#究80 #掛算 算数授業研究Vol.80のp.27からの引用してコメントをつけます。
以下では>の行が引用部分です。他はそれに対するコメント。

2012年2月24日 黒木玄 (genkuroki@twitter.com)

[著者]>田中 博史

[節のタイトル]>3. 乗法の式指導の課題

[段落1]> 乗法の式の数値に順序はあるかないかが議論されているが、2年生の初期に新しい式を定義する際には、当然、意味づけをしていかねばならないから、言語の指導と同じで、その際にはかけ算の式の数値に順序性を求めるのは当たり前だと私は考える。

証拠を何も示そうとせずに「当然」とか「当たり前」とはすごい。

しかし乗法についても次の段落にあるような柔軟な態度を取ってくれるのであれば便宜的に掛算の順序を用いることに私は反対しない。(掛算については例外のようだ。)

[段落2]> これは、加法、減法の指導でも同様で、最初は一つの意味づけを行った後で、別の場合はどうかと考えていく。引き算の求残の指導の後で、求差にも同じ式が使えるのだという展開でも、最初は別の意味で指導しているが、実は同じように考えることができるのだと見方を広げている。割り算でも同様で、最初は等分除、包含除は意味が異なる場面として認識させていくが、単元後半には、見方を変えるとこれらが同じ操作にも見えることを発見させ、一つの式で表すことができることを認めさせていく。ちなみに2011年には、お台場のICT研究会で私がパソコンを用いて、その操作からどちらに見えるということを子どもに発見させる授業を行っている。

[段落3]> 割り算の初期指導まで等分除、包含除の理解の際にはA×□となるか、□×Bとなるかと、これまでの乗法の場面の学習につないでいくことを考えさせていくほうが児童にもわかりやすいから、式の表す数の順序にこだわった指導を展開していくことが必要になる。もちろん割り算の時と同様で操作の仕方次第ではどちらの式になるということを子どもが説明したら認めていくのは当然で、その場合にも実は一つ分をどのように見るかを議論させているという意見と実は同じである。

以上の二つの段落を読んで思ったこと。

加法と減法では最初の意味付けだけにこだわることを見方を広げることをによって解消するのだから、掛算でもすぐにそうしないのは不自然である。

乗法の導入時に便宜的に掛算の順序を一時的に利用するが、すぐに見方を広げて、どちらの数値を「一つ分」もしくは「幾つ分」とみなすかは考え方を変えれば自由に入れ換えることができること、したがって掛算の順序を気にする必要がないことなどをどうして教えないのだろうか。

除法における等分除と包含除の区別は実は「一つ分」と「幾つ分」の区別と同じである。すなわち等分除と包含除の区別はそれぞれ「一つ分」と「幾つ分」を求める除法のことである。

不思議なことに、乗法の段階では見方を変えると「一つ分」と「幾つ分」を交換できることを教えないことにして、掛算の導入時に使った順序に関するルールを保ったままにし、除法の話に入ってから、見方を変えると等分除と包含除が同じ操作に見えることを発見させると言う。

どうして掛算の段階で「一つ分」と「幾つ分」を考え方を変えるだけで自由に交換できることを教えないのか。等分除と包含除を同じ操作に見ることは、「一つ分」と「幾つ分」を交換することと完全に同じなのに。

そもそも「一つ分」と「幾つ分」といった考え方は掛算の順序とは無関係である。掛算の順序との関係付けは掛算の導入時に便宜的に使われたに過ぎない。

さらに掛算の最終的な理解は「一つ分」「幾つ分」という考え方をしない方が良い場合も含んでなければいけない。(たとえば長方形型に並んだおはじきの個数は必ずしも「一つ分」「幾つ分」という考え方で理解する必要はない。普通は「一つ分」「幾つ分」という考え方をせずに長方形型に並んでいることからただちに掛算が使えることを認識する。長方形の面積も同様。)

要するに、掛算の順序は「一つ分」「幾つ分」という考え方とはもともと無関係であり、さらに「一つ分」「幾つ分」という考え方だけにこだわると掛算の真の理解に達することは不可能なのである。

これらの事実があるにもかかわらず、割り算の話まで、「一つ分」と「幾つ分」を自由に交換できることを教えずに、掛算の順序を利用し続けるのは合理的ではないと思う。

そして、平均的な小学生は掛算の順序に関するルールを無視しているという事実もある。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11126783021.html
で紹介されている全国小学校36校の調査では掛算の順序を正しく書けるかを見る問題の正答率は割り算を習う小学校三年生は4分の1にも満たない。平均的な小学三年生相手に掛算の順序に関するルールを覚えていることを前提に割算を教えることは不可能だろう。

小二で九九を習って、そこで交換法則も習った子どもにしばらくのあいだ掛算の順序を強制し続けることはそもそも現実的な考え方なのだろうか?

