大阪地検不祥事での危機対応を誤り再び重大な不祥事に直面する検察
(『第三者委員会は企業を変えられるか~九州電力「やらせメール」 問題の深層』(毎日新聞社)「あとがき」から抜粋)


大阪地検の郵便不正事件における証拠改竄事件等の不祥事等で失墜した検察の組織の信頼を回復し、再生を図るために立ち上げられた「検察の在り方検討会議」は、不祥事に関わる第三者委員会の一例と言ってよいだろう。その会議の委員として、検討に加わっていた最中の昨年2月に上梓したのが、本書と連作の関係にある前著『組織の思考が止まるとき~『法令遵守』から『ルールの創造』へ』(毎日新聞社)だった。
ここ数年来の組織のコンプライアンスに関する活動の集大成と位置づけた同書だったが、私はその約半分を、検察問題に関する記述に充てた。検察不祥事が、まさに検察の組織の本質に根差すもので、問題の根本から目を背け、社会の要請の変化に適応できない組織の性格そのものを改めなければならないことを理解する上で格好の題材だと考えたからだ。
同書では、行政組織でありながら「準司法機関」と位置づけられ、「組織としての独立性」が極端に尊重される閉鎖的で自己完結的な組織の特殊性が、検察を環境変化に適応するための「ガバナンス」「情報開示」「説明責任」の要請(本書第1章123貢参照)から免れさせてきたことを指摘した。そして、大阪地検の不祥事への検察の対応の根本的な誤りは、証拠改竄という個人の犯罪行為に問題を矮小化し、問題の本質に目を向けなかったところにあり、それが、大阪地検の大坪元特捜部長、佐賀元副部長を犯人隠避で逮捕せざるを得ない状況に追い込まれた最大の原因であることも指摘した。
しかし、「検察の在り方検討会議」での検察改革をめぐる議論は、「取調べの可視化」の問題に集中し、法務・検察とほとんど一体的な関係にある、というより、法務官僚以上に保守的な「御用学者」の強硬な反対論の中で、極めて不十分で曖昧な形で「取調べの可視化」の方向性を打ち出すのが精一杯の状況だった。検察組織の特殊性に関する私の問題提起と抜本的な改革の提案も会議の場での御用学者の「御高説」に阻まれて、ことごとく無視された。
そして、会議の議論が大詰めを迎えていた頃、三月十一日に東日本大震災が発生したことで、世間の関心は検察不祥事や検察改革の問題から離れてしまい、あまり注目もされないまま三月末に提言を取りまとめて会議は終了した。
その後、笠間治雄検事総長の強いリーダーシップによって、検察独自捜査における取調べの可視化の導入・拡大などの具体的取組みが行われてはきたが、検察の組織全体の危機感、問題意識は希薄で、検察の組織の特殊な性格はなんら変わっていない。
こうして、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」を抜本的な改革の契機にすることができなかった検察は、現在、検察審査会の起訴議決によって起訴された小沢一郎民主党元代表の陸山会事件に関連して表面化した重大な不祥事に直面している。
同会元事務担当者の石川知裕衆院議員は、二〇一一年一月に陸山会の政治資金規正法違反で逮捕された後、「小沢先生の了承を得て政治資金収支報告書に虚偽記入をした」との供述調書に署名していた。そして、東京第五検察審査会が一回目の起訴相当議決を出した後の五月十七日の任意の再聴取でも同様の内容の調書が作成され、同日付の取調べ状況に関する捜査報告書とともに、同検察審査会に捜査資料として提出されていた。その捜査報告書には、小沢氏に対する報告とその了承について録取した状況に関して、「『ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ』と言われたことで堪えきれなくなって、小沢先生に報告し、了承も得ましたと話しました」とする石川氏の供述が記載され、検察審査会にも提出されて審査の資料とされ、議決書にも一部が引用されていた。
二〇一一年十二月十五日に東京地裁で開かれた公判において、保釈後の再聴取を担当した取調べ検察官の証人尋問が行われ、石川被告が再聴取を隠し取りした録音記録にはそのような供述がないことを小沢氏の弁護人から追及された取調べ検察官は、捜査報告書の内容が事実と異なっていることを認めた上で「数日をかけて、思い出しながら報告書をまとめる際、勾留中のやり取りなどと記憶が混同した」と釈明した。翌日の公判では、大阪地検の郵便不正事件でフロッピーディスクのデータを改ざんした証拠隠滅で逮捕・起訴され実刑判決を受けて服役中の前田元検事が証人として出廷し、陸山会事件の捜査に加わり、小沢氏の秘書の大久保隆規氏の取調べを担当した際の状況について、一部の検察官の「妄想」に近い思い込みで強引に進められた無理筋の捜査であるなどと証言し、東京地検特捜部の陸山会事件捜査を厳しく批判した。
