●レミフェン・ターナ過去話



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海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。


「あれの様子はどうだい」

「大丈夫、元気に育っていますよ」


格子窓の小屋には、海竜様への供物が入っている。
海竜様は、水の流れを操り、我らに恵みを下さる。

私達は、遠くへ漁に出たことがない。
沖の魚も、砂浜の貝も、
何もかも、海竜様が下さるから。

私達は十八年に一度、海竜様への供物を育てて捧げるだけでいい。
そう、村長が語っていた。


海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。

母さんは、供物を育てている。
供物って何だろう? と聞いてみたら、子供だよと教えてくれた。

食べられてしまうのは可哀想だと聞いたら、
そのために育ったんだから、それが一番いいんだよと、私の頭を撫でてくれた。



海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。
格子窓は、海に向いていて。
供物はたぶん、海だけを見て暮らしている。

生まれた時から海だけを見て暮らしたら、
この世界には、海しかないと思うんだろうか。



海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。
格子窓の小屋には供物が入っていて、母さんが一日二度の食事を運んでいる。

小屋を歩かせるのと、言葉を覚えさせるのは
欠かしてはいけないのだと、母さんが教えてくれた。

十八年に一度、海竜様が小屋の向こうに現れて
供物を受け取りに来る。
海竜様に挨拶をするのに、その二つが必要なのだと。

水に濡れて輝く鱗は、すべての色を含んだような虹色で
それはそれは、美しいのだそうだ。

私はまだ、海竜様も儀式も見たことがない。


海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。
私達の家は小屋の近くにあって、
いつも、小屋を見ながら暮らしていた。

小さな頃は、小屋の中の供物がどんな子供だろうか、
呼びかけたら答えてくれるだろうか、そんなことが気になっていたけど。

ずっと小屋を見ている間に、やがて気にならなくなってしまった。


その代わりに、儀式が楽しみになってきた。
十七歳の頃は。
光を浴びて輝く、虹色の鱗の夢ばかり見た。


小屋の扉が開けられて、供物が海へと進み出る。
両手に持った大きな椀に、清らかな水を湛えて、誇らしく掲げる。

そうすると、まるで応えるように海がざわめいて
光り輝く生き物が、姿を見せる。

粗相のない完璧な仕草で、供物は海竜様に挨拶をする。
海竜様は彼の ─彼女の? 言葉を聞いて、きっと嬉しそうに微笑むのだ。


十八歳の春。
私は、とうとう海竜様の姿を見た。

でも、…でも。
そこには浴びる光もなく、供物の挨拶も、海竜様の微笑みもなかった。

深い深い入り江の奥の洞窟は、海竜様のねぐら。
その一番奥で、
海竜様は、赤い水にまみれて横たわっていた。

掲げた灯りに、虹色の鱗が輝いた。
確かに、美しかった。
ひどく美しかったけど。

村長が椀を手に、血を洗い清めていた。


冒険者─
誰かが呆然と口にした。

昨晩村に泊まった人達は、手に手に剣を持って
魔物を退治しながら、旅をしているのだと語った。

彼らが、海竜様を殺した。
だって海竜様の傷は刀傷で、彼らは村を発ってからどこかへ消えた。

誰もが呆然としていた。
海竜様はもう動かない。
水の流れを操らず、我らに恵みを下さらない。

集った誰もが、それに気づいてしまっていた。



海に突き出した桟橋の上には、格子窓の小屋がある。
小屋の扉は壊され、
入っていた供物は、どこかへ行ってしまった。


供物と話してはいけない。
供物の姿を見てはいけない。
供物に話しかけてはいけない。

海竜様のためだけの捧げ物だからと、母さんは言ったけど
何となく、本当の理由が思い浮かんでいた。

掟の理由は、供物が外を知らないためだ。
外を願わないためだ。
だって供物が外を知ってしまえば、きっと外に出たいと願ってしまう。


だって。
供物は、どこかへ行ってしまった。


母さん達は、私達は、逃げる供物を押さえつけ、縛って連れ戻すのは、きっと嫌だったんだ。
同じ村人を供物として捧げるのは、もっと。

だから、そのためだけに子供を育てて、誰も殺さないと言った。


誰が小屋の扉を壊したのか、私達は知らない。
冒険者かもしれないし、そうでないかもしれない。

でも、もう意味はない。
だって。
供物を捧げるべき、あの美しい生き物は。

もう。


私達は、揃って途方に暮れていた。





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