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voyager1977 · @voyager1977

11th May 2012 from Twitlonger

 蔵出しレポート。宇宙作家クラブ主催「『日本沈没』を語る」 ゲスト:小松左京、谷甲州、乙部順子 聞き手:松浦晋也、笹本祐一の各氏。2006年7月20日の新宿ロフトプラスワンでのトークライブの模様です。
 
 途中、「日本沈没」の小説版「日本沈没 第二部」及び2006年版映画のネタバレを含んでいます。
 
 始めにおことわり。録音ではなくメモを基に起こしたので、細部は異なります。意訳も含んでいます。聞き間違いもあります。小松さん、谷さんの発言はもちろん関西弁ですが、文字に起こせなかったので標準語になっています。会場の雰囲気は、最初から最後まで、終始笑いに包まれながら進行していました。
 
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 2006年7月20日19時~22時 新宿ロフトプラスワン
 宇宙作家クラブ主催「小松左京&谷甲州,『日本沈没』を語る」
 
 以下発言者は、ゲスト側として、小松左京、谷甲州、乙部順子(小松左京秘書)、聞き手として、松浦晋也、笹本祐一(敬称略させていただきました)として表記しています。
 
 はじめに、谷さんを紹介(場内拍手)
●笹本:原作(第1部)は読まれたんですか?
●谷:もちろん出版当時読みました。そして、また最近よく読み直す必要がありまして……。ま、当たり前やな。(場内笑) 原作を読み返すと、構成が緻密で地震の描写でも京都、東京…と被害規模がエスカレートしていく。これなら日本が沈んでもおかしくないと思わせるようになっている。
●笹本:東京駅八重洲口のヒビ、第2東海道新幹線工事不調、小島の消滅、あれ以上優れた書き方はちょっと思いつかない。
●谷:今回の「第二部」では、物語のスパンが3、40年と長いので畳み掛けでエスカレートさせる技法が使えなかった。苦労した。
 
 小松さんを紹介(場内万雷の拍手)
●小松:どうも小松です。今日新幹線で大阪から来ました。ロフトはたばこが吸えるのでいい(笑)。
●笹本:「第二部」は、いつ完成したんですか?
●谷:6月13日です。
●小松:私はおとつい読み終えました。(場内笑) 感動した。目が悪いので、本がなかなか読めない。うちの奥さんも読んで泣いていた。
(ここで、谷さんの顔には笑みが浮かんでいました。)
●谷:人の奥さん泣かしてしまった…(笑)。
 
●笹本:「日本沈没」執筆の経緯は?
●小松:私は終戦時14歳だった。あの戦争が1945年8月15日に終わらず、続いていたらということで書いたのが「地には平和を」という作品だ。あの戦争がなかったら、SFは書かなかった。
 NHKブックスというお粗末なノンフィクションシリーズがあった。その中の1冊として1964年に竹内均さんの本が出た。(2000万年前に沿海州から分かれて生まれた日本列島。大和堆の成立過程。) この前テポドンを撃ち込まれたから、沿海州から日本列島が逃げてきたわけじゃないんや(笑)。 日本という国は、これだけ地震や台風の天災が多いのに文明を築いてきた。これは世界的にも珍しい。
 1912年、ウェゲナーの大陸移動説。プレートテクトニクスの研究により一度忘れられた理論が復活した。ウェゲナーは、気象学者でヨーロッパの氷河期の跡を調べた。18世紀後半の小氷期の話。セーヌ川が23日間凍結した。小麦など物資はパリに入るが、水車が回らない。パンよこせ → フランス革命。飢饉を救ったのがじゃがいもで、Pomme de Terre = 地面のりんごだ。
 
 なぜ、あの時日本に原爆が2発落ちたのか。広島のはウラン235型で、長崎のはプルトニウム239型だった。昭和16年3月に「小学生毎日」で北村小松さんの「火」、ファイアーという連載読み物があった。(「火」のあらすじ説明) マッチ箱一つで富士山を吹き飛ばせると書いてある。そんなことあるかと思ったが、たった4年後にそれが日本に落とされた。
 昭和23年にジェノサイド禁止条約が結ばれた、原爆より後なんだ。昭和29年に第五福竜丸事件が起きた。
 
