♪世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
そのたび崩れちゃ
そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通りすぎていく 変わらない夢を流れに求めて…

中島みゆき『世情』の歌詞の一節である。
この歌はデモを見る世人の視線で書かれている。
この歌詞をして「難解」と称する者がいて、いろいろな「解釈」がある。
中島本人は、読む人によっていろいろな解釈があるから作者としての趣旨は言わない、と発言しているようなので、それを他人があれやこれやと解釈するのはそれこそ“野暮”。

ただ、この歌詞を前に、具体的な政治家を思い浮かべる。
田中角栄である。
この歌が作られた少し前、田中角栄はロッキード疑獄で世論の指弾を浴びた。
中島の母親は新潟の隣の山形出身で、この事件の少し前、みゆきは母の看病のため山形に滞在している。

田中角栄は、高等小学校しか卒業していない“庶民宰相”、いわば民主主義の申し子として人気を博した(実は専門学校も卒業しているのだが)。
しかし、首相に上り詰めたあとはご存知の通り。
立花隆という超差別主義者の一文によって疑獄に放り込まれたが、それが結果として米国国防省の陰謀の片棒を担ぐものであったことは、今ではほぼ常識化している。
しかし、中島がこの歌を作った当時、そんなことを言うものはいなかった。
たしかに中島には、本質を見抜く力がある。
デモは、いつも悪者を糾弾する。
しかし、その悪者は誰が作り出したか。
本質を喝破することなく、常に何者かを悪者にたとえて攻撃して溜飲を下げることに満足している限り、世の中は1ミリも変わらない。

Reply · Report Post