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13th Aug 2011 from Twitlonger

アンナ・カリーナを失ったゴダール
2006年05月29日
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ジャン=リュック・ゴダールの最初の長編映画、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F4LD98/tatsuykimuras-22" target="_blank">勝手にしやがれ</a>』は、ジャン=ポール・ベルモンドが主演、
オットー・プレミンジャー『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002T1ZAI/tatsuykimuras-22" target="_blank">悲しみよこんにちは</a>』の役のまま、
セシル・カットのままのジーン・セバーグが相手役なのは、
とても有名なこと。

アメリカ女性のジーンがフランスの女の子セシルを演じた姿で、
巴里のアメリカ人、パトリシア・フランキーニを演じることで、
前作での彼女の捻れを、映画で解放することになったわけだが、
ゴダールは、ほんとうはこの役を、
アンナ・カリーナにやってほしかったのだ。

『悲しみよこんにちは』が公開された1958年、
ジーンは20歳、アンナは18歳、ジャン=リュックは28歳だった。

デンマークから出て来たばかりのアンナは、
ジャン=リュックとすでに出逢ってはいたが、
新聞にゴシップ記事を書きながら<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005QZQ2/tatsuykimuras-22" target="_blank">短編映画</a>を撮る彼を、
あまり好きになれず、強く断ってしまった。
1959年、ジーン主演でこの映画は撮影される。

アンナがこの映画に出ていたら、
世界はいったいどうなっていただろう。

『勝手にしやがれ』は、1960年のパリでのプレミア興行、
そして世界的な衝撃を与えるほどの成功を経て、
アンナはジャン=リュックに振り向き、
その年の春、スイスのジュネーヴで、
アンナはジャン=リュックと初めての映画、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F4LD9I/tatsuykimuras-22" target="_blank">小さな兵隊</a>』に出演する。

ふたりは、ジャン=リュックの母の実家のあるスイスで、
その年、結婚する。アンナ20歳、ジャン=リュック30歳。

母は彼の最初の短編映画『コンクリート作業』の撮影直後に、
スクータ事故で亡くなっていた。1954年、6年前のことだ。

翌1961年のふたりは、
初めてのカラー映画『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CCNGT/tatsuykimuras-22" target="_blank">女は女である</a>』という、
MGMミュージカルのできそこないのような、
うつくしくかわいらしいミュージカルをシネスコで撮り、
また友人のアニエス・ヴァルダの監督する、
あの夏のパリが溢れかえる『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FGG3W8/tatsuykimuras-22" target="_blank">5時から7時までのクレオ</a>』に、
ふたりでなかよくカメオ出演する。

1962年『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F4LD9S/tatsuykimuras-22" target="_blank">女と男のいる舗道</a>』をアンナを主演にパリで撮り、
オムニバス映画『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FX19/tatsuykimuras-22" target="_blank">ロゴパグ</a>』で共作した、
敬愛するイタリア・ネオリアリズモの巨匠、
ロベルト・ロッセリーニに原案をもらい、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008DZ4W/tatsuykimuras-22" target="_blank">カラビニエ</a>』という戦争映画を撮るジャン=リュック。
この映画にアンナの姿はない。

彼の『勝手にしやがれ』以来の名声は、
ブリジット・バルドーというスターを使って、
フランス・イタリア合作、アルベルト・モラヴィア原作の、
あざやかなカラー映画『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8KAY/tatsuykimuras-22" target="_blank">軽蔑</a>』を、
チネチッタ撮影所とカプリ島を舞台に撮るに至る。

アンナの登場しないこの映画で、
B.B.は無意味にその裸体をさらしつづける。

このときにジャン=リュックが浴びた地中海の光は、
のちに『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8G6M/tatsuykimuras-22" target="_blank">気狂いピエロ</a>』にもまた登場することだろう。
きっとジャン=リュックは、アンナとふたりで、
この圧倒的な光をいっしょに浴びたかったのだ。

1964年、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005RV29/tatsuykimuras-22" target="_blank">はなればなれに</a>』を撮るにあたって、
アンナとジャン=リュックは映画製作会社を設立する。
社名は「アヌーシュカ・フィルム」。
アンナの愛称をその名につけたのだった。かわいい。

1963年に撮った、きわめてエステティック(審美的)な、
まるでロバート・メイプルソープの写真のような白黒映画、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007MCHAC/tatsuykimuras-22" target="_blank">恋人のいる時間</a>』にはアンナは登場しないが、
1965年の春に撮った『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000A6K8C4/tatsuykimuras-22" target="_blank">アルファヴィル</a>』には登場する。

これは、エディ・コンスタンティーヌが、
レミー・コーションまんまの役で登場する未来映画だが、
現在のパリを未来惑星都市アルファヴィルに見立て、
まるで『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005G064/tatsuykimuras-22" target="_blank">ウルトラセブン</a>』が、京都国際会議場を、
ウルトラ警備隊六甲基地に見立てたように、
未来的なデザインのパリをふんだんに登場させる。