 中学生になると西暦を教わって、世界史を西暦で捉えるようになった。1903年にライト兄弟が飛行機を発明。1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を書いた。マイケルソン・モーレーの実験がうまく行かないことがアイデアの切っ掛けだった。E=MC^2というのちの原爆の原理が生まれた。 たった40年間で飛行機と相対性理論が原爆を搭載したB-29になった。それが日本に落とされた。
 
●乙部:皆さん、飛行機、相対論・原爆、SFという今の三題噺みたいなの理解できましたか?(笑) 小松さん、(1945年)8月7日や8日頃にすでにそういう発想はあったの?
●小松:その時はまだなかった。段々と出てきた。
●乙部:じゃあ、その三題噺がSFとなったのはいつ頃なの?
●小松:当初SFは、子供アニメの原作と言われていた。そう書いた新聞記事の切りぬきをまだ持ってる。
●乙部:「日本沈没」の根は深くて、少しずつ芽が出てきたというふうに感じた。
 
●笹本:小松作品は、「日本沈没」「首都消失」「さよならジュピター」どれも失われた代りに何かをつかみ取るということが描かれている。もしも、太平洋戦争が終わらずに続いていたら、小松先生はどう思いますか。
●小松:私は近眼だったから、兵隊の役に立たずに、真っ先にいなくなっていただろう。
(徴兵年齢切り下げの話。竹やり突撃の話。)
●小松:日本沈没には戦争体験の影響があるが、もし「第二部」を自分以外が書くとしたら、むしろ戦後生まれの戦後社会を知っている人に書いてもらった方がいいと思った。
●笹本:谷さんは、自分が「日本沈没」の続編を書くことになると思っていましたか。
●谷:まさか。ただ、SF作家というのはSFファンのなれの果てみたいなものですから、むかし堀晃と飲んだ時に「虚無回廊」の続きは俺が書くなんて話はしたことがあります。
●小松:9年間かかって書いた「日本沈没」と筒井康隆が1週間で書き上げた「日本以外全部沈没」に同時に星雲賞を贈っちゃうSFファンたちってぼく大好きなんだ(笑)。
(かんべむさしさんの「決戦日本シリーズ」の話。阪神・阪急統合の話。横田順爾さんの「日本チンボ×」の話。)
 
●笹本:「第二部」執筆の話に戻りまして、実際に書くときは谷さんひとりでお書きになったんですか?
●乙部:もちろんひとりです。(場内笑) 3年間の共同取材期間があって、執筆段階でも逐一ゲラは送られていました。
●谷:ええ、結局ひとりでやりまして…(笑)。 当初からの大きな設定には沿って書きました。「25年後、パプアニューギニア、寒冷化、渡老人など。」
●小松:「第二部」に渡老人の養女の娘が出てくるな。渡桜。映画(1973年版)では、「花枝、見せてくれるか」のシーンがよかった。
●乙部:「見せてくれるか」のシーンは、小説だけで映画にはないのよ。
●小松:(残念そうに) そうか。でも、私の(記憶の)中にはあるんだ。(場内爆笑)
●笹本:渡桜の父親は誰でしたか?
●谷:「第一部」にも出てきた人物で、吉村という渡老人に最後まで付いていた男です。吉村との関係は一回だけという設定です。花枝には父親の数だけ子供がいるという……。「第一部」の設定に忠実に書きました。(場内笑)
●小松:「日本以外全部沈没」に不渡老人というのが出てきて、「花枝、見てくれるか」と(笑)。
●谷:わー、これ聞いただけで今日来た甲斐があった。見たくないなあ(笑)。
●笹本:小松先生は、「日本沈没」を書いているときに、書いてはいけないこと(ブラックジョーク)をたくさん思いつかれたんじゃないですか(笑)。
●乙部:9年間という執筆期間中に、SF作家仲間の間では、「どこまで進んだよ」とか話をしたことはあったの?
●小松:そういうことはなかった。
 
