voyager1977 · @voyager1977
29th Mar 2012 from Twitlonger
岩井俊二さんとの対談に引き続き、同日開催された河瀬直美さんとの対談です。
2011年9月23日 東京国立美術館フィルムセンター
【河瀬直美「太陽を盗んだ男」を見て長谷川和彦に聞く!】
「太陽を盗んだ男」予告編
http://www.youtube.com/v/vbI1rPRlARM
「太陽を盗んだ男」の上映を受け、長谷川、河瀬の両氏が登場。
●河瀬
今日は、異色の顔合わせということで(笑)、よろしくお願いします。
■長谷川
今日は、河瀬直美に会うのを怖がって来た。何て呼んだらいいんだろうな。女性だから初対面で河瀬はまずいだろ。
●河瀬
直美でどうですか。
■長谷川
じゃあ、それで。俺のことはゴジでいいから。
直美は、俺の息子と1歳違いだから。
●河瀬
万博の年ですか? 1970年。
「太陽を盗んだ男」は、全てを作り上げることに成功した作品だと思いました。ゴジは、すごく頭がいいですよね。構成がうまくいっている。
■長谷川
なんと答えればいいんだ(笑)。「頭がいいですよね」と言われて、うんそうだと答える人間もいないだろ。人生の構成はうまくいってないけどな(笑)。
●河瀬
今の映画で、こういう風に成功してる映画ってあるのかなと思いました。
■長谷川
直美は「太陽」はいつ見たの? 今度の対談が決まってから?
●河瀬
そうです。
■長谷川
正直な子だねえ(笑)。
●河瀬
原爆の作り方とか、かなり調べてありますよね。スタッフの方が調べたんですか。
■長谷川
そこは大事な部分だからな。そこがいい加減になってしまうと、映画全体がだめになってしまう。原爆については、スタッフに調べさせた。
スタッフは体育会だから。相米(慎二)でも、俺の目の前では「はい」と言う。
でも、相米が撮って来れなかった絵もあった。沢田研二の住むアパートの屋上でアリを撮ったが、アリがいい芝居をしない。何百フィートも回して使える一秒がなかった。
猫がプルトニウムを食べるシーンの芝居は大変だった。最終的にはマタタビを使った。猫屋は、「(殺しても代わりは)何匹もいますから」と言うが、殺すのは嫌だった。相米が何百フィートも回して撮った。スローモーションだから、ハイスピード撮影。
カーアクションのこと。皇居も首都高も撮影許可申請したが、当然下りなかった。でも、それで止めたら映画は成立しない。
皇居のシーンは、7台のキャメラで追った。使ったバスがオンボロでスピードが出なかった。皇宮警察の警官には、「団体さんの駐車場はあっちですよー」なんて言われてしまって。仕方がないからコマ抜きをして、バスがスピードを出しているように見せた。撮影の時、俺が現場にいなかった。もしいたら、もう一回やらせただろう。そしたら、パクられるやつも出ただろうが。
●河瀬
色んな綱渡り。その原動力はなんですか?
■長谷川
許可が出ないことを違法でやるのは楽しいじゃないか。ガキが柿食うのとか。その映画現場バージョンだな。本質的に悪いと思ってない。本当に悪いことというのは、死んだ猫を撮るために猫を殺すことだ。
首都高でのシーンは、のろのろ走るクルマで流れを止めて、その前何キロかを空けて撮った。製作担当は、延べ2、30名パクられている。
●河瀬
その勇気というのは。
■長谷川
勇気じゃないよ。柿食うのは勇気じゃないだろ。やんちゃというか。
映画作るやつがそういうもの。
高校時代の話。
高校のジャズバンドでテナーサックスを吹いていた。高3の夏休み、自分がサックスの天才だと思っていたユナミくんに「お前は芸大にでも行くんだろ?」と訊いたら、「俺らのレベルでプロになれるわけがない」と言われてショックを受けた。それで、音楽の道は絶たれた。
ニイミくんという友達がいた。家に行くと、東映の助監督をやっているお兄さんが夏休みで帰省していた。そこで見せてもらったのが、(高倉)健さんと握り飯を持って写っているニイミくんのお兄さんの写真だった。昭和38年当時、広島の高校生にとって、映画は見るもので、作るものだとは思っていなかった。考えてみれば、映画の中には、音楽も全てがある。