人間のこころをもたないアンナが最後に獲得することばは、

 「Je vous aime」

あなたを愛しています、だった。
『アルファヴィル』でつぶやかれる最後のセリフだ。

1965年の夏、南仏の地中海の陽光を浴びて、
『気狂いピエロ』の撮影が始まるが、
この撮影を終えて、アンナとジャン=リュックは、
離婚してしまうのだった。

『アルファヴィル』で凍った心でいたアンナにつぶやかせた、
「あなたを愛しています」、
そしてアンナがじぶんのつぶやいたそのことばによって、
劇的に生き生きとしてくる姿。

それをフィルムに永遠に焼きつけようとするゴダールは、
すでにアンナの心の変化に気づき、
悩み苦しんでいたのだろうか。

生まれて初めて口にするような初々しさで、
「あなたを愛しています」
とアンナに囁いてもらいたかったのではないだろうか。

1966年に立て続けに発表される4本の映画、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CCNGR/tatsuykimuras-22" target="_blank">男性・女性</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8HNO/tatsuykimuras-22" target="_blank">メイド・イン・USA</a>』
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CCNGS/tatsuykimuras-22" target="_blank">彼女について私が知っている二、三の事柄</a>』
『未来展望 (オムニバス『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001N1QQS/tatsuykimuras-22" target="_blank">愛すべき女・女たち</a>』の1篇)』のうち、
『メイド・イン・USA』と『未来展望』にのみ、
離婚後のアンナは出演している。

そして、アンナはジャック・ペランのもとに去り、
ジャン=リュックのところへは2度と帰っては来なかった。

アンナ26歳、ジャン=リュック36歳のときのことだった。

その後のジャン=リュックが、
ロベール・ブレッソン『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FX1P/tatsuykimuras-22" target="_blank">バルタザールよどこへ行く</a>』の少女、
アンヌ・ヴィアゼムスキーを起用して『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007MCHAM/tatsuykimuras-22" target="_blank">中国女</a>』を撮り、
彼女と結婚し、1968年のパリ五月革命を経て、
ジャン=リュック・ゴダールの名まで捨てて、
ジャン=ピエール・ゴランという若者と、
「ジガ・ヴェルトフ集団」という匿名のもとに、映画を、
政治的アジテーションのためのビラへと変えていき、
早々とフィルムでの撮影まで放棄し、
ビデオでの撮影へと越境していったのは、
だれもが知っていることである。

二番めの妻であるアンヌとは3年で別れるが、
作家フランソワ・モーリアックの孫であることよりも、
なぜ彼女がアンナの仏語名である「アンヌ」なのか、
そして、ローザンヌでのティーチインで出逢う、
生意気な左翼闘士アンヌ=マリー・ミエヴィルは、
1974年から現在に至るまでジャン=リュックのパートナーだが、
なぜその名にやはり「アンヌ」が含まれるのだろうか。

ジャン=リュック・ゴダールという人間にとって、
まるで小沢健二『LIFE』なみの多幸感溢れる映画は、
ただただアンナ・カリーナとのものだけだった。

もちろん、『女と男のいる舗道』は悲劇だ、
しかし、そこでも映画の幸福は描かれていて、
それはそれはうつくしく、またかなしく、
そこに溢れる感情は、映画そのものだった。

アンナに変わるなにかを求めてジャン=リュックが出逢ったのは、
やはりアンヌでありアンヌ=マリーであった。

ジャン=リュックの母の名はオディール、
母の面影とは無関係だ。やはりアンナ、
ただただ、アンナともう一度出逢いたかったのだ。

アンナと別れてからのジャン=リュックの映画のタイトルは、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00023PF6E/tatsuykimuras-22" target="_blank">WEEKEND</a>』(週末)
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FHVTW6/tatsuykimuras-22" target="_blank">ONE PLUS ONE</a>』(1+1)
『UN FILM COMME LES AUTRES』(ほかの映画みたいな映画)
『ONE AMERICAN MOVIE (ONE A.M.)』(1本のアメリカ映画)
『BRITISH SOUNDS』(イギリスの音)
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007MCHAW/tatsuykimuras-22" target="_blank">TOUT VA BIEN</a>』(すべて順調)
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BM6I76/tatsuykimuras-22" target="_blank">ICI ET AILLEURS</a>』(ここ と よそ)
『NUMERO DEUX』(第二)
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BM6I7G/tatsuykimuras-22" target="_blank">COMMENT CA VA?</a>』(どうよ元気?)
『SIX FOIS DEUX』(6×2)
と、ほとんど記号とか挨拶の語とかになってしまう。

そのほかは、
『LE GAI SAVOIR』(=ニーチェが引用した中世のことば)
『PRAVDA』(=ソ連共産党機関紙の名)
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007MCHB6/tatsuykimuras-22" target="_blank">VENT D'EST</a>』(=毛沢東のことばの引用)
『LUTTE EN ITALIE』(イタリアにおける闘争)
『VLADIMIR ET ROSA』(=レーニンとローザ・ルクセンブルク)
などという左翼および思想の世界からのことばだ。

