SAOのアニメが1クール経過したので、VRゲームものについての所感を書いておく。個人の環境や嗜好に依拠した問題なのだが、自分がゲーム好きではない(特にMMOに限らずCRPG全般が好きではない)ために、当然といえば当然のことながら、AWやSAOを始めとしたVRゲーム小説は積極的に快感を覚えるジャンルではない。特に川原礫の作風は「ゲーム世界にずっといたいほどゲーム世界が楽しい」という価値観が根底に感じられるが、そこに共感できる嗜好がないということだ。SAOでも「現実に戻らなければいけない」「命が懸かっているので遊びではない」というテーマはあるのだが、そのメッセージ性は「戦争が大好きな作者による戦争ものの反戦テーマ」に近い、お題目的なところ(存分にゲームや戦争を楽しむ展開を正当化しうる大義名分のようなもの)があって、そういう作品はやはり、◯○自体を楽しく感じる人のために作られたものだろうということに似ている。例外的に『ログ・ホライズン』はVRゲームに思い入れがなくとも共感しながら読めるのだが、それは明確なコンセプトの違いがあって、「ずっとゲームの中にいたい」という欲望を隠さない川原作品と違い、「ゲームに入りっぱなしは地獄だ」という前提で始まるからであり、むしろ自分はそこに共感する。その上で、「だからゲームは止めなければダメだ」というゲーム否定にはならず、「地獄のようなゲームなら楽しくする努力をしなければならない」という、批判的なゲーム肯定が行われるため、自分のような「ゲーム自体に思い入れがない」読者でもゲームプレイに対して共感しやすい。なにより、ログホラでは実際に「ゲームがまるで楽しくない」という状況や、そういう状況にいるプレイヤーの視点が現実的に描かれるが、SAOでは、そうした状況やプレイヤーは軽蔑され、「そもそもゲームは楽しいのだ」と感じるプレイヤーを主体に据えているところがある。ちなみに、「そもそも面白くなるかどうかは努力次第、放置したら地獄になるに決まってる」という考え方はTRPGに通じるところがあって、ログホラはTRPGプレイヤーとしての共感をより多く誘うと言えるかもしれない。ところで、AWは実は1巻だけはログホラと同じ共感で読むことができる。それはやはり、「つまらないゲームにしている状況」に対して「もっとちゃんとゲームをしろ」という宣言が描かれているからだ。ただ、この「ちゃんとゲームをしないと面白くならない」というテーマはログホラほど掘り下げられることはなく、宣言後は単純にバトルストーリーが展開する。ただ、SAOに比べるとAWの方が比較的「VRゲームそのものの楽しさ」の表現は控えめで、ただのバトル手段(ホビーアニメ的のホビーに近いもの)として描かれていくため、まだ共感が持続しやすい描かれ方をしているようにも感じる。

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