@deztec 返信が遅くなってすみません。
ありゃ、ご本人の方がご覧になってるとはw
具体的な事例についての間違ってるとか正しいとかは特にないです。
どちらかというともっと感覚的、考え方の違いに関することなのでお気になさらず(笑)
ただ、その感覚的な部分に関していえばいくつか感じることはあります。茨城の中でも田舎の出身で今普段は神奈川に住んでいて車を所有しほぼ毎日乗っている人の意見として見てください。
まず車を手放すというオプション自体がない地域の人もいます。
私は普段は神奈川に住んでいますが、例えば茨城の中でも私の実家のような田舎なところなどでは、バスなども実質的にはないようなもので車を持っていないのはかなりのお年寄りで町を出るのが年に数回くらいの人か、親などに送り迎えをしてもらう子供だけです。駅までも車で20分はかかります。
つまりは車(免許)を持っているというのはこういう田舎においては一人前としての絶対条件だったりします。かなり貧乏な人でも車くらいは(ぼろいにしても)持っていたり。
【小さな町村では本当に必須なのかもしれないが、そういうところは人口も少ない。】とありますが、実際にはそう少なくないはずです。
栃木県のどちらに住んでいるのかは分かりませんが、栃木でもこういう地域はかなりあるはずです。
もし少ないとすればそれは大人になった後にその町を出て行っているからです。要するに車を手放すことを推奨することはある種、車を必要としないように密集して暮らし、地方を衰退させることとも取れます。確かに都市部に密集して暮らせば便利で、ある意味エコな部分もあるかもしれません、しかしそれは豊かな暮らしでしょうか?私にはそうは思えません。
【自動車ってのは、なきゃないなりに生活できるのに、いったん持ってしまうと、手放すのがつらくてたまらなくなる】ともありますが、私は自分で車を持っていなくて親に送り迎えをしてもらっていたころから本当に移動の自由がないことが嫌でした。どこに行くのにも誰かの手を借りなければならない。別に車以外の選択肢でもそのような移動の自由が確保されれば構いませんが実際には車以外には無理です。
ところで先日野暮用で神奈川で1年以上ぶりに通学・通勤時間帯の電車に乗りましたがとても耐えられるようなものではありませんでした。
電車に乗っている人の間には朝から疲れているような感じでだるい雰囲気が漂っている、ある種明るい雰囲気を許容しないような印象さえ感じ、全く健康的には見えませんでした。
実は中高の6年間、電車に片道1時間くらい乗って通学していましたが、今考えてみるとあのころの自分はこれの中に同化していたのだろうなと思いました。
同時に多少給料が少なくても電車通勤はしたくないとも思いました。
それから経済的な観点の話をすれば、たしかに車を使わずとも移動はできるかもしれませんが、他のオプションを利用した多くの場合はより多くの時間を要します。車なら10分のところを場合によってはそれの何倍もかかるかもしれません。また、自転車や徒歩の場合は雨天時や炎天下の場合過酷な状況での移動を強いられるわけです、しかも荷物の持ち運びの面でも圧倒的に不利です。そこの部分の見えないコストを、自家用車を手放してセーブした分と天秤にかけてどうか、というのはもちろん人によるのでしょうが私は後者の方が少ないと思います。手放して得るセーブ分より、手放すことによるロスの方が大きいと感じます。
そもそもそこまでして利便性を著しく損なってまで節約をすることの意味はなんでしょう。日々の生活が苦しいから、、というなら車を手放すというのも必然的にせまられることもあるのでしょうが。。もし生活に困っているとしても他に削れる部分はいくらでもあると思います。そもそもほとんどの人はそうではないと思います。
そうしてセーブしたことが果たしてなんの意味を持つかというのは大きな課題であると思います。
快適な生活を送る以上に意味のあることってそんなに多いのでしょうか。
だから私は高々年間数十万を節約するために車を手放そうとは決して思いません、モータリゼーションによってもたらされる生活には"個"を重視した自由でゆとりのある生活があると思っているからです。もちろんこれは私の個人的な考え方ですので万人のものではないと思います。

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