その上、「掛算を一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールは一般社会では通用しない。そのような非常識なルールを児童に強制し続けているように見えるから、インターネットで定期的に爆発的に話題になってしまうのだ。一般社会で通用しない掛順のルールを非常識なルールであることを隠したまま暗記することを強制するのは個人的には止めてもらいたい。(正直に「このルールはここだけのルールであって他では通用しないよ」と言って使うのであれば害は小さくなると思う。そのような正直な説明のもとで掛順ルールが利用されているならばこんなに大きな話題になることはなかっただろう。)

さらに、子どもが説明したら認めるというような言い方は一見して柔軟な好ましい態度にも見えるが、その裏には「一般社会で通用している普通の考え方(掛算の順序はどちらでもよいという論理的かつ合理的な考え方)については都合が悪いので自分からは積極的に教えようとはしない」という考え方が隠れているのではないか。

もとの話に戻りましょう。加法の場合と違って、乗法ではすぐさま見方を広げて式の順序にこだわる必要がないことを教えたくない理由は以下のようなことだと想像される。

乗法の見方を広げると「一つ分」と「幾つ分」は考え方によって自由に入れ換えることができることになる。これは割算を教えるときに等分除と包含除の区別を児童に教えたいと思っている人にとっては不都合である。なぜならば等分除と包含除はそれぞれ「一つ分」と「幾つ分」を求める割算のことだから。「一つ分」と「幾つ分」を考え方によって自由にひっくり返せることをすでに児童が理解していると、等分除と包含除の区別を児童に教えるという企みは瓦解してしまうことになる。

個人的な意見ではそもそも等分除と包含除を児童に区別させるという発想がおかしい。掛算を真に理解していれば「一つ分」と「幾つ分」を考え方によって自由に交換できることも理解できているはずです。掛算を真の理解に達してしまった児童は、同じ文章題の割算を等分除とみなすこともできるし、包含除とみなすこともできることも理解してしまうはずである。

もちろん、必要に応じて等分除(aをb等分したら何個ずつに分けられるか)と包含除(aの中にbが幾つ含まれているか)の考え方の両方を使えるようになることは重要でしょう。しかしそれらの考え方を使えるようになってもらうために、「A×□となるか、□×B」のような掛算の順序に関する一般社会では通用しないルールを前提にした理解の仕方を強制する必要はない。

[段落4]> ただ問題となるのは、4年生で面積などを学び、さらには関数的な見方で式化させていく学習を経ていく中で、はたして式の数値の順序性を問うかは、議論していかねばならない。

割算は小3で習う。そのときに等分除と包含除が見方によっては同じ操作に見えることを教えるということは、乗法における「一つ分」と「幾つ分」の役割を交換できることを教えているのと同じことになる。これによって「掛算は一つ分×幾つ分の順序に書く」というルールのもとであっても数値はどちら順序に書いても正しいことになる。

せっかくそこまで教えたのに、その後にも掛算の順序にこだわらせ続けるのは合理的ではない。議論の結論は「割算を教えた段階で掛算の順序にこだわらせる意味は無くなった」でなければおかしい。

何を「議論していかねばらない」のか不明。

[段落5]> 中学校でa×3が突然3aになってしまう段階で、小学校でも、結果を比較する等式や状態を表現する役割を持たせた式、関係を表すための式、形式としての式など様々な役割を式に持たせて来たことを整理し、指導の際にどのように区別していくかは今のところ確かに曖昧である。

これも何を言いたいのか曖昧で理解不能。

結局、小学校のあいだのどの時点で、掛算の導入のために便宜的に使った掛算の順序に関するルールが解消されるかを曖昧なままにしようとしているように見える。これは不誠実な議論の仕方だと思った。

最初の方で加法と減法と除法については最初の意味付けへのこだわりを見方を広げることによって解消していくことを強調しておきながら、掛算の順序については曖昧なままですますようでは「かけ算を究める」と題された掛算特集号に掲載してもらう論考として問題有りだと思う。

明確に「○○以降は掛算の順序にこだわる意味はない」と明言できない理由が何かあるのだろうか。(困ったものだ。)

[段落6]> これでテストで×になったり○になったりでは子どもも可哀そうである。

これ自体は素晴しい発言である。掛算の順序が逆なだけでバツにする教え方は止めた方が良いという意見を今後も積極的に広めてもらいたい。

しかし、割り算を教えるために掛算の順序に関する世間一般では通用しないルールを子どもに暗記させることが必要だと主張し続けながら、掛算の順序についてマルやバツを付けるのはかわいそうだなどと言うのは都合が良過ぎやしないか?

以上。

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