掛算の文章題で乗数と被乗数の順序にこだわって立式を採点する指導法は、掛算の交換法則は計算の過程、つまり形式の世界でのみ使い、「ことばの式」、つまり意味の世界では成り立たないという前提に立っています。いいかえれば、立式の順序が異なると、式が表す意味が異なるということです。式の表す意味が設問から期待される答えと齟齬する場合、また現実世界の常識と矛盾する場合、その立式を誤り判断します。以下の文章で、この 前提が不合理な帰結をもたらし、その不合理を解消する手段がないので、前提そのものを破棄することこそが合理的であることを示します。

掛算の乗数と被乗数の順序が問題になるのは、例えば以下のような文章題です。「タコには1匹あたり8本の足がある。2匹のタコがいるとき、足の合計は何本か」。算数教育業界の見解ではこの問題に答える唯一の正しい立式は8×2です。2×8を不正解とする理由として、算数教育業界はこの立式を批判して「2本足のタコが8匹いる情況を表現している」または「この立式はタコの匹数を求めている」と主張します。タコが2本足ではな いことや文章題の求める答えが足の本数であることから、この二つの意味は、現実や設問を正しく理解していないとして、誤ったものとされます。これら誤った意味は、どの数を被乗数と考え、どの数をタコの匹数と考えるかで元の文章題と異なります。

例に挙げた文章題で、2や8を変数とみなし、変数に<被乗数または乗数>の区別1、<タコの数または足の数>の区別2を割り振ります。二つの変数が同じ区別で同じ特性を持つことはできません。すると上に見た2つを含む4パターンの設問ができます。

a. 8が被乗数。足が8本、タコが2匹で、足の合計数を求める。
b. 2が被乗数。タコが8匹、足が2本で、足の合計数を求める。
c. 2が被乗数。足が8本、タコが2匹で、タコの合計数を求める。
d. 8が被乗数。タコが8匹、足が2本で、タコの合計数を求める。

より文章題らしく言い換えると次のようになります。
a1. タコが2匹いて、それぞれ足が8本ずつある。足の合計は?
b2. タコが8匹いて、それぞれ足が2本ずつある。足の合計は?
c3. 足が8本あって、それぞれにタコが2匹ずついる。タコの合計は?
d4. 足が2本あって、それぞれにタコが8匹ずついる。タコの合計は?

被乗数を先に書くという算数教育業界の慣習で立式すると、つぎの2通りができます。
S. 8 × 2 aとdに対応。
T. 2 × 8 bとcに対応。

立式Tがbとcに対応しているという主張(サンドイッチ論法参照。http://bit.ly/ulrvpk )が、設問aが与えられたときSだけを正しい立式にする根拠だった訳ですが、Sは実はaと一対一ではないのです。答えの欄に書く単位・助数詞で意味を一つにしぼることは、できません。サンドイッチ論法では、2 × 8に「答え:16本」という単位の表記があっても、それは間違いだ、16匹とタコの合計を求めていると論難するからです。同じように8 × 2という立式の意味を一つに定める方法は今のところありません。

同じ矛盾は、被乗数後書の形式でも発生するので、最初の仮定、つまり交換法則を形式の世界に限ったことがそもそも不合理だったのだと分かります。理論的には、a-dをSとTとに一対一に結ぶ方法があればこの仮定を維持することができますが、立式Tさえ一意に解釈できないまま掛順を何十年と強制してきたので、いまさら子どもたちを納得させる方法を開発できると期待することは非現実的です。

自然言語の研究では、形式が違えば意味も違うのではないかと仮定することは極めて合理的な研究の手順です。しかし、掛算では意味と形式の対応は無前提に存在するのではなく、合意の上に成り立つ取り決めにすぎません。だから教えることが難しく、不合理な結果を帰結するような方法で意味と形式を結ぶのは、およそ支持を取り付けることの不可能な取り決めとして当然避けるべきことなのです。

最後に短く、意味の世界でも交換法則を認めることに不都合はないことを示します。タコの足を求める文章題でつかった二つの変数をmとnで表します。mはタコの数の集合Mの任意の要素、nは足の数の集合Nの任意の要素を表します。さて、集合MとNは有理数の集合ℚの部分集合と考えます。M, N ⊆ ℚなら、m, n ∈ ℚなので、変数mとnの間の掛算は交換法則が通用します。ある変数が何を表すのか決めればほぼ自動的にその変数がどんな数なのか(整数なのか、有理数なのか、行列なのか、四元数なのか)が分かります。ここでは小学校で習う範囲、つまり有理数で考えました。

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