mizorain

mizorain · @mizorain

2nd Sep 2012 from Twitlonger

2009.3

ジフンに初めて会ったのは 僕が17歳、ジフンが16歳の時だった。
その日も練習室でダンスの練習をしていたのだが、先輩が新入りだと言って誰かを連れて入ってきた。
最初に持った思いは“いい奴と出会ったなぁ”だった。 
当時ダンサーで180cmを超える人は稀で 僕はいつもセンターで一人で立たねばならなかった。
ところが ジフンの身長が僕とほとんど同じだったのだ。

  “これから 僕の横で一緒にやる友達ができるんだね”

新入りに気を使わず うわべでは先輩面をしながら内心嬉しかった。
そのようにジフンとの絆は 若い頃お金がなく苦労して大変だった時 一緒にダンスをし 苦楽を共に積み重ねたのだった。
ジフンは僕が親しい4名の人の中でも 最も多く会って最もよく連絡する人である。
知り合って一番長く一緒にいたし 苦労した頃仲間としての気持ちが最も大きくもある。

カメラのかばんがいきなり丸ごと無くなり 他の写真家のカメラを借りて仕事をしていた時だった。
僕はその時、蓄えておいた全財産を失くしたカメラと付属品に使ってしまった状態で 新たにカメラを買う余裕はなかった。
さらに家に事件が起きた。

ジフンは明け方5時であろうと昼の1時であろうと関係なく 時間ができるといつでも気楽に僕に電話をかけたりするのだが、
その日は夜12時にジフンからごはんを食べようと電話があった。
僕がごはんを余り食べなかったので ジフンが何かあったのかと尋ねた。
僕は おまえに負担をかけることはない、今の僕の事情はこうだとか 全財産をかけたカメラを失くしてしまってお金は無く
しかも家でお金が必要な今の状況を話した。

僕たちはコンビニで缶コーヒーを買い 車の中で5時間のあいだ話を交わした。
率直に言えば 5時間ジフンが僕に訓戒を言ったと言う方が正しい。
ジフンは ヒョンが今お金がないのは家にお金を入れているからではないんじゃない。
ヒョンもお酒を飲んだり 服を買ったり遊びに行ったりしてるだろう。僕だったらそんなことはしないだろう。
ヒョンは弟がベンツを買ったのが腹が立ちもしないのか。(その頃ちょうどジフンがベンツを買った時だった)
ヒョンは精神状態がまだなってない・・・このような内容で・・

本当に ジフンと僕の仲でなかったら到底我慢できない赤裸々な話を長々と5時間かけて語った。
そうしてジフンが言った。3年後に僕たちが共にベンツに乗れたらいいねと。

その時ジフンが言ったひとことひとことは衝撃そのものだった。どんなきっかけより元気が出た。
それは そこそこ親しい関係を飛び越え ただ親しい兄と弟の関係を飛び越え
人間対人間として、本当の友達対友達として交わす会話だった。

その日の明け方 僕は家に帰り本当にじっくりと考えることを始めた。
この期間 僕ができなかったこと、今必要としていること、そして僕がしなければならないことについて。
そして僕は目録を作成し始めた。その目録は僕の部屋のパソコンにそのまま貼ってある。

僕が今まで見守ってきたジフンは 誠実で強く、繊細で忍耐強く、面白くなかった。
僕が知ってる面白くない人で2番目なら悲しいことだ。
放送とかマスコミでは 話も筋道立てて上手に機転とセンスで固く武装していて表れないけど
実際は 我々仲間同士の会話で ジフンのギャグはいつも寒い雰囲気を作ったりする。
親しい周辺のヒョン達が余りにもおかしくて面白いので 我々のユーモアが輝かないこともある。
それでも僕とジフンはそんな寒いユーモアを好んで楽しんだ。

僕たちはコーヒーとワッフル、ケーキ、音楽、ダンス、美味しい食事、スノーボードと会話にほとんどの時間を過ごす。
しかしジフンがあまりにも有名で 人々が大勢いる場所に一緒に行くのはたやすいことではない。
ところが 我々にもチャンスがやってきた。

