猿楽町通信の新エントリー

「スティーブ・ジョブズは神か」

アップルのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。
直ちにニュースが世界を駆けめぐり、世界中のアップルファンが、彼の業績を称えて嘆き悲しんだ、
その数日前にアップルからレリースされた新しいiPhone 4Sの発表会には、ジョブズ氏の姿もなく、新たなCEOが発表を執り行った。それは当然としても、新製品が期待のiPhone 5ではなくて4Sだったことも失望だったし、しかもジョブズ氏からのメッセージもなかったことも相俟って、彼の信奉者はそこはかとなく淋しい思いをしていたのだが、その真の理由が数日後に知らされたわけだ。すでに亡くなっていたと。
後から、彼は死の直前まで新商品開発に当たっていたとか、それは全く新しいコンセプトのテレビだったとか聞くと、さらに無念さが増すことも事実だ。
じつに彼らしい最期とも言えるが。

こうして改めてジョブズ氏のことを思い起こしてみると、神話には事欠かない。
じつは彼の生前、しかも最近、ひとつの神話をツィートしたばかりだったことを思い出した。
すでに多くの人々がfacebookやTwitterで取り上げているから、ご存じの方もいると思うが、「ジョブズ氏にメールしたらトンデモないことになった件」と題する、「iTea3.0」氏のブログのエントリーである。
これは実話で、2009年にこのブロガー自身が経験した「iMac 液晶黄ばみ事件」が事の発端なのだ。
ことの真相は、実際にブログを読んでいただいた方が早いが、要約はこうだ。

買ったiMacの液晶画面に黄ばんだシミがあり、アップル社に交換を申し入れたら、快く交換してくれた。ところが、新しい交換品にも黄ばみがあり、また交換を要請。再度来た商品にも黄ばみがあった。初期ロットに多発した問題らしいが、三度目になると、アップル側の対応が著しく悪くなっていく。ところがその交換品も黄ばみがある・そこで一旦諦めたが、思い直して、ダメモトでジョブズ氏のメールアドレスと覚しきところにメールを出してみた。しばらくすると、アップルの幹部から電話があり、謝罪と共に再度製品を取り替えてくれたというのだ。
http://itea30.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

このことの顛末があまりにもアップル、引いてはジョブズ氏らしかったので、Twitterで次のようなツィートしたわけだ。
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すごい話だ!ジョブズ氏を信じ、アップル製品を使い続けてきて良かった!>iTea3.0: 【神対応】スティーブ・ジョブズ氏にメールしたらトンデモないことになった件
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これは、正直なボクの感想だ。
ところが呟いた途端に、これまた多くの方々から、返信を戴くことになった。

大半は面白いとか、ジョブズ氏はさすがだといった意見だったが、当然のことながら中には、批判的な意見もあった。すなわち、「大企業のトップがいちいち消費者の苦情に反応するのはほめられることではない。」という趣旨の意見や「企業なら当たり前だ」といった意見だった。また、「対応したジョブズ氏やアップルもなかなかだが、諦めずに訴え続けたこのiTea3.0氏の方がすごい」という意見もあった。
なるほど、どれもその通りだろう。
だが、ボクが「すごい話だ!」と言った真意は、もう少し違うところにある。

このブロガーが書いているように、ジョブズ氏から返事が来たわけでもなく、彼が読んだということすら不確かだ。それにおそらくジョブズは部下や日本のスタッフを叱ったりしなかったろう。彼本人ではなく、彼の何らかのアシスタント、あるいはメールチェックをしている部門が、「スティーブならおそらくこうするだろう」と、黙って対応を指示したとしか思えない。
じつはそれがすごい。というよりも、それが「企業文化」ということなのだ。
「彼ならこうするだろう」という彼のDNAが社員ひとりひとりに浸透しているという意味は大きい。

彼の死後、果たしてアップルはジョブズ氏のDNAを継げるか?といった論評が多く書かれている。
正直言って、アップルがどう変わっていくのか、変わらないのかは分からない。
もちろん、時代が変わり、テクノロジーが変われば、デザイン的なものは当然次第に変化していくだろう。
だが大事なのは、「スティーブならどうするだろう?」という問いかけの中に、絶えず時代におもねることをしない、すなわち妥協なき革新をしつづける、そして世間の期待を超越しつづけられるか否かが問われているということだ。

現在のアップルの最大の魅力であり不思議は、ただ四角いシンプルさだけのミニマルデザインなのに、総ての商品が「これがアップルだ」という明解なアイデンティティを持っているということだ。たとえリンゴのマークを隠しても、人々に、「そこにはリンゴマークがないはずがない」と思わせる魔力だ。
これが、今までのジョブズ・アイデンティティなのだ。

だが冷静に考えると、「ジョブズ的ということは、ジョブズ的なものを否定すること」という一種のパラドックスの中に答えがあるのかもしれない。
すなわちジョブズ的なものを継ぐのではなくて、ジョブズを乗り越え続けないかぎりジョブズのDNAは継承できないということなのだ。

パソコンに触り始めてから16年間、ジョブズを信じて30台以上のアップル製品を買い続けてきた私を、これからも絶対に裏切らないで欲しい。

(追記)
スティーブ・ジョブズ氏の逝去が発表されてから、二日ほどショックで、彼のことばかりを考えていた。それをツィートしたら、フォロワーから「それは恋ですね」という返信をもらった。「そんなバカな!」と思ってみたものの、たしかにこれは「ジョブズ的なもの」への恋だったのかもしれないと思い直した。

心からご冥福を祈る。合掌。

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