JAKAM · @Juzuakamoochy
15th Aug 2011 from Twitlonger
第二次世界大戦での主な国の犠牲者数
国 名 兵員の死亡 行方不明者 市民死亡
アメリカ 407,828 — —
イギリス 353,652 90,844 60,595
フランス 166,195 — 174,620
ポーランド (6,000,000)
ソ 連 (20,000,000)
中 国 (10,000,000)
ド イ ツ 2,100,000 2,900,000 500,000
イタリア 389,000 214,647 179,803
日 本 約2,300,000 約800,000
日本の兵員のうち、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、
約5万人を含む。
太平洋戦争における
主要地域別陸海軍人・軍属戦没者数一覧表(旧厚生省調べ)
戦争当時の国名・地名 戦没者数(人)
日 本 本 土 103,900
沖 縄 89,400
朝 鮮 26,500
台 湾 39,400
旧 満 州 46,700
中 国 本 土 455,700
小 笠 原 15,200
南 鳥 島 857
硫 黄 島 20,000
中部太平洋諸島 197,600
樺 太 8,800
ア ッ ツ 島 2,600
フ ィ リ ピ ン 498,600
仏 印 12,400
マライ ・ シンガポール 11,400
タ イ 7,000
ビ ル マ 164,500
アンダマン ・ ニコバル 2,400
ジ ャ ワ 6,500
ス マ ト ラ 3,200
ボ ル ネ オ 18,000
セ レ ベ ス 5,500
モ ル ッ カ 4,400
西部ニューギニア・小スンダ 82,600
東部ニュ−ギニア 127,600
ビスマルク諸島 30,500
ソロモン 諸 島 88,600
マーシャル諸島 7,790
ギルバート諸島 5,214
旧 ソ 連 52,700
※もとの軍人、軍属、一般邦人を含む
※支那事変関係戦没者188,000人を含む
※国名、地名は大戦当時のもの
アジアでの戦争での被害者、、
太平洋戦争の犠牲者
国、地域名 戦争犠牲者数(人)
タ イ 8,000
シンガポール・マレーシア 100,000以上
インドネシア 4,000,000
ベ ト ナ ム 2,000,000
中 国 10,000,000以上
ミャンマー(ビルマ) 150,000
韓 国・北朝鮮 200,000
フ ィ リ ピ ン 1,110,000
ガダルカナル攻防戦(1942.8〜1943.2)
日本軍上陸部隊の20,000人以上が死亡
インパール作戦 (1944.3〜7)
将兵の8割以上が死亡
フィリピン防衛戦 (1944.10〜1945.8)
日本陸軍だけで320,000人が戦死
下記は民間人を含む。
大東亜戦争における主要戦域別日本人戦没者数一覧
日 本 本 土 700,000
沖 縄 186,500
樺太・千島・アッツ島 24,400
台 湾 41,900
硫 黄 島 21,900
中 部 太 平 洋 247,000
朝 鮮 53,500
中国東北部(旧満州) 245,400
中 国 本 土 465,700
ソ 連 邦 52,700
モ ン ゴ ル 1,700
フ ィ リ ピ ン 518,000
仏領インドシナ 12,400
ボ ル ネ オ 18,000
スマトラ・ジャワ・セレベス・小スンダ 25,400
モルッカ・西部ニューギニア 53,000
東部ニューギニア 127,600
ビスマルク・ソロモン諸島 118,700
タイ・マレーシア等 21,000
ビ ル マ 137,000
イ ン ド 30,000
総 数 3,100,000(概数)
≪財団法人千鳥ヶ渕戦没者墓苑奉仕会
ホームページの図表を参考にして作成しました≫
この310万人というのが日本人で
(多民族として)第二次大戦で
亡くなった総数と捉えて良いでしょうね。
凄い数です。
アジア太平洋戦争におけるアジア諸地域の戦争被害
(死者、経済的・物的損害額、日本が獲得した資源)
地 域 死亡者(人)
日 本 3,100,000以上
朝 鮮 約200,000
中 国 10,000,000以上
台 湾 30,000余
フ ィ リ ピ ン 約1,110,000
ベ ト ナ ム 約2,000,000
タ イ 不詳
ビ ル マ 約150,000
マレーシア・シンガポール 100,000以上
