビは、もう原発事故は何となく収束したみたいな論調になっている。だけれども、福島のあの事故の対応をきちんとしない限り、日本の将来はない。今だって海中にも、ものすごい量の放射性物質が放出されているんです。

【渡辺乾介】2年も経って、何万人という人が避難生活をしたままだというのは、政治のあり方として恥ずかしい。

【小沢一郎】「すぐ帰れる」みたいなことを言いながら、住民を放っている。近いうちに本当に帰れるならまだいいけれども、近いうちに帰ることはできない。なぜそれを正直に言わないのか。正直に伝えたうえで、新しい生活を支援してあげるのが一番いい。そういうことを言うと、自分の責任になっちゃうから言えないのかな。このままだと本当に悲劇だと思います。



《勝負は3年半後のダブル選挙》

【渡辺乾介】重ねて伺う。現在の状況は、民由合併の直前に戻ったような状態で、これからもう一度政権交代を目指すつもりだと言われた。

【小沢一郎】現状としては、そう考えています。

【渡辺乾介】しかし、当時のあなたは50代だったが、すでに70歳になった。03年の民由合併から政権交代まで6年を費やしたことを踏まえれば、仮に再び政権交代を実現したとしても、その時のあなたは70代の後半です。政権交代を実現して、安定した政権を作るまで、現役政治家であり続けるつもりか。それとも、「ここまでは何としてでも見届けたい」という、引退の条件のようなものを描いているのか。

【小沢一郎】最初のレールが敷ければいい。ゴールまでは見られないから。そう、ゴールまではね。
僕も最近まで気がつかなかったけれど、中国の鄧小平さんが3度目の復帰をしたのは、73歳なんです。3度追放されて、3度復帰して改革開放路線のレールを敷いた。そして彼は77歳で事実上の最高指導者となり、中国の英雄になった。
僕も年だから、多分、次の選挙が最後の決戦になる。(今夏の)衆参ダブル選挙だなんて言う人もいるけれど、自民党はそんな勝負はしないだろうと思う。民主党政権じゃないんだから(笑い)。だから多分、3年半後にダブル選挙です。

【渡辺乾介】最初のレールとは。

【小沢一郎】もう一度、自民党と対峙できる政党をつくるということです。二大政党でなくていいけれども、民主党(の議席)は50幾つになってしまったから、それでは勝負にならない。(次の選挙で)負けたら負けるにしても、野党の中心になる政党として存在できるような、そして次の次の総選挙で政権を交代できるような政党をつくりたい。

【渡辺乾介】民由合併から現在までの10年間を無駄にしたという後悔があるのでは。

【小沢一郎】それはもう残念でした。何のためにこんな苦労をしてきたんだと。でも、人生は仕方ない。小泉さんじゃないけれども、人生はいろいろあるし、勝つも戦、負けるも戦だからね。ただ何としても、議会制民主主義の最初のレールだけは敷きたい。だから、自民党に対抗できる政党、基盤となる政党をつくり上げたい。

【渡辺乾介】「80歳の暴走老人」なんて方も国会に戻ってきましたが、そこまで現役という気は……。

【小沢一郎】いやいや(手を横に振って笑う)。仮に次の総選挙が3年半後だとすれば、その時が勝負です。今年の参議院選挙も、みんながうまくまとまればやれるんだけれど、今の状況じゃ、まとまりそうにないものね。

【渡辺乾介】レールを敷いた後、あなたの改革を継ぐ政治家は、誰だと考えているのか。

【小沢一郎】昔から「国乱れて忠臣現わる」「家貧しくて孝子出づ」というけれども、深刻な事態にならないと、世の中がリーダーを育てようという気にならないんですね。明治維新でいえば、黒船が来たから志士たちが世に出てきた。

【渡辺乾介】中国のフリゲート艦が来ていますが、現代の志士はまだ出てこない?

【小沢一郎】今すぐ誰って思い当たるわけではないけれど、必ず出てきます。後生畏るべし。心配することはない。

【渡辺乾介】それまでは、あなたは城山には行けない。

【小沢一郎】ははは、城山に行くわけにはいかないですね。






◉レポート/渡辺乾介(政治ジャーナリスト)
『小沢一郎   嫌われる伝説』著者

小沢は語調の乱れを見せることもなく正確な言葉遣いで心境をあからさまにし、政治論では振り切る明快さで話し通した120分だった。3年有余にわたる政治的座敷牢生活の渦中、検察の実力行使とその背後の官権力と真っ向勝負をしていた時は一語一語に細心の警戒心を潜ませていたが、その時と違ってやや高い音律を響かせた。
小沢にとって今は多分、束の間の平時の一時であろう。それでも、安倍政権が傾斜していく政治の基底に鋭い視線を走らせる硬質さは健在であった。
小沢の平時は、彼を政治の中枢舞台から排除し、その政治的存在をなきものにしておきたい与野党にまたがる守旧派勢力の翼賛体制をもたらした。小沢が小康を保っている間、小沢無視派は「小沢がいない政治」にいそしむことができる。
であれば、小沢の起き上がり方によって、小沢・反小沢という日本政治の異常な対立軸が存在する限り、小沢は一方の光源であり続ける。国民が小沢に期待するのも、それ故なのではないか。小沢の内なる闘志を見たインタビューだった。
〈このインタビューは2月8日に行われた〉


~2013年2月15日発売の週刊ポスト3月1日号より

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