詭弁マスターへの道 ~藁人形論法ってなに?~(http://togetter.com/li/437103)というまとめを発見したので、『詭弁マスター』とやらのいい例として『アレ』を探してみる…… あー…… 相変わらずだなぁ。つか、藁人形も含んだ詭弁しか出来ないのか?例として01/10の23:54から01/11の00:12までが見事に詭弁の嵐。

さて、こいつの発言の何処が詭弁なのか解らない人がいると思うので解説。
先ず、例示した以下の発言を読み返して欲しい。

(a)https://twitter.com/noiehoie/status/289384769396043776
(b)https://twitter.com/noiehoie/status/289385234884096000 
(c)https://twitter.com/noiehoie/status/289385991117094912 
(d)https://twitter.com/noiehoie/status/289387421425090561 
(e)https://twitter.com/noiehoie/status/289389374674722816

これ読んだだけでは『普通に良いこと言ってるじゃないか』と騙される人間も多いと思う。そこが奴の詭弁の巧みさで…… 

詳細を説明しよう。

先ず詭弁一個目。
(a)では『お茶屋もピンサロも同列になってるから祇園の街並みが破壊されてる』と言っている。これは『ピンサロは祇園の街並みに相応しくない』からこそ『茶屋が建ち並ぶ景観が破壊されている』という意味になる。つまり『祇園の街並みを守るにはピンサロは排除されるべき』と主張している訳だ。
では、ここで問題だ。理性的な『祇園の街並みに合うようにせよ(例えば客引き禁止とかネオン禁止など)』という『譲歩策』ではなく、感情的な『問答無用で排除せよ/排除されるべきだ』という主張になる時点で、一体(c)と何が違うのか。『下品だから禁止!』と喚く人間と何が違うのか。『街並みを壊すという具体的弊害がある』とでも言う気だろうか。それは単に受け取り方の違いであって『時代と共に変わるのも仕方がない』と諦観する人間も居るかも知れない。第一が『美観』という感覚的な基準で物を言ってるのだから、その主張は何処まで行っても主観でしかない。と言うことは(c)で否定している主張と全く同一線上に在ることになるのだ。
……何も『主観で批難すること』を否定してるのではない。単に『自分では主観的批判を行ないつつ、他者の主観的批判を批難している』という『二重基準』を批判しているだけだ。
詭弁――【 二 重 基 準 】

次に詭弁二個目。
同じく(a)の後半部分では『如何に風紀的に問題あるとはいえ世の中に一定の需要のあるものを抑圧したらどうなるか考えても見ろ』と言う。これは即ち『一定需要があれば、風紀的に問題があろうと解禁せよ』と言っているに等しい。
ここで前段部分の主張と見事に矛盾する。『一定需要がある』からこそ祇園に『ピンサロ』がある訳で、この(a)後段の理屈に従えば『風紀的に問題があっても(気に食わない人がいても)一定需要があるんだから文句言うな』となる。
奴は何と言っていたか?『街並みが壊れる(美観を損ねる)のが見苦しい』と言っている。平たく言えば『気に食わない』だ。つまり、前段で『気に食わない』と言い、後段で『需要があるから文句言うな』と言ってるのだ。ここでも『二重基準』である。
詭弁――【 二 重 基 準 】

詭弁三個目。
同じく(a)の後半部分『如何に風紀的に~どうなるか考えても見ろ』だが、これは『理論』ではない。『一定需要があるのに抑圧したら、そいつらがどういう態度に出るか解らんぞ』という単なる『脅迫』だ。その上に『だからこそ抑圧するな』と『恫喝』している。つまりは『理論に見せかけた感情論』だ。
ここで逆に考えよう。『一定需要があるものは抑圧するな』という主張を至極素直に解すれば、『一定需要がある』のだから『法的に禁止されている全ての物』も『抑圧するな(禁止するな)』となる。つまり『求める者が居るなら禁ずるな。禁止したら大変だぞ』と言ってるのだ。
このように理詰めで考えると『一定需要があれば、風紀的に問題があろうと抑圧すべきではない』というのは『禁止したらどうなるか覚悟しろ。そうなりたくなかったら禁止するな』という『論に見せかけた脅し』でしかない『詭弁』だ。このような『~に従え。従わなければ~になる』といった形式の詭弁を『脅迫論証』と言う。
詭弁――【 脅 迫 論 証 】