●笹本:9年間待ち続けた光文社もすごいですよね。
●小松:上下2巻の本は売れないと。光文社は、1巻にしろといってきた。なんとか時間を稼いで。当時、光文社で労働争議があったが2つある派閥両方を応援していたのは私だけだった。
(第二部のためのオーストラリア取材の時期について乙部さんとやりとり。)
 
●小松:刊行後、オイルショックが起きて、紙が値上がりしたんで価格改定を2回やった。
●笹本:「日本沈没」は、古本屋で必ず上下刊2冊そろって売られている。上巻だけといったことがない。上巻、下巻ともに売れた。
●乙部:1973年3月に刊行されて、7月に映画クランクイン。同時にテレビ版も特撮パートの撮影に入った。映画公開は12月29日で、その年にはたった3日間しか興行しなかったのに、1973年の興業収入第1位になった。1974年も第1位だった。(場内拍手)
●笹本:映画(1973年版)をいま見ると、思い込みの激しい、出来のいい作品だったなと。 今回の映画(2006年版)を先生はご覧になってどうでしたか?
●小松:今回の映画で印象に残ったのは、東京の風景だ。ビルの数が30年前と全然違う。
 
●谷:「第二部」で新宿の高層ビル群が三つか四つ海面上に頭を出しているシーンを描こうとしたんですが、あの「第一部」の沈み方ではとても残っていないだろうと思って、やめました。
●笹本:垂直方向に2000メートルですもんね。でも、あの沈み方では2000メートルでも済まないと思いますが(笑)。
●谷:そう。2000メートルでは済まない。「第二部」で苦労したのは、そこ。ま、あまり深く考えんと書いてるないうのが分かります(笑)。
 
●笹本:「第二部」最後の宇宙植民のシーンにつながる「第三部」の執筆はどうなるんでしょうか。
●谷:「日本以外全部沈没」の続編書く方が早く出来るな(笑)。
●笹本:「果しなき流れの果てに」の冥王星の宇宙港の描写。あの当時からラストの構想があったということですよね。
(小松先生の桂米朝さんにまつわる馬鹿話ひとつ。冥王星、目押せいで、奥目になった)
 
●谷:冥王星の衛星カロン。「果しなき」の1967年当時にはまだ発見も、命名もされていなかったのに、なぜわかったのだろう。土星の未発見衛星の予言も的中。第二次市町村合併による町名変更の記述にはしびれた。ついこの前あったことを40年前に書いている。小松左京恐るべしです。
●乙部:関空も書かれているのよ。小松さん、もしかして、不思議な砂時計持ってない?
●小松:あれは古道具屋に売っちゃったよ。でも、店主に「いらん」て言われて。これじゃ時間がわからないと。(場内拍手)
●笹本:衛星の予言というと、スウィフトが「ガリバー旅行記」で火星の衛星2つを予言しているが、谷さんも「エリヌス-戒厳令」で衛星の?
●谷:はい、軌道は当てたが、サイズが違ってました。
 
●小松:最近の小惑星探査ではやぶさのイトカワ着陸には胸がはずんだな。 陸軍の戦闘機で隼というのがあった。あれを設計したのが糸川博士で。知ってますか。(加藤隼戦闘機隊の歌)
●松浦:もちろん知ってますが、ここで小松先生に歌ってもらえるとは思いませんでした!(笑)
 