インドネシア 約4,000,000
イ ン ド 約1,500,000
オーストラリア 17,744
連合軍将兵・
民間人・捕虜 約6万数千
(オーストラリアの死者のうち約8,000と重複)
合 計 日本を除く死者:1,900万人以上
アジアにおいての日本軍、日本人のイメージは
本当に賛否が有ります。
基本否定的な意見が多いのですが、
肯定的な意見があるのも
見逃してはいけないと思います。
さあ世界に目を向けると
第二次世界大戦の死傷者
国 別
連合国 軍人死者 行方不明 死者総数
アメリカ 292,131 139,709 298,000
イギリス 373,372 251,724 466,000
ソ 連 11000,000 18000,000
フランス 213,324 563,000
ベルギー 12,000 88,000
オランダ 7,900 208,000
ブラジル 943 1,000
Australia 23,365 32,393 24,000
カ ナ ダ 37,476 10,888 38,000
イ ン ド 24,338 64,354 91,243
New Zeeland 10,033 10,582 10,000
南アフリカ 6,877 22,323 7,000
英諸植民地 264,443 213,919 357,000
中 国 1,310,224 115,248
チェコ 10,000 225,000
デンマーク 1,800 4,000
ギリシア 88,300 413,000
ノルウェー 3,000 10,000
ポーランド 123,178 420,760 5,800,000
フィリピン 27,000 118,000
ユーゴ 305,000 1505,000
枢軸国 軍人死者 行方不明 死者総数
ブルガリア 10,000 20,000
フィンランド82,000 84,000
ドイツ 3500,000 3400,000 4300,000
ハンガリー 200,000 290,000 490,000
イタリア 242,434 350,000 395,000
ルーマニア 300,000 100,000 500,000
日 本 1300,000 810,000 197,2000
【本土爆撃の実態】
建設省が57年刊行した「戦災復興史」によると、
全国の被災地は215都市 計約645平方キロメートル、
犠牲者は47年1月結成の全国戦災都市連盟が
113都市を調べた分だけで51万人、
被災人口は964万人に達していた。
当初は、飛行機製作所、軍需工場が専ら狙われたが、45.3.10の東京大空襲以降は、
中低空で大量の焼夷弾を投下し市街地を焼き尽くす
無差別爆撃が始まった。
東京は45.3.10の東京大空襲で
約27万戸を焼き、約8万4千人が死亡した。
<1,000人以上の死者を出した都市一覧表>
(全国戦災都市連盟調査)
都市 死者数
広 島 260,000
東 京 94,225
長 崎 174,604
大 阪 10,388
名古屋 7,802
神 戸 6,235
横 浜 4,616
浜 松 3,239
鹿児島 2,427
富 山 2,275
呉 2,062
堺 1,876
青 森 1,767
岡 山 1,737
静 岡 1,603
福 井 1,600
津 1,600
明 石 1,464
高 松 1,316
大牟田 1,291
日 立 1,266
千 葉 1,173
長 岡 1,167
八 幡 1,130
和歌山 1,101
佐世保 1,030
やはり広島、長崎がダントツですね。
何が起こったかは言わずもがな。
当然大都市である東京も酷いです。
真珠湾奇襲攻撃の人的損害
アメリカ陸・海軍合わせて
戦死・行方不明・戦傷後死亡 2,402名
戦傷者 2,382名、
合計 4,784名(103名の民間人を含む)
日本側損失…飛行機29機、搭乗員54名、
及び特殊潜航艇5隻、9名
《「図説 太平洋戦争」
(1995 池田清編 河出書房新社)から》
真珠湾奇襲(1941.12.7(米国日付))の犠牲者
アメリカ海軍及び陸軍の将兵 3,300名
住民 68名
《「記録写真 太平洋戦争」
(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》
これが有名な真珠湾攻撃。今で言うテロですね。
やはりここでも結構亡くなっていますね。、
ハワイネイティブの人達も犠牲になったのでしょうか。。。?
