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不動明 · @DoDoDoDaDaDa1

15th Nov 2012 from Twitlonger

ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景
http://www.youtube.com/watch?v=9254tkUe8Hw&feature=related

私感:大金さえ持たなければ、(勝算がなければ)戦争は起きないのだろう。

ご参考のために。
http://www.twitlonger.com/show/k0hbvc
http://www.twitlonger.com/show/k0jtr8
http://www.twitlonger.com/show/k0nlj0

書き起こし

日本が太平洋戦争に至った背景

ユダヤ資本とコミンテルンの動きを取り上げます。

風雲急を告げる日露戦争直前の日本は軍資金の調達に苦慮していた。

日銀副総裁 高橋是清は必死に欧米を駆け回り日本の公債の買い手を探していた。

その時、手を差し伸べてくれたのがユダヤ系投資銀行「クーン・ローブ商会」を率いるヤコブ・シフだった。

ヤコブ・シフは当時2億ドル(現在の1兆円)の公債を引き受けてくれた。
投資家として利益を見込んだのは当然だが、別の理由も在った。

世界で最もユダヤ人を抱えていたロシアは、ナチス登場以前の最大のユダヤ人の迫害国家だった。

特に、この頃ロシアではポグロムと言うユダヤ人虐殺政策が進行していた。

ヤコブ・シフは、日本に勝たせ、ロシアの政治に一大改革を起こしユダヤ人がその圧政から救われる事を期待していた。

そして大国ロシアに勝利する。

ヤコブ・シフはじめユダヤ人も共に喜んでくれた。

後にヤコブ・シフは次のように述懐している。
「ロシア帝国に対して立ち上がった日本がロシアを罰する”神の杖”であるに違いない」

日本政府は「日露戦争」勝利の功績に報いるため、ヤコブ・シフを日本に招待。
「勲一等旭日綬章」を贈った。

残念ながら日本とユダヤの友好関係は直ぐに亀裂が入る。

それは小村寿太郎が日露の講話の為「ポーツマス講和会議」に出席している時に日本で起きた。

ユダヤ系アメリカ人の鉄道王、エドワード・ハリマンが来日していた。

ハリマンは桂太郎首相と南満州鉄道の日米共同経営の予備協定を締結する。

アメリカも出資するので、満州鉄道を日米共同で経営する、という話である。

アメリカの狙いはシナ大陸の利権獲得でした。

中国進出の足がかりとして、『ハリマン構想』を日本に持ちかけたのだった。

ハリマンと入れ違いに帰国した小村寿太郎は驚く。

全権大使の自分が知らないところで、日露戦争で日本が獲得した権益の半分以上をアメリカに売却する交渉が進んでいたのだ。

ロシアから領土の割譲や賠償が少なかった不満が日本国内に渦巻いていた事もあり、日本政府はハリマンとの協定『破棄』を通告する。

当然、ハリマンは激怒しました。
これを「ハリマン事件」と言う。
これが日米関係が悪化する端緒となった1905年の出来事です。

1909年12月、アメリカは満州の鉄道権益を清国に返した上で列強の共同管理にするという、南満州鉄道中立化を提案。
これは日本・ロシア両国の反対で失敗に終わる。

1910年、アメリカは5000万ドルの借款を清国に与え、英独仏と4ヵ国借款団を組織。
強力なドル外交で日本に対抗。

1919年1月、第一次世界大戦の講和会議がパリで開かれた。
この時アメリカは日本を締め出すため一旦、五大国委員会を解散して英米仏伊の四ヵ国委員会を開催する。

1921年、ワシントン会議でアメリカは、日本を圧迫の為以下3点を迫った。

・日米同盟の廃止
・日本の海軍力を規制
・中国の市場開放

これを契機にアメリカ・イギリスは協力して日本の勢力拡大を抑える反日の姿勢を明らかにしていく。

1924年、アメリカは『排日移民法』の制定する日本移民だけを締め出したのである。
さらに日本の在米資産を凍結する挙に出た。

1837年、日中戦争が勃発すると、上海を拠点にするユダヤ人 ビクター・サッスーンが蒋介石を支援する。

中国山東省で生まれ育ったユダヤ人 ヘンリー・ルースも反日工作に情熱を燃やした。

彼は『タイム』『ライフ』などを作りアメリカの雑誌文化の原点を築いた男である。

この写真を Life に掲載したのも彼である。

宣伝用に作られた写真です。

日本は世界中のユダヤ資本を相手に、戦争をしていたのです。

ハリマンの要求を呑んでさえいれば日米戦争は回避できたと言う人も居ます。
そうでしょうか?

アメリカは建国以来領土拡大し、日露戦争の頃には太平洋を傘下に収めるに至ってました。

(図)南北戦争以降アメリカが獲得した主要な新領土・植民地(~1912)

アメリカの拡大政策が在った以上、日米の衝突は避けられなかったのかも知れません。

こうした当時のアメリカの動きは現在、余り知られて居りません。

アメリカの中国進出が失敗に終わったからです。

(図)日露戦争後の大まかな勢力図(ソ連 vs アメリカ)
アメリカの期待はこんな感じ。
しかしいざ開戦してみたら、日本の敗戦でこうなりました。

日本が手を引いた事で共産勢力が進出。

そして朝鮮戦争。

さらにベトナム戦争。

アメリカは外交政策を間違ったとしか言えません。
その理由が分かったのは1980年(昭和55年)です。

ソ連共産党のスパイがアメリカに入り込んで居ました。
1940年(昭和15年)から1948年(昭和23年)、アメリカとモスクワの間で謎の暗号電波が観測されています。

アメリカは、これを37年掛けて解読しました。
終わったのは1980年(昭和55年)でした。

この資料をベノナ文書と呼びます。
当時は冷戦中で極秘とされましたが、最近になって公開されました。
CIAのホームページで読む事ができます。

これによると日米開戦前に300人の共産党スパイがアメリカ政府に居ました。

スパイの中には、財務省 No.2 まで出世している人物が居ます。
ハリー・レクスター・ホワイトです。

このハリー・レクスター・ホワイトが、ハルノートを書いたのです。

彼らの目的は、日米に戦争をさせて漁夫の利を得る事でした。

まさに共産党のスパイの思う壺に嵌っていたのです。

歴史を学ぶ上では情緒的な事よりも、まず事実を知ることが大切です。

こんな拙い動画でも、そんな一助になればと思っております。

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