ニイミくんのお兄さんに手紙を書いた。「お兄さんのようになるにはどうしたらいいですか?」 回答は、「まずは大学へ行くこと、そして映画会社に入ること、…年(※聞き取れず)もすると撮らせてもらえる」とのことだった。お兄さんは東大の文学部卒だった。だから、自分も東大志望にした。周りからは無理だと言われた。
●河瀬
でも、行かれたんですよね。
■長谷川
一夜漬けが効いたんだろう。自分たちの年代は、団塊の世代の直前で競争が緩かった。
というわけで、ベースには音楽もあったけど、ミーハーな発想から映画へ向かった。
自分は胎内被曝児で長生きしないと思っていた。だから、40になったときすごく困った。
サラリーマンになりたい、というのはないだろう。俺が高3のとき、ケネディが暗殺された。政治家になっても、45まで生きないだろうし。映画は幸い若くても撮らせてもらえる。
上京して、映画監督になった後の話。
「太陽を盗んだ男」の出演交渉で、文太さんに話を持っていった。それ以前から、文太さんとは、時々ゴールデン街で飲んでいた。文太さんは、乗ってくれた。「面白いじゃないか、やろうよ」
しかも、文太さんの方から「主役にはジュリーなんかどうなの?」と言ってくれた。そして、ジュリーとの出演交渉。ジュリー曰く「ダイナマイトじゃつまらないけど、原爆なら面白い」とのこと。その場で、スケジュールをマネージャーに確認すると「この先1年半埋まっています」と。1年待って、3ヶ月丸々スケジュールを空けさせて、撮った。
●河瀬
役者さんをその気にさせる秘訣は何なんでしょうか。
■長谷川
そんな難しく考えたことはないけど。好きな人を好きになりながら撮る。演技力とか考えたことはない。
「キューポラのある町」の浦山桐郎監督は、「ゴジ、同じ花を撮るのでも、『よーいアクション!』と声を掛けた方がいい花が撮れる」と言っていた。
「青春の殺人者」で、水谷豊が浜辺で家族との思い出を回想するシーンの撮影。豊が勝手に泣き出した。まだテストなのに。慌ててそのまま本番にした。あとで訊いたら、「自分の両親を思って泣きました」と。人間は、そういうもの。
鈴木清順監督の「夢二」に役者として出たときの話。人殺しの鬼松役。休憩の時、清順さんと話した、「こういう時、鬼松ならどう思うんでしょうね」。清順監督曰く、「長谷川さん、気持ちなんか(フィルムに)写りませんから。カタチだけやってください」。ああ、清順さんだなあと。ニヒリスト、ドライな感覚。俺は、真逆のウェット。
●河瀬
原爆を作る思いについて、沢田さんには何か話しましたか?
■長谷川
その頃のジュリーは、本当に大スターだった。
●河瀬
「ときおっ」とか?
■長谷川
「TOKIO」は、この少しあと。
ジュリーは、実際に会ってみると硬派。泣けといっても泣かない。文太の死体を見ても泣かない。まぶたの下にはたまってるから、あと少しで出るところなんだけど。
基本的には理解力がある役者。
●河瀬
女優さんはどうですか。
■長谷川
女は違う生物だと思っている。ベースにあるのは嫉妬。誰もが死ぬとき、「おかあちゃーん」と言って死ぬだろ。お父ちゃんと言って死ぬやつはいない。
あなたの映画はいいなあ。奈良しょってて、いいなあ。いっぱい有って。
ゼロ役の池上季美子はどうだった? 人間としてリアリティはあったか?
この質問はちょっとずるいな。
●河瀬
んー…。(困ったような表情)
理想の女性はどういう方ですか?
■長谷川
自分がどういう女性を好きなのか、この歳でもまだわかってない。
「青春の殺人者」の原田美枝子。
強い女の子が好きみたいだ。小さい頃の「泣き虫のかずちゃん」と呼ばれていた頃の記憶が、自分の中にはまだ残っているから。
●河瀬
「泣き虫のかーずちゃんっ♪」こんな感じですか(笑)。
■長谷川
お前上手だな(笑)。その後、「たこのはっちゃん」と呼ばれたりして、大学で「ゴジ」と呼ばれた。フットボールで付いたあだ名。原爆(水爆実験から生まれたゴジラ)は関係ない。長髪で、ギョロ目だからゴジラ。
和彦という名前は、弱そうで嫌だった。ガキが生まれても、パパと呼ばれるのは嫌で。結局ゴジと呼ばれるようになった。
●河瀬
性描写について、女としては違和感があるところもあります。
■長谷川
俺は苦手だから。「青春の殺人者」でも、「ブチュッとやれ」と言って撮っていた。
●河瀬
でも、もてたでしょ?
