それは日曜日の朝の出来事だった。
起床を告げる携帯電話のアラームを切ると、腕の中で眠っていたテツが身じろぎをして、暖を求めるようにおれの胸に擦り寄った。
確か今日は見たかった映画――なんとかいうテツの好きな作家原作のものだと言っていた。――の封切りだと言っていた。
「テーツ、起きろー、映画見に行くんだろ?」
「んむ……、あ、と、5分」
「いや、別に5分じゃなくてもいいけどよ……」
せっかくの日曜日だし。おれの本音はそっちだ。別に映画など今日じゃなくてもいい。大学生活とバスケとバイトと、二人でのんびりできる休日が実は最近にしては珍しいのだ。
腕の中にある、睡眠に囚われる暖かい体温が心地よくて、擦り寄ってまた規則的な寝息を立て始めたテツを苦しくないように抱きしめた。
日曜日の二度寝ほど、至福の一時はない。ましてや、世界中の誰よりも幸せにしてやりたいと思う相手が腕の中にいるのだ。泣き出してしまいそうなほどの幸せがおれのわずかな情感を揺すった。
ようやく微睡みから覚めたのはまもなく11時を知らせるころだ。すやすやと眠るテツの寝顔にも飽きてきて、そろそろ水色におれを映してくれないだろうかと願った瞬間だった。
「ん…、ん?おはよ、ございます、あおみねくん」
「ん、おはよ」
寝起きの甘ったるい声音にひとつだけ笑い、かすめるようにキスをする。それを甘受したテツは、ゆったりと目元を綻ばせながら、もう一度、とねだっておれの頬に触れた。境界が曖昧に感じてしまうほどに暖かく柔らかな手のひらだ。

「テツ、カフェオレでいいか?」
「あ、はい」
落としたコーヒーに温めた牛乳と砂糖をいれて、ようやく覚醒してきたテツに渡す。治らない寝癖を一度撫でて離れると、照れたのかマグカップに唇をつけて俯いた。
自分用のブラックコーヒーを落としたところで、窓辺による。季節外れの陽気がぽかぽかと暖かった。ストバス日和だなぁと思いながらも、映画の開始時間は何時があるのかと算段している自分がいて少しだけ笑った。
テツは映画を見ることを覚えているのかいないのか、まるでその話題を出してくることはない。行かないなら行かないでもいい。みすみすこの幸福な時間に水を差す必要はないだろう。
「青峰くん青峰くん」
窓辺から外を眺めていたおれに背後からテツの声が囁く。ふりむくと目の前で髪先が跳ねた。
マグカップから唇を離してどうした、と視線に言葉を乗せて下げると、それを受け取ったテツが同じようにマグカップから唇を離してにこりと笑った。
「少しだけ、屈んでください」
「あん?」
要望通りに少しだけ腰を折ると視線の先が髪先から水色の瞳に変わる。吸い込まれるようなブルーはおれの空であり海だ。突き放し、受け入れ、包み込む。そんなブルー。
「ん、…、ふ」
近寄ったテツの睫毛が震える。いつまでたっても照れたような不感症なような反応が可愛い。好きだなぁと沸々と沸き起こる感情を頭の片隅に感じながら、離れていく唇を名残惜しく思う。
つ、と唇どうしの接地面がなくなった時、ふんわりと鼻先を掠めたのはカフェオレの匂いだった。これからおれは当分の間、カフェオレの微かな匂いを感じるたび、テツの唇の熱や震える睫毛、かすかな吐息に混じる声音を思い出すんだろう。伸ばしかけた手にお前は気づいているのだろうか。
おれが飲んでいたブラックコーヒーとは違う匂いは、テツと同じ、甘い匂いだった。
「ねぇ青峰くん、今日は家でまったりしましょうか?映画はまた別の日にでも、ね?」
「あー、まぁお前がいいなら別にいいぜ?おれはお前がいるならどこだっていいんだし。なぁテツ。こっち向け」
上向いた鼻先にちゅ、とキスをして、笑って弧を描く唇に重ねる。
「ふふ…、青峰くん、苦い」
「大人な味だろ」
ブラックコーヒーの匂いがテツの鼻先と舌先を掠めたのだろう。
お前も毎朝落とすコーヒーの香りを嗅ぐたび、おれとのキスを思い出せばいい。赤面してもいいし欲してくれてもいい。
お前の生活の一部になりたいし、お前をおれの生活の一部にしたい。
いつまでも、どんなときも、お前が、おれを、一番だと言いたい。
「苦いの、だめですって」
「ばぁか」
お前が甘いんだよと囁いたおれの言葉は、テツに飲み込まれて、体内に吸収された。食んだ下唇は、やっぱり甘くて幸せだった。
幸福を目に見える形にしたならば、テツ、この家がそれだよ。

(日曜日、少しだけ遅い朝食の後のできごと。)


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