●笹本:オーストラリアで先生を案内したのが中野不二男だったんですよ。梅棹忠夫さんの紹介で。
●小松:そうか。覚えてないな。
●笹本:D計画の「D」とは何の略なんですか? Disaster?
●小松:なんだったかな。Diaspolaかな。
●谷:誰やこの名前つけたの(笑)。
●笹本:たぶん田所博士。ああいうキャラクターって、ひとつ前だと芹沢博士(ゴジラ第一作)だったよね。「第一部」の小説では小松先生そのものに見えるけど。田所博士は「第一部」でやはり亡くなっていて、「第二部」出てこないんですね。
●谷:はい。「何も出さんほうがええ。」と思いました(笑)。
●笹本:阿部玲子はなぜ国連難民高等弁務官事務所の職員に?
●谷:「第一部」にあった「ジュネーブ」からのつながりです。
●小松:天皇制はどうなったのかな?
●谷:(深く頭を下げて)忘れとりましたー。
 
●小松:パプアニューギニアには行ったことあるの?
●谷:ないです。協力隊で行ったのは、ネパール、フィリピン。ただ、1970年代後半にニューギニアで活動した協力隊第一期の隊員達の手記をまとめた経験があったので、行ったことないのに、行った気になれたという。
 
●笹本:「第二部」は、どれくらいの分量なんでしょうか。
●谷:1124枚です。筆の進みは、いつもの2分の1から3分の1のペースでした。 5月13日に脱稿して、6月13日にゲラが上がって、7月8日に出版された。
 
●乙部:「第二部」製作物語は、すごくドラマチックです。本来は、昨年12月に完成しているはずでした。
●谷:執筆開始は2004年12月からでした。
 
●笹本:小野寺が小野田になっていたというのは?
●小松:結婚した摩耶子が間違えて覚えていたんだ。小野寺は記憶喪失で。名前が変わっていたから、阿部玲子も探せなかった。引き揚げて来た小野田寛郎さんにもかぶるな。
●笹本:小野田さんの帰国は「第一部」刊行より後でした。
●小松:小野寺という名前は、東北の文化人の名前で有るんだ。
●笹本:田所博士の出身が和歌山というのも、南方熊楠など例が挙げられていて実にうまい。小説技法として、「ははー」とひれ伏してしまう。
●笹本:渡老人が清朝の僧侶の末裔だったというのは? どういう意味が。
●小松:明治期末に中国から亡命してきた人、日本にやってきた人達が結構いたんだ。魯迅、孫文とか。
●松浦:神田に中国人街が築かれた。中華料理の新世界菜館はその頃の創業。
 
●小松:ネパールでは何をしていたの?
●谷:測量士です。灌漑整備のために。
●小松:ODAで?
●谷:いえ、ネパール政府主導のプロジェクトです。
●小松:言葉は?
●谷:ネパールでは現地の言葉で。フィリピンでは英語でした。
●小松:色々苦労したんだろうな。「第二部」では、ニューギニアの描写を読んでいて猛烈に引きこまれた。
●谷:海外へは26歳で行って、帰る時は30歳になっていました。
●小松:嫁さんは?
●谷:現地で結婚しました。
●小松:現地調達か?
●谷:いえ日本人です(笑)。
●谷:海外協力隊員になった理由は、日本で食い詰めたからで(笑)。建設会社で技術屋やってたんですが、面白くなくてやめました。1978年2月から協力隊に。「第二部」の話が来た時は、来たーと思いました。それで、よく考えたら、これ俺しかやれんて。(場内拍手)
 
●乙部:依頼の切っ掛けは、(??年)3月のパーティーで目が合ったのよ。
●谷:「小松左京マガジン」売りつけられた時ですか(笑)。
●乙部:そのとき、「なんでもやります」って言ったのよ。
●笹本:「マガジン」売りつけて、「第二部」も書かせた、と(笑)。
 
ここで一旦休憩はいる。休憩後、会場からの質問を受けつけました。
 
●Q1:「首都消失」でVENUS実験(筑波高エネルギー研究所)の記述があって、非常によく理解されてるなと。実際に学んでいる院生なんかよりずっとよく理解されているので、驚いた。やはり取材によるんでしょうか。
●小松:もう忘れちゃいました(笑)。筑波にいたんですか。
●Q1:はい。楽しみにしていた映画「首都消失」は、見に行って落胆しました。
 