下記は沖縄戦に突入するまでに攻防を繰り広げた
南の島々での戦死者
ガダルカナル島争奪戦
投入 戦死者
アメリカ軍 約七万名 約二千名
日本軍 約三万六千名 約二万四千名
《「記録写真 太平洋戦争」
(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》
サイパン島で亡くなられた人々
サイパン島には、昭和19年6月当時、日本軍は、
陸軍28,518名、海軍15,164名、
総計43,682名(いずれも推定)の将兵がいた。
このほか、本土引き揚げに間に合わなかった
二万名前後の一般邦人と約四千名の現地住民もいた。
ここに、6月15日より、米軍が上陸し、
その将兵は六万二千名を数えた。
《「図説 太平洋戦争」
(1995 池田清編 河出書房新社)から》
テニアン島
テニアン島には、南洋興発株式会社(社長松江春次)の
募集に応じた移民として、
太平洋戦争開戦当時約13,000人の日本人居留民がおり、
当時の日本のサトウキビ生産の重要な拠点になっていた。
併せて、日本軍の基地が置かれており、
開戦後兵員は増強され、
米軍上陸時には、陸軍4,000、海軍4,000、
計8,000人となっていた。
そこに居留民から組織された義勇隊
3,500人(居留民の各世帯から男性1人が徴用され、
弾運び等に従事させられた)が加わり、
米軍上陸を迎えた。昭和19年7月24日、
4万人の米軍が上陸した。
この戦闘により、日本軍は玉砕し、
居留民は3,500人以上が命を落とした。
《NHKテレビ番組「シリーズ証言記録、
市民たちの戦争」(2009.8.19放送)から》
硫黄島 昭和20年2月19日〜3月26日
戦死者数 (死傷者数) 投入兵士数
日本陸海軍 2万129人 約2万1千人 約2万2千人
米軍 約7千人 約2万8千人 約9万7千人
《「記録写真 太平洋戦争」
(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》
死者数(推計)
ガダルカナル島 2万1900人
アッツ島 2,600人
ニューギニア 176,000人
グアム島 20,000人
サイパン島 55,000人
ビルマ・インド 167,000人
フィリピン 518,000人
硫黄島 21,900人
沖縄 186,500人
本土空襲 500,000人
日中戦争を含む今時大戦死者総数 310万人(推計)
《TBSテレビドラマ
「日米開戦と東條英機−あの戦争は何だったのか−」('08.12.24放送)から》
沖縄での犠牲者
沖縄は1941年から始まった太平洋戦争の激戦地となり、
国内で唯一悲惨な地上戦が行われた場所です。
犠牲者数はアメリカ軍約1万2500人、
沖縄出身者を含む日本軍約9万4000人、
沖縄の住民約9万4000人とされていますが、
正確な住民の犠牲者数はわかっていません。
(沖縄修学旅行情報専門サイトから)
沖縄戦戦没者数
日本側 188,136名
├ 本土出身軍人 65,908名
└ 沖縄出身 122,228名
├ 軍人軍属 28,228名
├ 戦闘参加住民 57,004名
└ 一般住民 36,956名
米軍側 12,520名
総 計 200,656名
(『沖縄県の福祉』
沖縄県生活福祉部援護課発行・平成元年版)
沖縄戦の戦没者と沖縄県民の犠牲
日本軍将兵 94,136人
├ 他府県出身者 65,908人
└ 沖縄出身者 28,228人
(防衛隊員を含む)
沖縄県民で戦闘協力者 55,246人
民間の沖縄県民 94,754人
総 数 244,136人
(琉球政府援護課 1953年)
「平和の礎」刻銘者数出身地別一覧
日本 沖縄県 148,384
県外 75,516
外国 米国(USA) 14,007
英国(UK) 82
台湾 28
朝鮮民主主義人民共和国 82
大韓民国 309
合 計 238,408
(2002年6月23日現在)
《上2点「図説 沖縄の戦い」
(2003 森山康平編 河出書房新社)から》
沖縄島作戦におけるアメリカ人将兵の人的損害
投 入 死傷者 戦 死
アメリカ陸軍 183,000名 39,420名 7,520名
アメリカ海軍 9,731名 4,907名
(その大半は神風特攻隊の体当り命中によるもの)
《「記録写真 太平洋戦争」
(1956 ロバート・シャーロッド、中野五郎編 光文社)から》
米軍が沖縄本土に最初の上陸した読谷村の浜
この海に戦艦が数kmにも地平線に並んでたようです。。
人種、性別、年齢問わず、、
これだけの死者。つまり魂が沖縄で消えていった事実は,
ただ単に数としてではなく、一人一人の親がいて,
家族がある一個人として捉えたいと思います。
一人一人の人生には、私やあなたのように生まれてから、
ずっとドラマがあるわけです。
そのドラマがこの時期、こららの土地で絶えていった。
そう思います。それぞれさぞ無念だったでしょう。
ちなみに資料館で聞きましたが、
ひめゆり女学生も悲惨な結末でしたが、
中学生の男子児童もおなかに手榴弾を抱え、
米軍の戦車の下に
飛び込み自爆する戦法が、かなり行われていたらしいです。
悲惨としか言いようがありません。
戦争とはそういうもので、途中から敵が誰だか
分からなくなってくるのでしょう。
そして米軍が恐れた特攻隊。
いわゆる今で言う自爆(テロ)行為ですね。
特攻隊員の戦死者
終戦までに特攻で戦死した隊員総数は
海軍2506人、
陸軍1404人
に達したとされる。
そのほとんどが沖縄戦での戦死者である。
《「大日本帝国の戦争2・太平洋戦争」(1999 毎日新聞社)から》