今日の夕方の朝日放送の番組「キャスト」でも話したように、今回の大坪・佐賀氏の公判では、故意の改竄を認識していたかどうかばかりが問題にされているが、問題の本質はそこではない。もし、仮に、故意の改竄だと認識していたとして、それなら、二人はどうすべきだったか、それによって、村木事件の裁判の展開にどのような影響があったのか。この点に関して、今日の検察の論告では、昨年12月の最高検の検証報告書を引用し、「もし、大坪・佐賀氏が真実を報告し、上司が適切に対応していたら、前田検事の証拠隠滅事件に対する捜査・処理が行われ、・・・最終的には村木事件の公訴を取り消すことも検討されたと思われる」などと述べたが、弁護人側から、「証拠に基づかない論告」と異議を出され、撤回した。この点は、この事件の核心と言うべきであろう。
要するに、大坪・佐賀氏が故意の改竄を認識していたかどうかが、村木事件にどのような影響を与えていたのか、検察は立証できなかったのである。証拠の改竄は絶対に許されないこと、と検察は強調するが、では、これまで、検察は、刑事事件で検察側に不利な証拠をすべて開示してきたのか、その点については検察官の裁量が相当程度認められてきたはずだ。今回の前田検事の証拠改竄行為に、そのような一般的な検察官の捜査・公判対応とは異なった特別の悪性を見出すとれば、「村木氏を無実の罪に陥れる」という意図を持って行ったということしかあり得ない。しかし、検察は、前田元検事の特別公務員職権乱用事件を不起訴にし、自ら、そのことを否定しているのである。前田検事の行為が刑事事件の結果に影響しないのであれば、大坪・佐賀両氏が、故意の改竄と認識していたとしても、それを見逃す行為が刑事処罰に値する行為とは思えない。
「組織の思考が止まるとき」などで述べているように、大坪・佐賀両氏の行為は、そもそも犯人隠避の公構成要件に該当しない、という法律上の問題に加えて、検察は、今日の論告で、両氏を刑事処罰する根拠となる可罰性を主張することすらでききなかった。今後のこの事件の公判の展開は予断を許さない見るべきであろう。

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