 
●小松:(筒井さん、星さんと東海村に見学に行って「原子を見せてください」と言った話)
●小松:映画「さよならジュピター」では、トリスタンで撮影した。
●Q1:あの時、その場にいたんですよ。
 
●Q2:1960年代後半の科学雑誌を見ると、地震予知が近い将来実現すると書いてある。「日本沈没」もそういった前提で書かれたんでしょうか?
●小松:阪神大震災の前にも地電流異常があった。前兆現象を捉えて予知するのは将来は可能になると思う。
●松浦:具体的な予知というのは、今はまだできない。プレート境界型の地震についてはわかってきた。5、10年で危険地域は予測できるようになるかもしれない。今の地震対策は、P波とS波の速度差を利用して警報を発するといった方に行っている。
 
●Q3:谷先生に質問、「第二部」の執筆はどれくらいかかったか?
●谷:「第二部」の実質的な執筆期間は、1年3ヶ月です。途中開き直ってヘイヘイと(笑)。
 
●小松:一色さんのコミック版、単行本になってまとめて読み返すと良くなって来た。
 
●Q4:「日本沈没」という作品は、日本の国土消滅 → 権力者の逃げた後 → 政治権力の欠落 を当然描くことになると思ったのだが、実際は政府が強いリーダーシップを発揮する様子が描かれている。1973年版の映画では「宮城の門を開けてくれ」というシーンがあったが、原作にはない。宮城(≒まだ天皇が踏ん張っている)という発想に対する違和感。
●小松:宮城のシーンは映画オリジナルです。宮城が震災に耐えたのは調べて知っていた。江戸城というのは大変なものですね。
●Q4:1980年代生まれなので、「日本沈没」に描かれたような政治家像がピンと来なかった。 被害の描写が東京とか大阪とか都市部に集中している。そこで気づいたのは、ああこれは、空襲・本土決戦を地震にしたすり替え話だということです。
●松浦:まず、ロッキード事件が起きて政治不信が広がるのは、「第一部」刊行後です。 1970年代前半の政治家というのは、1900年~1910年の生まれで、大日本帝国下で教育を受け育った世代です。宮城への敬意の念は持っていたでしょう。
(小松:年の始めの大地震♪。濃尾地震の話。)
●小松:一億玉砕という言葉を誰が言い始めたかは実はわかっていない。当時の軍司令部か、特高か。
●笹本:新聞かもしれませんね。
●松浦:1億というのは朝鮮、樺太、台湾を合わせて1億なんです。植民地を失うと、日本の人口はたちまち7千万人になりました。
 
●小松:田中光二が「谷甲州に『第二部』を書かせろ」と言ったこともあった。
●小松:田中は、「さよならジュピター」で脚本共同執筆者に名を連ねている。あれで原稿料もらってる。
●乙部:それをイオ(小松左京事務所)に出資させた(笑)。うまい仕掛け。小松さんが出資させようって言ったのよ。
 
●小松:映画「2006年版」は、やっぱりCGがよくなっていた。演出上も女大臣に感激した。一昔前の映画では、考えられない役どころだ。石坂浩二は、えらく影が薄かったな。「昔は」大俳優だったが。(場内笑)
●谷:「2006年版」、今日観て来ましたが、悪い評判を聞いていたが意外と良かった。映像もきれいだった。
●小松:草薙は最後は影が薄かったな。でも大丈夫、実は生きてたってことにして続編につなげて…(笑)。
●谷:人に丸投げせんとー!(笑)
●笹本:小野寺が隆起した地面に乗っかって浮かび上がってきて救助される(笑)。
●谷:一万年後に東京消防庁があるか(笑)。
●小松:ツバメの帰ってくるシーンはよかった。残念だったのは、富士山。あそこまでやるなら、爆発させて欲しかった。でも、ぼくと同世代で「あの結末でほっとした」という人もいる。
●笹本:何度も出てきた衛星軌道上から見た日本列島の様子を見ると、あれじゃあ人は住めそうにないし。脱出した人たちも戻って来れそうにない(笑)。
(小:CGでMoving Dragon。) ※←この辺の話し聞き漏らしました
 