詭弁四個目。
(b)の主張だが、これは『誤った二分法』という形式の『誤謬』だ。これも詭弁の一種である。つまり(b)の主張内で、儲かるのは『ヤクザ=反社会的組織』か『警察=公的組織』の二択だけにして『民間人が自由意志で反発する』という形式を考えていない。いい例が江戸時代の『奢侈禁止令(所謂『ぜいたく禁止令』)』だ。幕府から華美な服装や装飾を禁じられたため、『民衆(一般大衆)が』目立たないよう生地裏に装飾を施し禁止令を破っていた(これにより公的機関や反社会的組織が発展した事実は無い)という実例が、それこそ奴の言う『江戸時代から変わらぬ光景』を否定している。
詭弁――【 誤 っ た 二 分 法 】

詭弁五個目。
(d)の主張には『虚偽』が含まれてる。主張の『前提部分』――即ち『廃娼運動によって売春防止法が施行されるまでは、ヤクザと売春業は綺麗に棲み分けてきた』――が『虚偽』そのものだ。そもそも『遊女(娼婦)』は『女衒』と呼ばれる『人身売買仲介業者』によってその職に就く。(今でいう援助交際=街娼を除く) 女衒には公認の者も非公認の者もおり、それこそ非公認の者は今で言う『やくざ者』である。『ヤクザと売春業』の関わりは深かったのだ。単に『公娼制度が認められていた時代に比べ、全面禁止となった現在の方が関わりが深くなった』ので『関わりが目立つようになってきた』だけに過ぎない。
第一、実際に『棲み分けてきた』のは『公娼と私娼』であって『ヤクザと売春業』ではない。江戸時代から『吉原で売春を行う者=公娼』『それ以外の地域で売春を行なう者=私娼』(夜鷹、という名を聞いたこともあるだろう)という区分は明確にあった。それこそ戦後にも『赤線』(半公娼)『青線』(私娼)の区別があった。以上のようにこの主張も『詭弁』であり『チェリー・ピッキング』と呼ばれる『自分の論証に都合のいい部分だけピックアップして他を無視する』という『いいとこ取りの論法』だ。
詭弁――【 チ ェ リ ー ・ ピ ッ キ ン グ 】

詭弁六個目。
(e)で奴は『こんなゆかしい踊りにまつわる神話をもつ我が国において、「踊ることそのもの」が、ご禁制になろうとしている。』と言っているが、これこそが『藁人形論法』である。元々はクラブなど今まで見逃されてきたものを厳粛に取り締まるようにしただけ(詳しくは『風営法 クラブ 取り締まり』で検索を)であり、風営法による許諾を取れば営業出来るのに彼らはやってなかったから摘発された、というだけの問題だ。
誰も『踊ることそのものを禁止にする』などとは言ってはいないし、風営法自体にそんな目的さえ無い。にも関わらず、『踊ることそのものを禁止にする』などという『風営法の意図を歪めた架空の論』をでっち上げ、それを糾弾し『風営法の存在自体を悪だと誘導する論』を展開している。
このように『相手の発言意図を歪め、それに反論する』論法を『藁人形論法』と呼ぶ。
詭弁――【 藁 人 形 論 法 】

……自分が詭弁を語るのは簡単だが、『その論証が詭弁である』と他人に指摘する際には労力が必要となる。この様に。だからこそ、詭弁を語る者は『言った者勝ち』という心象で行なっている。
『詭弁』を見抜く力を是非とも有してもらいたい。

Reply · Report Post