1979年にジャン=リュックは、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BM6I7Q/tatsuykimuras-22" target="_blank">勝手に逃げろ/人生</a>』という名の映画を撮って、
劇映画の世界に復帰する。

俺がこれを初めてパリのダンフェールの映画館で観たとき、
あまりにもうつくしいスローモーション、
あまりにもエロティックなイザベル・ユペールの裸身に、
その前に東京で観ていた、次作『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F4MPC2/tatsuykimuras-22" target="_blank">パッション</a>』や、
その次の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007K4TA/tatsuykimuras-22" target="_blank">カルメンという名の女</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008DZ4X/tatsuykimuras-22" target="_blank">ゴダールのマリア</a>』への、
激しい濁流のような、冴えきったイメージと音響の源流を、
遡って目撃した気がした。

アンナとのかなしい別離から、
美術とクラシック音楽とカトリックのテーマが横溢する、
ダイナミックでうつくしくエロティックで、
しかもなんともいえず滑稽な映画へと至るまで、
なんと13年もの年月が経っていた。

ジャン=リュックはすでに49歳になっていた。

そしてゴダールはいくつかの物語のはっきりした映画を撮り、
また90年代に入って、20世紀最後のディケイドを、
あの長大な傑作『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005R6O1/tatsuykimuras-22" target="_blank">映画史</a>』の完成に費やす。

その合間に撮った、
彼のイニシャルをなぜか反復するタイトルの『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00023PF6Y/tatsuykimuras-22" target="_blank">JLG/JLG</a>』では、
彼自身のセルフ・ポートレイトだと副題しながら、
「あれからわたしは喪に服した」と、
まだ眼鏡をかけていない、心細げな顔をした、
少年時代のジャン=リュックの写真を提示する。

しかしそれは、たとえば親戚の死や、
母のいた時代への追憶ではなく、少年の表情を借りて、
アンナがいないジャン=リュックの人生を、
「喪に服した」と呼んでいるのではないだろうか。

そして、21世紀に入ってジャン=リュックは、
いきなり彼の映画にアンナ・カリーナを登場させる。

それもあまりにも、あまりにもうつくしい、
アンナ・カリーナの奇蹟的な表情を切り取り、
彼の短い新作のなかに貼りつけているのだ。

それは、彼が参加した10分ずつのオムニバス映画、
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00016AWD8/tatsuykimuras-22" target="_blank">テン・ミニッツ・オールダー</a>』(2002年)で起きた事件。

10分の映画を1本つくれ、というオーダーに対して、
1分の映画を10本つくった、と称して撮った、
『Dans le noir du temps』(時間の暗黒のなかで)に、
唐突に、ほんとうになんの前触れもなく、
『女と男のいる舗道』でのアンナの顔が直接引用されるのだ。

『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00091PFLO/tatsuykimuras-22" target="_blank">裁かるゝジャンヌ</a>』を観て、涙を流すアンナ。

このアンナほどうつくしいアンナはかつていただろうか。
どんなに幸福そうなアンナよりも、かなしく、
うつくしく、そして生き生きと感情をあらわにするアンナ。

いつまでも22歳のままのアンナ、そして、
いつのまにか71歳になってしまっていたジャン=リュック。

80年代以降のジャン=リュックは、
あのつぶらな魅惑的な瞳をもつアンナの面影を求めて、
マルーシュカ・デートメルスやミリアム・ルーセル、
果ては『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F16HBU/tatsuykimuras-22" target="_blank">アワー・ミュージック</a>』のナード・デューに至るまで、
目の大きなうつくしい若い女をだれよりも早くみつけ、
彼のフィルムに焼きつけようとした。

しかし、ほんとうのアンナにまさるアンナは存在しない。

ジャン=リュック・ゴダールはよく、
「映画はたくさん観る必要はない」、
というような発言をする。

たとえばアメリカ映画を2本、それだけでいい、
それもジョン・フォードを2本、などと。

彼はけっして口にしないけれど、
じぶんのあの膨大なフィルモグラフィのなかでも、
たぶんきっと、

 「『裁かるゝジャンヌ』を観て、涙を流すアンナ」

そのワンショットだけがあればいい、
と、どこかで思っているにちがいない。

それがすべてで、あとはただ生き残るためだけに、
彼はアンナを失ったまま、ただ映画を撮って来たのだ。

だから尋常じゃない時間をかけて、
ものすごい本数の映画が撮られなければならなかった。
ちがうだろうか。

そして俺やそして、彼以外の人間が、
彼のこのさびしくてかなしくて、けなげで、
ちょっと滑稽な人生から得なければいけない教訓。

それは、

 あなたにとってのアンナをけっして手放してはいけない。

ということなのだ。

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