●笹本:「第一部」の3Dゲルブロックの表示装置。後半に出てくる大型版のものは、CGのことを言っているとしか思えない。
 
●Q5:「果しなき」のアニメ化企画があると聞いたのですが。
●笹本:関係者に絶対脚本やらせてほしいと言ったことがある。
●乙部:角川春樹さんが塀の中に入る前、富野監督で作る話があった。
●小松:角川春樹といえば、「復活の日」をよく映画化してくれた。南極ロケも行って、チリ海軍の潜水艦も使った。
(「南極を領有宣言しているチリでは、天気予報に南極地方が含まれています」というチリ在住経験者の観客からの発言)
(海外公開版の話。VIRUS、Tidal Wave。外国人俳優の話。ウェッブ総裁役の役者のゴシップ。)
 
 ここで、小学館の「第二部」担当編集者氏登場。
 「第二部」は、初版3万部で発売3日後に7万部増刷をかけた。「第一部」は、上下巻ともに12万部ずつ刷っている。映画「2006年版」の出だしも好調。3日間で動員数が70万人。「世界の中心で愛を叫ぶ」を上回る出だし。興行収入70億円は見込める。
 
 ここで、樋口真嗣監督登場。相当酔っ払っている様子。
 壇上で谷さんと握手。初対面とのこと。会場を見まわして、「同じ顔が並んでいるなあ。コピペみたいだ」。
●樋口:さて、欠席裁判はもう終わったの?(笑)
●笹本:これからですよ(笑)。
●笹本:「1973年版」は、どれくらい意識したのか? 敢えて違うことをしていると思った。
●樋口:自分ほど「1973年版」をよく見ている人間はいない。「日本沈没」の知識を問うクイズで映画関係者の中で、岩井俊二を破って優勝したくらい。気づかなかっただろうが、乱泥流中の塩分濃度や沈むまでの日数は、「1973年版」と全く同じだ。確かに「2006年版」は原作通りではない。原作通りの映画を見たい人は「1973年版」を見ればいい。
●笹本:そういうことじゃなくて……。N2爆薬というのは?
 
※「オフレコで」と言うことなので、樋口監督の発言は省略します。一言でいうと、「映画製作には制約があった」ということでした。
 
●笹本:プレート爆破のアイデアというのは、「ガッチャマン」最終回のブラックホール作戦から?
●樋口:えー、これがタツノコプロの集まりなら「もちろんブラックホール作戦からです!」というところですが、実はそれ知らない(笑)。今日の集まりなら、「さよならジュピター」からと言いますよ。(場内拍手)
 
●樋口:乙部さん、「エスパイ」の映画化の話は来てますか?
●乙部:実写化の話はいくつか来ています。でも、樋口さんがどうしてもというのなら、樋口さんを指名して、それ以外の人にはやらせないようにしますよ。
●樋口:今なら色々なことができると思うんですよ。「日本沈没」を作って、自分の中からまじめなものが無くなった。今回の映画ではエッチな期待にこたえられなかった。
●小松:今度のエスパイは、小泉首相に出演してもらおう。I'm Sorryだな。外国の有名俳優も出したい。
 
●樋口:武道館の試写会場でやりたかったこと。上演後、「私が今ここにいるのは小松先生のお陰ですっ!」と言うと、小松先生にピンスポがカンと当って、先生が心臓麻痺を起こして倒れる。私がそのまま抱き上げて走ってゆくという。でも、ピンスポが当らなかったんで失敗しました(笑)。
●樋口:先日新幹線の車内販売で日経新聞を買って読んだら、「私の履歴書」で自分の名前が登場して驚いた。小松先生が自分の名前を書いてくれたという光栄。
 
●小松:「2006年版」だけど、早くDVDにしてくれ。1973年から変わった東京の街並みを見て欲しい。しかし、富士山が爆発しなかったのは残念だったな。
●樋口:だって富士山が爆発しちゃったら大変ですよお(笑)。
 
