この間、列車内のSOSボタンを押したら直ちに列車が停止してしまうシステムはおかしいのではないかというツイートをしたところ、何件か「鉄道に携わる者と思えない」

「安全第一の原則を無視している」などの批判ツイートが届いた。
では、SOSを押したら直ちに停止させるべきなのだろうか?
「安全第一だ、当然直ちに停車すべきだ」という方は、残念ながら安全に対する検討が不十分で、むしろ危険な方向に向かっているといえる。
例えば列車に乗っていたら床下から火の手が上がったと、乗客がSOSボタンを押したらどうなるだろうか?
それがもし長大トンネル通過中だったらどうなるだろう?
鉄道に詳しい方なら、1972年11月に発生した北陸トンネル火災事故は忘れることの出来ない事故だ。
これは13km超の北陸トンネルを通過中の急行きたぐにの食堂車から火災が発生、当時の運行マニュアルでは列車火災時には「直ちに停車」という規定になっていたため、

車掌と運転士はこの規定に基づきトンネルのど真ん中で列車を停止させてしまった。
その結果、トンネル内設備が焼け落ち架線と接触、ショートし送電が停止、真っ暗闇のトンネル内でもはや消火作業も不可能となったうえ、徒歩でトンネルから脱出するには

あまりに距離がありすぎ、30名の乗客が死亡、700人以上の乗客が負傷する大惨事となった。
その後、当時の国鉄は北海道の狩勝実験線で実際に列車に火を放ち燃焼試験を行うなどした結果、トンネル内火災では列車を停車させるより、燃えたまま走り抜けた方が安全

という結論となり、昨今の運行マニュアルではトンネル内での火災発生時は「停車せず走り抜ける」となっている。
(ただし、例外として青函トンネルでは走り抜けるには距離が長さぎるため、消火設備がある定点まで走り、消化すると規定されている)
以上を踏まえて、「SOSボタンが押されたら直ちに停車」という運用は正しい運用だといえるだろうか?
鉄道の安全に詳しい者であればあるほど、「直ちに停止」という運用に疑問を感じるのは当然のことといえる。
都内でも中央線の四ツ谷付近にトンネルはあるし、当然地下鉄の大多数はトンネル内である。
東海道本線の熱海駅~函南駅間の「丹那トンネル」も全長7.8kmもある長大トンネルだ。
そんなトンネルのど真ん中で列車が停車しようものなら、北陸トンネル事故の再来だ。
最近もJR北海道石勝線で、脱線により火災発生した列車が意図せず第1ニニウトンネル内で走行不能に陥り、結果として多数負傷者を出している。
そういったことが最近も起きているのだから、SOSボタンが押されたら直ちに停止という運用に疑問を感じるのは至極自然なことと感じる。
「鉄道に携わる者と思えない」「安全第一の原則を無視している」と批判される方は、全長7.8kmの「丹那トンネル」通過中に列車火災だと誰かがSOSボタンを押して

列車がトンネル内のど真ん中で停車したら一体どうなるのか考えたことはあるのだろうか?
おそらく何も考えていないだろう。
物事には様々な多面的要素がある。
簡単に言うとメリットデメリットだ。
そういったことを十分に検討し、何をする事が適切かという結論を導き出すべきだろう。
しかし今回の件に限らないがこういった批判はとかく十分な検討がなされていない。
「安全第一」「安全第一」という意識はあっても、何をどうすることが安全なのかは全く考えていない。
それは結果として、より一層危険な方向に向かうだけなのだ。

さて、前々から指摘している「ローカル線の活性化」とこの話をつなげてみたい。
ローカル線はとかく「活性化」「おもてなし」と言うが、具体的に何をどうすることが「活性化」「おもてなし」なのか全く考えていないという特徴がある。
ある市議会で、市も補助金を出しているとあるローカル線について市議会議員から「一体どんな活性化活動をしているのか」とという質問が出たが、市はこれに対して「ブロ

グで情報発信」と答えている。
一見、答えになっているように見えるが、私は答えになっていないと感じる。
ブログで情報発信することはけっこうだが、ではそのブログにどうやって人が訪れ読んでくれるのだろうか?
いくらブログを毎日更新しても、肝心の読んでくれる人がいなければ、まったく無駄なことをし続けているだけなのだ。
たわいない日記程度の感覚でブログを書くというのならまだいいが、情報発信アイテムとしてブログを活用するというのなら、ブログで情報発信すると同時に、どうやってそ

のブログに来てくれるのか、強いてはそのブログを見た人がいかにして乗りに着てくれるのかというフォローチャートを描けなければ何の意味も無い。
こうやって何も考えずに「活性化」「おもてなし」と言っている為、思い付きで「ようこそ」なんて横断幕を掲げたり、乗客に手を振るんだとかやってみても、駅を降りたお

客様は、どこからバスに乗るのか、観光地までどのバスに乗ればいいのか、ちんぷんかんぷんという状況が生じるのだ。
走行しているうちに数時間に一本しかないバスが発車してしまって、途方にくれてしまう。
これがローカル線でよくやるダメな「おもてなし」のパターンである。
つまり、頭の中で「活性化」「おもてなし」と思っていても、具体的に何をどうすればいいのかまるで考えていない結末なのだ。

「安全第一」もこれと同じパターンである。
「安全第一」という意識はあっても何をどうすることが最適なのか、そういったことを全く考えないで「安全第一」を唱える結果、結果的に大惨事を招くようなことを「安全

第一」に掲げてしまう状態なのだ。
安全を第一に考えるべきだと思ったからこそ、「SOS押したら直ちに停車って運用でいいのか?」と疑問が生じた次第だ。







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