【小林よしのり責任編集『わしズム』

《「金儲けだけが現実だ」と本気で思っているのか?
~首相の原発再稼動発言に見る精神の貧困》    上田紀行】


おいおい、いったい何を言っているんだ。本気なのか。発言を聞いて、愕然とした。


野田佳彦首相は10日の講演で、関西電力大飯原発3.4号機(福井県おおい町)を再稼動する意向を表明したことについて「精神論だけでやっていけるのかというと、やはり国民生活、経済への影響を考えて、万が一 ブラックアウト(停電)が起これば、大変な悪影響が出る」と述べ、夏場の電力が不足した場合の国民生活などへの影響を重視したことを強調した。(時事通信)


社会の運営が精神論だけではやっていけないということは当然だ。しかし、安全性の確認されていない原発を稼働することは危険であるという主張は、はたして「精神論」なのだろうか。それは、高度な現実論からの危険性の指摘ではないのか。

東日本大震災による地殻変動によって、地震大国日本はますます大地震のリスクが高まっている。そして大飯原発の敷地内を通る破砕帯と呼ばれる断層が活断層である可能性も指摘された。それに原発は耐えられるのかという疑問は当然だ。

《安全性を確認できない原発を信じることこそ「精神論」》

これまでの原発の「安全神話」が、意図的な情報の隠蔽によって作り上げられた虚構であることも福島原発事故を契機に、一気に明らかなものとなった。原子力安全保安院、原子力安全委員会、電力会社は一体となって、原発が絶対安全であるかのように見せかけてきた。そして、その隠蔽体質はあの未曾有の原発事故の後も続いている。

海外で全電源喪失の事例が起きたことを受けて平成3年に設置された安全委員会の作業部会で、電力会社側は「そこまで考えるのは行きすぎ」などと猛反発。作業部会は平成4年に、対策が不要な理由を文章で作成するよう電力業界側に指示し、東電が作成した文章をほぼ丸写しにした報告書をまとめ、安全指針の改定を見送っていた。この時指針を改定していたならば、福島原発の炉心溶融の大事故は起こっていなかったはずだ。しかし、安全委員会はその事実を原発事故後も隠蔽し続け、その事実が分かったのは今年の6月3日のことだ。さらに電力会社側は、その公開の際メモを黒塗りにすることを求めていた。

事故後もこうした対応を続ける原子力関係者に、原発の運営を任せていいのかという疑問は、まさに現実的なものだ。

しかし野田首相は、それを「精神論」だと言う。何の根拠もなく、「根性でがんばれ!」とか「信じなさい!」とか強要するのなら「精神論」だろう。だが、今回の原発再稼動への疑義のどこが「精神論」なのか。むしろ根拠のない再稼動を安全だと信じなさいという野田首相の方が「精神論」ではないのか。

大飯原発がどのように安全だと主張しているのか。野田首相による再稼動決定の演説から引用しよう。


福島を襲ったような地震・津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心溶融に至らないことが確認されています。
これまで一年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重に慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。


この演説で疑義が氷解し、「原発は安全なのだ」と確信する人はよっぽどのお人好しに違いない。「事故を防止できる対策と体制は整った」のか?新たに原子力の安全を担う「原子力規制委員会」の発足は早くて9月だと言われている。そしてそもそもあの福島原発事故が何によってもたらされたのかの原因調査すらまだ終わっていないのだ。

そしてこの後半の文章はまさに「日本型隠蔽体質」そのものだ。この文章をよく読んで欲しい。いったい誰が、慎重に慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認したのか?一見すると専門家たちが安全性を保証しているようだが、実際にそんなことはない。専門家たちの間でも原発の安全性に疑義を呈する意見が多く、議論はまったく分裂しているのだ。その分裂状況にもかかわらず、「安全性を確認した」というとなれば、野田首相の判断なのだろう(?)が、その責任主体は巧妙に隠されている。

《野田首相にどんな責任が取れるというのか》

誰の判断なのかがわからない文章。「私は安全性を確認しました」と書けば明確なはずだが、そこがぼかされている。「権威ある専門家たちが確認した」との含意を残したい、そして何かが起こったとき「部下の官僚たちが安全性を確認したとの報告を受けた」との含みを残したい。そして官僚や電力会社は、「首相の意に沿ったまでです」と言えるような。

そうした「主体無き暴走」こそが福島原発事故をもたらしたのではなかったか。「空気」だけがあって、主体のない社会。そして、その歴史へのまったくの反省の欠如がこの事態を生みだしているのだ。

野田首相は大飯原発再稼動の「最終責任者は私だ」と言っている。しかし、これだけの情報操作と隠蔽と恫喝の後に引き起こされた福島原発事故の責任を政府部内、電力会社の誰ひとり取っていない現状で、野田首相はいったいどのような責任を取ろうというのだろう。

思い出してみて欲しい。「原発安全神話」が金と権力によって作り上げられた中で、その神話に疑いをはさんだ、「現実論者」がどのような仕打ちを受けてきたのかを。しかし、お前たちの言うことは「絵空事」であり、現実には起こりえないと糾弾、抑圧されてきた人たちの言い続けてきたことが現実に起こったのだ。それにもかかわらず、またしても、「精神論ではやっていけない」と一国の首相が言う。いったい何を現実から学んだというのか。

そこには「金が儲かることだけが現実、それ以外は精神論」という、この数十年日本を支配してきた退落した論理しかない。しかしその「精神の貧しさ」こそが私たちの恥ずべき「現実」を生みだしてきたのではないか。

いいかげんに目を覚ませ。この国が本当の死に至る前に。



~2012年7月27日発売『わしズム』Vol.31より

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