●小松:「1973年版」は、あのギャング俳優が出ていたんだったな。首相で。
●樋口:もしかして丹波さんのことですか(笑)。
(事情により省略します)
「※※※へ」という台詞も撮影現場でドサクサにまぎれてやっと入れ込んだ次第です。
 
●小松:大地真央の大臣はよかった。
●樋口:今度「エスパイ」を作るときは、さすがに由美かおるさんはマリアやれないですね。
●小松:「水戸黄門」でももう行水しないらしいな(笑)。
●樋口:オープニングで出しましょう。行水シーンから。先生も納得でしょう(笑)。
 
●松浦:「第二部」の執筆方法なら、「虚無回廊」も書き上げられるのではないか。
 
●乙部:それも考えています。
●笹本:(客席の)小川一水さん、どうですか。(場内拍手)
●小川:自分が書くのは、まだ20年早いと思います。
 
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 19時過ぎに始まったイベントは、22時に差し掛かって終了しました。
 
 以下、2006年当時の感想。
 まずは、小松先生が壇上に上られる際、私の6年前の記憶よりも更に足が弱っている様子だったこと。開演後5分ほどは小松先生が一言もしゃべられなかったことで、不安に感じました。が、しかし、いったんしゃべり出すと止まらない。怒濤の小松節が健在で安心しました。
 
 ウェゲナーが本来は気象学者だったということ。ウェゲナーの 気象学→大陸移動説という連想と小松先生の 「第一部」プレートテクトニクス→「第二部」地球寒冷化 という流れが対になっていることに気づきました。
 
 乙部さんが、「第一部」執筆時にSF作家仲間とのやりとりはあったのかと訊かれていたのは、星新一さんとの関わりをお尋ねになっていたのかと思いますが、私も星さんがどの程度関わっていたのか気になります。細かな人物描写の磨き上げに寄与している可能性があるのではないか。
 
 松浦さんが指摘していた1945年当時の本土人口7000万人。そう、「第一部」での脱出人口と奇しくも同じなんですよね。実は、数だけで言えば1945年当時の日本人をそのまま世界に放り出した作品とも言えるかもしれない……。
 
Q4の質問をした青年、すごい(^^;)。いやー、あんなこと訊きたいけど訊けません(笑)。10年前、朝日ホールで「第二部 日本漂流はどうなっていますか?」と聞いた頃の自分を思い出しました。
 
 谷甲州さんは、初めてお姿を拝見しましたが感じのいい方に見えました。
 
 小松先生が繰り返し言われていた「2006年版」で描かれた東京のビルの増え具合を見て欲しいということ。私なりに解釈すると、『何だかんだ言って1973年から数えても30年余りに渡って続けてきた繁栄。その恩恵を噛み締めよう。その意義を考えよう。』ということじゃないかと思いました。
 
 乙部さんと小松先生の「砂時計」の掛け合い、最高でした。本当に、生きててよかったと感じました。あれを聞けただけでロフトにいった甲斐がありました。あの時、会場がひとつになりました。
 
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 以下、2009年現在の私の感想。
 んー、あまり踏み込んだことは書けないのですが、
 
 小松さん、「天皇制はどうなった」という問いはさり気ないけど、せめてこれだけは落としてくれるなという気持ちだったのでしょうか。もう一つは、「富士山」の重要性。
 
 樋口監督、3年経ってみると初めから負けが決まっているような条件のもとで苦しまれたのかなと苦渋の気持ちを少し読み取れるようになりました。
 
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 2012年現在の感想。
 東日本大震災があり、小松先生が亡くなったいま読み返すと、なんだか信じられないくらいのどかで楽しいトークショーでした。小松先生からは「はやぶさ」の話なんかもあって。
感想としては、特に付け加えることはありません。
 
 この記事をお読みになって、「日本沈没」に興味を持たれた方は、まず1973年版の映画をご覧になることをお勧めします。さらに興味が湧いた方は、ぜひ小説版へと進まれてみてください^^。

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