『今回の事故では放射線被曝による直接の死者は一人も出ていませんから今後「福一と同様な状況が発生」しても死者は出ないと考えるのが自然であり・・・』⇒それでは、原発事故で避難などする必要もないという議論になる。《誰か》には放射能による生命への毀損が在ることを前提しているから避難するのではないか?毀損とは《即死》を含めてもそれのみではない。本来生きただろう時間や得られた価値を失うことだ。だから生命の時間的長さを表す「永らえる」や「延びる」とした。

ダイオキシンを体内吸収したからと言って、すべてに障害が出るわけではない。何等影響のなかった者はそれで良かろう。ごく僅かな数でも影響や障害が出た者に対してどう考えるかだ。処理場でダイオキシンの排出を制限し、野焼きを禁止したのはそういう意味だ。

『30km 以遠に出てはならないなどと言った馬鹿げた命令を政府が出すはずがないです』⇒30kmと言う値は、今後は出ないだろう。しかし、これがSPEEDIを基に50kmや80kmという規制だったらどうか?
浪江町民は政府の想定値の3倍である30km地点で被爆した。政府の想定したEPZ:10kmが一つの基準となっていたことは確かだと想像する。「その3倍も離れれば安全だ」それが浪江避難民ら全てとは言わずとも心の隅に有ったのではないか?
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/12/post_2755.html

福一事故は東電作業員及び外部の力で何とか被害の拡大をねじ伏せた。もし、これが噂通り、初期対処に失敗し原発を放棄していたらどうか?最悪の事態は福島第一原発1号機から6号機まですべて放棄せざるを得ない状況だ。この状況を想定すれば、何十Kmまで避難すれば安全であるとは言えない筈だ。一桁繰り上がるのではないか。それこそ東日本全体が退避範囲に入るのではないか?そのためには事故が発生すると想像できた段階で「状況判断しながら、出来る限り遠方に避難する」が生き永らえる為の条件であると考える。

こんな想定をしなければならない原発は最悪の人工物である。

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