二〇一二年二月十八日、東京地裁大善文男裁判長は、石川氏ら元秘書三人の供述調書の多くについて、任意性、特信性を否定して証拠請求を却下決定した上、その理由の中で、石川氏の取調検察官の法廷証言の信用性について、自ら虚偽を認めている捜査報告書に関して、「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べて取調べ検察官に虚偽公文書作成の犯意があったことを事実上認め、さらに、同検察官の後に石川氏の取調べを担当した副部長が取調べで石川氏に圧力をかける行為を行っていた事実にも言及して、不当な取調べが個人的なものではなく、組織的なものであったことまで認定した。
この問題について、市民団体が虚偽公文書作成罪により告発をしており、東京地裁の決定は、告発を受けての捜査に大きな影響を与えると思われる。
前田元検事のフロッピーディスクのデータの改ざんに関しては、データが改ざんされる前の正しいデータを記載した捜査報告書が弁護側に開示され証拠請求されたことから、公判の審理には結果的に影響を与えなかったが、今回虚偽が明らかになった捜査報告書は、検察審査会に提出され、小沢氏を起訴すべきとする議決書にも引用されており、検察審査会が小沢氏の犯罪事実を認定する議決に大きな影響を与えている。しかも、虚偽の捜査報告書の作成が意図的なものであったとすれば、それが取調べ検察官個人の判断で行われたものとは考えにくい。
検察は、同事件について嫌疑不十分で不起訴という処分をしており、検察審査会の起訴議決でその不起訴処分が覆されることは、検察組織にとって極めて不名誉なことである。検察審査会議決を受けて行われる再捜査において、不起訴処分が起訴議決で覆されるような方向で捜査を行うこと自体、通常の検察官個人の行動としてはありえない。石川氏の供述調書の信用性を補強する虚偽の捜査報告書を作成する個人的動機は考えられない。
検察としての方針に反して、検察審査会の起訴議決によって検察の不起訴処分を覆そうと考える一部の検察官が組織の内部に存在していて、その指示によって取調べ検察官が虚偽の捜査報告書を作成した疑いが濃厚と言うべきであろう。
検察組織の中の一部の検察官が、政治的に重大な影響を与える小沢氏の事件についての検察の組織としての不起訴の決定に従わず、検察審査会という外部の機関の力によって検察の処分を覆させようとしたのだとすると、それは、検察の組織の中核と位置付けられてきた「組織としての一体性」が崩壊し、組織の統制が働かなくなってしまったことを意味する。検察の組織の在り方そのものが問われる重大な危機である。
どうしてこのような事態に陥ってしまったのか。その重要な要因となったのが、『組織の思考が止まるとき』でも述べた検察のクライシスマネジメントの誤りである。証拠改ざんの事実が表面化した際、即日、前田検事(当時)を逮捕して、その問題を証拠隠滅という個人の刑事事件として扱い、しかも、その捜査を郵便不正事件の捜査・処分の決裁ラインに関わっていた当事者の最高検が行ったことが、クライシスマネジメントとして最大の誤りだった。前田元検事の個人の問題に矮小化しようとしたことが、上司の大坪、佐賀両氏を犯人隠避で逮捕せざるをえない状態に追い込まれることにつながった。結局、証拠隠滅罪で実刑判決を受けて服役した前田元検事が、陸山会事件の公判に証人として出廷して特捜捜査を厳しく批判し、それが証拠決定での東京地裁の厳しい特捜捜査批判の根拠となった。
検察の組織が環境変化に適応できなくなっている現実から目を背け不祥事を個人の犯罪として矮小化しようとした危機対応の誤りが、ここまで深刻な事態を招いてしまったのである。
そして、三月二日、読売新聞朝刊の一面トップで、「陸山会事件の虚偽報告書、検察は1年前に把握」との見出しで、捜査報告書に虚偽の記載があった問題で、東京地検が発覚の約一年前にこの事実を把握しながら、十分な調査を行わず放置していたことがわかったことが報じられた。大阪地検の不祥事を発端に、検察の信頼回復のための方策を検討していた「検察の在り方検討会議」の最中に、検察は、東京地検特捜部の不祥事に関して、また致命的な誤りを犯していたのである。これでは、第三者委員会としての「検察の在り方検討会議」が、何のためのものであったのかわからない。

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