TPPと混合診療解禁についてのメモ

まず、「混合診療」とは一体何なのか、というところから。


●「混合診療」の解禁を求めて訴訟を起こした患者さんに対して、10月25日に、最高裁判所は
「保険診療と自由診療を併用する混合診療の禁止は適法」
とする判決を下しています。

すなわち、現在厚生労働省や中医協、日本医師会などの「混合診療解禁は、国民皆保険制度を崩壊させる」という主張が「適法」であるという見解が最高裁のジャッジにおいて出されました。


●混合診療というのは、

国民皆保険制度で「保険内診療」でカバーできない範囲外の先端的な診療を、保険外診療すなわち「自由診療」=「100%、全額自己負担」で受けられるように規制を緩和するということです。


●混合診療は、すでに「実質解禁」されているという主張

日本医師会がTPPへの反対論に用いる論理として、これがまず第一に挙げられるでしょう。

現在、国は、混合診療を禁止しています。
その代わりに、保険診療と自由診療の組み合わせが成り立つように高度な医療については個別に選定した先端医療に限って「保険外併用療養費」という仕組みを定めています。

「保険外併用療養費」というのは、国が個別に認可した特定の高度先端医療が行われる「特定承認保険医療機関」(大病院や大学病院)で、
・特別料金(差額ベッド代や様々なサービス料など)は患者は100%全額を支払う
・診療部分(投薬、診療)は保険適用をして患者は3割を支払う

こういうことで、「実質的な混合診療」は、現在国民皆保険制度のなかに「特別枠」として既に位置づけられている。


●混合診療は「パンドラの箱」だという主張

マイケル・ムーア監督の「シッコ」というドキュメンタリー映画があります。あれを引き合いに出す場合が多いですが。

アメリカは基本的に低所得者向けメディケイドなどの特例を別にして「オール100%自己負担」、すなわち「オール自由診療」のすごい国です。

アメリカの病院に行くとまず「どの民間医療保険に加入しているか」を訊かれます。「100%自己負担」ということは民間保険会社と患者が支払える金の額によって診療コースを変えないといけないので、当然の話です。

よく、「アメリカで治療をするために●億円募金を」という話が、ありますね。それはアメリカは自由診療がフリーなので、高度先端医療もフリーなのです。払える莫大なお金があれば、診療しますよ、といういたってストレートで単純な構造です。

アメリカの個人の自己破産の原因の第一位(約50%)は「医療費」です。しかも、この内訳のうち大半は貧困層ではなく、民間医療保険に加入しているはずのいわゆる中産階級。ふつうの人が、病気になって自己破産をしている。

マイケル・ムーアの手法は扇動的な部分もありますし、過剰演出という批判もあります。しかし、この現実を突きつけたという意味においては「シッコ」はみんな観たほうがいい映画でしょう。たぶん。


●中医協や日本医師会が出さない論点について

混合診療は現時点において解禁したらとんでもないことになるだろう、とわたしも個人的に思っています。

しかし、混合診療の根っこというのは、さらに未知数の論点がたくさんあります。

「高度医療」というのは、基本的に時間軸はタテです。医学はちょう「進歩史観」で考える学問ですので、基本的に、思考はタテ、上しか向いていません。

「新薬」、「先端技術」と呼ばれるものが出るたびに医療費は膨らんでいきます。一般的に日本で「新薬」に対して抱かれているイメージは、かなり過剰な印象があります。まるで「それで一発で全員が救われる神の手」が存在するかのように。


●「グリベック」の光と影

これは臨床の最前線にいるお医者さんであればこそわかってもらえることだと思いますが、たとえば慢性骨髄性白血病の患者さんへの診療は、「グリベック」という新薬の登場によって劇的に変化しました。

ノベルティス・ファーマという製薬会社がつくった「グリベック」によって、慢性骨髄性白血病の患者さんは「完治はしないけれども安定的な状態を維持している」=「寛解」という状態を得られることができるようになった、と言われています。

しかし「グリベック」は、神の手ではありません。同じ慢性骨髄性白血病と診断を受けていても、グリベックが効かない人もいます。効きがイマイチな人もいます。副作用が出る人もいます。

しかもグリベックは、飲み続けなければ効果はありません。

グリベックの値段=「薬価」は、1錠3100円です。一日4錠飲み続ける人が多いので、単純計算してみましょう。
3100×4×30日=37万2千円
一ヶ月に、37万2千円の薬代。

これに国民皆保険制度の「患者3割負担」を適用します。

37万2千円×0.3=11万1600円
一ヶ月に、11万1600円の薬代。


●グリベックの「その先」の、本物のパンドラの箱

グリベックは、慢性骨髄性白血病の患者さんにとって既にある程度不可欠なものと「合意」がなされており、しかも臨床である程度効果がわかっているものです。


高度診療、と呼ぶもののこの先は、さらなるブラックボックスの話です。

すなわち、ゲノム(遺伝子)治療や再生医療、幹細胞治療、そういう次元の「高度医療」の話です。

まだ導入はされていませんが、おそらく、こういうものの値段はきわめて「高い」でしょう。


そして「安易な夢」を医学研究者やマスメディアが言説として差し出せば、「欲望」はとどまるわけがないでしょう。

倫理やルールで蓋をできる、とする説もありますが、わたしはあまりそうは思いません。「もしかしたら」という藁をもすがる患者に「甘い夢」を差し出せば、それは本物の「パンドラの箱」です。生きている人に、しかも時間が限られている人に、変な言説を投げることだけはしてほしくない、というのが私の個人的な意見です。

つまり、その人に「できない約束をそう易々としないでほしい」ということです。

医学研究、薬学研究、治験に膨大な費用がかかることは自明です。研究室で基礎研究を日々積み重ねていらっしゃる先生方への、最大限の敬意をはらったうえで、それでもなお、今日の「ねじれ」を解消するために。

いま生きている患者を引き合いに出し、研究予算をとってくるのではなく、もっと研究室の中の情報を開け放ってほしいと思います。

「科学の研究は不確実である」「だからこそ大変」という自明なことを、オブラートに隠す必要はどこにもないと思います。


●TPPと混合診療問題は「関係はあるが、一緒くたにするな」

混合診療問題は、「TPPにくっついてくる話題」ではありません。これだけでものすごい質量の「みんなの命がかかってくる話題」であり、TPPごとき(いろいろ思うところありあえて「ごとき」と言わせていただきますが)の話より、よっぽど重いです。

国民皆保険制度をいかにして維持するのか。

そして「ふつうの医療」の現場が崩壊していくなかで、「高度医療」は、本当に、ヒトのQOL(生活の質)に与するのか?


わたしは、TPPと国民皆保険制度を天秤になんかかけられません。国民皆保険制度とTPPの重要性を天秤にかけたら、それこそ、月とスッポンみたいなものです。

よって、TPPの話は信頼する経済屋さんにお任せします。

経済学が人の「効率性」に寄与するのではなく、生身の人間の「合理性」とQOLに寄与するものだと、信頼します。

よろしく、頼みます。

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