■長谷川
お前、話し飛ばすなよ(笑)。
●河瀬
もてたと思う。すごいかっこいいから。
■長谷川
んー(笑)。どういうのをもてたというのか。
●河瀬
女性には困らなかったでしょう。
■長谷川
さびしがりやだったんだろうな。
大学で上京してきて以来、一人でいたのは寮に入った最初の2ヶ月だけだった。自分の部屋には誰かが転がり込んできてた。来るものは拒まず、去るものは追わず。
●河瀬
楽しんでいる感じ。やりたいことをやってきている感じ。甘え上手なんだと思う。
■長谷川
話変わってないか? 今日は、「太陽を盗んだ男」について話すんだろ(笑)。
沢田が池上季美子を海に投げ込むシーンは、こうあれかしという自分の思い。
原爆のお兄ちゃん と 現実のボク のギャップ。
■長谷川
ドキュメンタリー「につつまれて」(河瀬監督当時23歳)
映画の中で刺青を入れていた。本当に入れたのか気になって、今回の対談が決まってから訊いてみた。そしたら、「今晩見ますか?」と答えが返ってきた(笑)。
あなたは、ドキュメンタリーと劇のはざまをすごく探ってると思う。
●河瀬
やってる人たちが本気だったら、ドキュメンタリーだと思っています。
■長谷川
いい意味でずるい。スリリング。
●河瀬
首都高を止めて走ってるときの快感と近いかもしれません。私のお父さんはヤクザで、刺青を入れていた。それを自分にも入れようと思った。タトゥー(機械式)ではなく、和彫り。
■長谷川
カメラの向こうにいる人間になるのが、快感なのか!?
●河瀬
刺青を彫られるシーン。刺青師は本物の人。彫るフリができない。実際に彫り出した。痛みがうれしかった。私は、キャメラマンと共犯してると思ってる。キャメラに向かって笑った。
あとで、キャメラマンが「僕はあなたが怖くて仕方がない」と言っていた。
■長谷川
その気持ちがわかるよ。
あなたの映画は、字幕付きの方が分かりやすい。
(再び「太陽を盗んだ男」について)
3.11以後の興味対象でもあると思う。「よく東宝作ったなあ」とか、「その監督30何年撮ってないんだって。そりゃ当然だよ」とか言われながら見られているんじゃないか(笑)。
次回作について言うと、「撮る撮るサギ」と言われてしまうからな。そう言えば、河瀬もプロデューサーやるんだよな。「直美が納得する女性映画」って、面白いだろ。
●河瀬
それじゃあ、今晩企画書きましょうか。
■長谷川
お前は、『今晩』が好きだなあ。それで勝負してんのか?(笑)
河瀬監督の新作「玄牝 -げんぴん-」について。
劇映画とドキュメンタリーのあいだを突き破る面白い作品になっている。
って、何か俺いい人になってるなあ。
結局、俺は(河瀬監督の映画宣伝のための)ダシか。いいダシ効いてるだろ?(笑)
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以上でした。ねたの宝庫でした。
「本当に悪いことというのは、死んだ猫を撮るために猫を殺すことだ」 とか。
長谷川監督の人柄を引き出すことによく成功した対談企画でした^^。
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自分にとって、「太陽」で一番印象的なセリフは、科学技術館屋上でのこれです。
「ばかほど高いところへ上がりたがる。やさしい気持ちになる。高いところから街を見ると」
公開時のパンフレット(表紙がやたら耽美^^;)によると、長谷川監督は、製作準備中に「原爆を作る青年」の設定に悩んでいて、コンピュータエンジニア、玩具工場の職人、警官などに会って話を聞いてみたが、どうもピンとこなかった。そんな中で、遊覧飛行と農薬散布が主な業務だというヘリコプターのパイロットが語った次のような言葉が耳に残ったそうな…。
「なんか淋しいですねえ毎日、いや別に理由はないんですがね、昼間は5分もかからずに飛んでる距離を仕事が終わってバス電車乗りついで1時間半もかけてアパートへ帰る時なんかね。まわりにたくさん人間はいるんだけど、自分一人で飛んでる時よりもっと淋しい。でもやっぱり自分なんか空を飛ぶのに憧がれて好きで選んだ仕事ですから。やさしい気持ちになるんですよ、高い所から街を見下ろしているとね。人も車も豆つぶみたいに小さくて可愛くて、東京全部が自分のものになったみたいな良い気持ちですよ」
この27歳独身の青年に、思わず監督は「貴方、原爆を作りたいって思ったことありませんか?」と訊いてしまったそうでうです。 ヘリパイ青年の「都市を俯瞰する視点」に刺激を受け、半年かかってたどり着いた青年像が「中学校理科教師」となったという…。
それにしても、このパイロット氏のモノローグはいいです。うん。ほんとに。
社会学チックに言えば^^;、孤独な群衆(The Lonely Crowd)のアノミー型でしょうか。
(あ、「ヘリってそんなに速いの?」 と思われるかもですが、新木場から厚木方面まで飛ぶヘリに乗った時の経験から言うと速かったです。地上の道路や地形に関係なく真っ直ぐ飛べるから。体感的に近いのは、東京駅~新横浜間を新幹線で移動するときのワープ感でしょうか…。実際はもっと速いです
結論です。いやー、長谷川監督の新作、見たいです!