2008年6月、僕は撮影出張の件で日本に行くことになった。
1週間の出張だったが 親しいホンシヒョンが同行することになった。
(ホンシヒョンは本名ソン・ジェホンといって 僕とジフンとは家族同様の人だ。ジフンの振り付けも一緒にしているホンシヒョンは
我々が知ってる人の中で一番面白くユーモラスでおしゃれな人だ。)
そこに ちょうどジフンも画報発刊広報とファンミーティングのために日本に来ると連絡があった。
海外で一緒に遊べたら本当に嬉しいという話をいつもしていたので、絶妙なタイミングがきっちりと合ったのだった。
そのうえ日本で出版するその書店は 僕が撮影を担当したところなので我々の今回の出会いは更に意味があった。
このように我々は日本ですばらしい再会をした。

ジフンはこの間 映画“ニンジャアサシン”撮影のためドイツで暮らしながら本当に大変な食事制限と運動で半年を過ごした状態だった。
ドイツにいたジフンと韓国にいた僕は 今までのようにしばしばメールと電話でやりとりした。
ジフンは 会いたい、食べたくて仕方ないと話した。
僕は 食べるな、食べたら承知しないぞなど 激励のような激励でないようなことを言った。
そんなある日 ジフンから写メールが届いた。 それを見て 僕は言葉を失くした。

   “ヒョン、僕は成し遂げたみたいだ”

このメールと一緒にジフンが自分の上半身を写真で撮って送ってくれた。
ジフンの身体はもともとかなり大きくてすばらしい身体だ。
それが 写真の中には脂肪なんてひとつもない 不必要な筋肉なんてひとつもない、最も必要な筋肉だけで よく引き締まったがっちりした身体のジフンが立っていた。
この身体を作るまでどんなに忍耐強く訓練したことか。その忍耐強さが恐く 僕は返信で悪口を言った。
そして付け加えた。“よくやった!”

日本のホテルの部屋でジフンに会うやいなや 僕はジフンの上半身の衣服を脱がせ その身体を撮影した。
このようにすることが 最も大事な友人に 僕の愛する写真で表現する僕の激励祝いなのだった。

それぞれのスケジュールをすべて終えホテルに集まった僕たちは 充実した悔いのない旅行にするための作戦を練った。
そして翌朝 我々は電車に乗って箱根へ向かった。車窓の景色を見て はしゃいだ気持ちで我々の旅行が始まった。
箱根に着いてあちこち歩き回り 温泉も入り、普通の観光客のように記念写真もたくさん撮った。
そしてまるで食い意地がはった人のように 1時間おきに途方もなくたくさんの食事を食べたのだった。
このように完璧な観光客になり 穏やかな旅行の楽しさは尚一層特別なものになっていった。

ジフンは先日5集正規アルバム<レイニズム>を発表して 盛んに放送活動をしている。
そして僕は一生懸命写真撮影をしている。
お互い忙しいので最近は度々会えないが それでも毎日電話とメールのやりとりをしている。
そして1週間に2~3回は夜遅くにコーヒーとワッフルを共にする余裕を持っている。
事実こんな話をするとある人たちは僕が“ピ”を売り物にして有名になっているように見えるなどと言うが
もちろん事実は違う。ピと親しいといって僕が高まるわけでもなく そんな話は気にかけることもない。
実際 振り返ってみても6年間の放送活動でジフンの話をしたことは1度もない。
ただ僕はこの本でジフンとの友情に対し 真実に表現したいだけだ。

先日コーヒーを飲みながらジフンと僕はこんな会話をした。
交通費と食事代がなく大変だった時のことが 今でもあまりにもはっきりと思い起こすのだが
今では少なくともこんな心配はしないで美味しい食事をたくさん食べて それぞれがしたい仕事をしながらこれまで来たことに感謝すると・・・
考えてみると本当にそうだ。
フィルム代が無く 空のカメラを持って行き、シャッターを押してノートに絵に描いておいた記憶が・・・。
命ほどに大事なカメラを売って、南大門のカメラ街の真ん中で母親を見失った子供のように声をあげてオンオン泣いたその時が・・・
今でもはっきりと思い出す。 
今はそんな心配は少しもなく写真を撮ることができるのがどんなにありがたいことか。

     “絶対 忘れてはいけない”
     “さらに深く刻み付けなければいけない”

これから広がる未来の僕と家族、ジフン、ジュホ、ホンシをはじめとする人々に恥じないように。
一生懸命努力して いつか我々の友達とヒョン達がみんな結婚してアボジとアジョッシになったとき
みんな一緒に集まり 得意げにすてきな記念写真を撮ることができるように。
絶対忘れてはいけない。

僕とジフンの友情、そして我々の約束がこれからも変わりなく進むことを心から願いさらに願っている。 

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