九州電力が開催した「お客さまとの対話の会」について

     名城大学教授・弁護士(元九州電力第三者委員会委員長)
                         郷 原 信 郎

 3月14日、九州電力は、一連のやらせ問題からの信頼回復を目的として、福岡市内で「お客さまとの対話の会」を開いた。
九州電力第三者委員会報告書の中の「経営トップを中心とする会社幹部が、電気利用者等の消費者、ステークホルダーと直接対話を行う場を設け、今回の賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省した上で今後透明な企業活動を徹底する方針を明確に表明する「企業活動透明化宣言」を行うこと」という提言の実行として開かれたものとのことである。
 しかし、そこで会社側の説明は、九州電力にホームページに掲載されている「信頼回復に向けての取組み」を内容とするものである。それが、第三者委員会報告書が指摘する「原発立地県である佐賀県知事と九州電力との不透明な関係に基づく原発問題への対応」という問題の本質を受け止めたものではなく、そのような取組みでは提言を実行したとは全く言えないことは、3月5日にマスコミに公表し、このツイブログにも掲載した『九州電力の「信頼回復に向けての取組み」について』http://tl.gd/g8t1r5で指摘したとおりである。
 問題の本質を踏まえて、「賛成投稿要請及び事後対応を真摯に反省」が行われたものでない以上、提言を実行したことにはならない。
このような説明内容の問題以上に重要なことは、このような会の開催手続と公開性の問題である。そこには、口先では「環境変化の認識ができていなかったことが根本原因であった」などと言っていても、実は、「どのような環境変化に、どのように対応できていなかったことが問題だったのか」が全く理解できていない九州電力の組織の現状が表われている。

 今回の「対話の会」は、一般の入場は不可で、マスコミを除いて非公開、参加者の選定プロセスも明らかにされていない。
 そこでの発言の概要をマスコミを通じて把握したところ、その中では、批判的な意見もある程度出ているとは言え、原発に正面から反対する意見は14人中1人だけ、経済団体の関係者など、電力の安定的で安価な供給を求める声が目立った。そして、何より重要なことは、九州電力が、全国レベルで批判され信頼を失墜する原因になった「経産省への報告書での第三者委員会報告書を『つまみ食い』した問題」や、その後の対応の問題についての質問が全く出ていないことだ。
 このような会場参加者の意見、反応が、九州地域の社会全体の九州電力に対する見方、意見、批判を反映したものとは凡そ言えないものであることは明らかである。九州電力にとって都合の良いメンバーを中心に恣意的に参加者を選定したことが選定経過が明らかにできない原因であろう。

 実は、こういうやり方で「対話の会」などと称する会を行おうとすることが、福島原発事故前の原発をめぐる環境においては通用しても、事故後の環境の激変の後における社会においては許されないやり方の典型なのである。
 原発事故前は、電力会社が、原発推進のために世論形成のために、異端者扱いしていた反対派をできるだけ排除した形で、「予定調和的な議論」を作り上げていくことも、社会的に大きな問題とはならなかった。しかし、福島原発事故によって原発の「絶対安全の神話」は崩壊し、原発をめぐる環境は激変した。電力会社には、原発に関する国民的な議論に対して、可能な限りの情報提供、説明責任を果たした上、それに対する国民や地域住民のありのままの意見、考え方を、正面から、真摯に受け止めることが求められるようになった。
 今の九州電力は、自分達が、地域社会全体からどのように見られているか、批判されているのか、という生の現実に向き合わなければならない。そのためには、あらゆる意見、見方を持った「お客様」が参加可能なオープンな場で堂々と説明、議論をすることが不可欠なのである。

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の中で(32-33貢)、原発事故による環境変化に対する認識のズレを象徴する眞部社長の言葉を紹介している。

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 第三者委員会の発足当初、眞部社長がしばしば口にしていたのが「『やらせメール』問題は、コンプライアンスの問題ではなくて、マナーの問題です」という言葉だ。「ゴルフで、グリーンでわいわい騒いでいたら他のプレーヤーに迷惑でしょ」。真部社長の問題認識は、結局、その程度のものだった。その問題によって、なぜ九州電力が厳しい社会的批判を受け、自らも国会に参考人招致されて社長辞任の意向を表明する事態に追い込まれたのか、全く理解できなかったのだ。
 九州電力の問題の本質は、決してその程度のものではない。私は第三者委員会設置当初から、この問題の本質は「福島原発事故による原発をめぐる環境の激変に、九州電力が適応できなかったことにある」と指摘してきた。原発事故前は、「絶対安全の神話」を国民が信じ続けるよう啓蒙を行うことが中心だったが、原発事故によって国民が制御不能になる施設の恐ろしさを目の当たりにしたことで「絶対安全の神話」は崩壊した。その後は、原発を運営する電力会社は、客観的な安全性の確保に加えて、いかなる事態が発生した場合でも万全な対応を行い、情報開示、説明責任が果たせる企業なのかなどについて、社会から評価・判定を受ける立場になった。
 英国での長い歴史と伝統の中で育まれた「紳士のスポーツ」ゴルフの本質は、「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」であり、そのボールの状態をプレーヤーが作為的に動かしてはならない、というのと同様に、再稼働の是非などという原発問題に関する重要な判断に関しては、十分な情報開示を果たすことを前提に、「あるがままの民意が、あるがままに把握されること」が守られなければならないルールとなったのである。
 そういう状況の中で、プレーヤーである電力会社自らが不透明なやり方で民意を作出しようとするのは、原発事故後の日本社会においては、原発問題に関する判断の公正さを著しく損なう行為である。そういう意味で、「やらせメール」問題は、「法令には違反しないが、明らかなルール違反でコンプライアンス違反」なのである。この問題は、真部社長が考えているような「マナーの問題」ではない。むしろ、「ラフに入ったボールをつまみ上げてフェアウェイに投げる行為」に近いと考えるべきなのだ。
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 ここで、「ゴルフの本質」としての「自然の中のあるがままのボールを、あるがままで打つこと」というのは、ボールが、ラフ、ハザード、バンカーなど、いかに打つことが困難な条件下にある場合でも、ボールを動かすことなく、そのままの状態で打たなければならないということである。
 九州電力にとって、地域社会の見方、意見がいかに厳しいものであっても、それを、あるがままの状態で、正面から受け止めなければならない。原発再稼働に不安を感じ、反対する多くの市民の声を含め、消費者、電気利用者のあらゆる声に耳を傾け、真摯にそれに向き合うことで、同社は、原発事故後の厳しい環境に適応することができるのだ。

 「対話の会」の冒頭の挨拶の中で、九州電力の瓜生次期社長は、(同じような問題を起こしたら)「私たちの会社はないという危機感を持っています。」と言いながら、涙ぐんだという。
 この程度の「生ぬるい状況」で「生ぬるい発言」をするだけで泣いているような人が、九州電力の経営トップとして、今後更に厳しい環境変化に直面することになる同社を率いていけるのか、甚だ心配である。

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